2ページ目 - ビートルズと原田真二とTFCと。【ビートルズのことを考えない日は一日もなかった特別対談 VOL.12 渡邊文武】

E・ジョンやC・キング、ウイングスの流れで原田真二

『昭和40年男』65号「昭和ロック元年」特集に掲載された渡邊さんの原稿

竹部:あらためて聞きたいんですが、原田真二はそれまでの音楽と何が違ったのですか。

渡邊:違ったというか、逆に言えば、ぼくが子供の頃にハワイで聴いてたエルトン・ジョンやキャロル・キング、ウイングスの流れで原田真二のファンになったってことだろうな。

竹部:そうか。そこからつながってるんだ。子どもの頃好きだった洋楽を日本語で歌ってるみたいな感覚で、違和感なく聴いていたと。

渡邊:めちゃめちゃいいなと思った。あとはピアノの弾き語りっていうのがよかったんだろうね。真二の次にサザンが好きになって。78年~79年にかけては真二とサザンだったよね。

竹部:サザンは、近くの大学の学園祭に出るっていうんで、行ってみたらチケット完売で入れなくて外で音漏れを聴いてたんですよね。前に『昭和40年男』で原稿を書いてもらいました。

渡邊:そうそう。武蔵野女子大学(※現・武蔵野大学)。うちから自転車で多分20分ぐらいのところにあるから行ってみたんだけど、「チケットは完売です」って言われて、仕方ないから体育館の外で聴いてた。録音もしちゃった。まだデビュー直後で、ファーストアルバムの曲ぐらいしかないから、12曲くらいだったかな。いまでも覚えてるよ。

竹部:原田真二とサザンが同じ事務所だっていうのは知っていた? でもその頃の真二はもうアミューズじゃなかったかな。

渡邊:知らなかった。でもアミューズの存在は知っていた。ライブに行くと、アミューズって書いてあるチラシをもらってたしね。当時の立体的なロゴが入ったやつね。

竹部:原田真二のライブを観たのはいつですか。

渡邊:79年6月、中2のときに川崎のホールで。

竹部:武道館に行ったという話は聞いていましたが、その前に川崎で見てるんですか。

渡邊:さっき話したツテでチケットを取ってもらったの。そのあと、西武球場でも真二を観てるよ。複数のアーティストが出るフェスがあって。RCサクセション、チューリップ、松山千春さんとか。それで千春さんのステージに岡林信康さんが出てきたり。当時大スターだった彼が、ステージの脇にしゃがみこんで岡林さんの歌う姿をじーっと見ているシーンがあったな。

竹部:79年の松山千春って人気全盛期じゃないですか。「季節の中」が大ヒットしたあとで『起承転結』の前ですよね。

渡邊:そこに真二が出てきたんだよね。そのあとに年末に武道館を見て、その次の年、80年の夏に野音でSHINJI&CRISIS(※当時の原田真二バンド)も観てるよ。

竹部:うらやましい。

渡邊:あのときのクライシスって、豊田さんっていうバイオリン奏者がいてね。スペースサーカスにいた人。ドラムはシータカさんで、ベースは関さん。ギターの人もいたよね。

竹部:北島健二。

渡邊:80年ってことはサード・アルバム『ヒューマン・クライシス』のライブを見てるってことだよね。

竹部:そうですね。その次が『エントランス』。なんか原田真二話になってしまっていますけど……。

渡邊:思い出したけど、81年の青学女子短大の学祭も観てるな。そのとき「WRONG WAY」を初めてやったんだよね。

竹部:そうなんですか!「雨のハイウェイ」のB面。名曲!

渡邊:その「雨のハイウェイ」が入った『セイブ・アワ・ソウル』が出たときはシドニーに住んでた。再び親の仕事の都合でね。83年でしょ。父が日本に出張に行ったときに買ってきてもらったと思う。「雨のハイウェイ」はキャッチーな曲だし、悪くはないなと思ったけど、やっぱり自分は『エントランス』までの感じが好きだったな。

竹部:初期クライシス時代は濃密ですからね。

渡邊:あの頃のクライシスは音楽的にはちょっとプログレ感があるんだよね。原田真二さんってプログレも好きなんだっけ?

竹部:好きだったみたいですよ。ぼくのやっている「原田真二マニアック」ってイベントでその辺もいろいろ話を聞いたんですが、UKってバンドとか、その辺を目指していたらしいです。古田さんはトッド・ラングレンのユートピアが好きだったとか。少人数で、完璧な演奏をやるっていうのを目指していたみたいです。

渡邊:なるほどね。ポップ寄りなプログレって感じかな。

竹部:でも、時代的にはテクノでありニューウェイブでありというなかで、日本にそういう方向性のバンドはなかったので、受け入れられなかった。でも、そこが原田真二の心意気といいますか。頑固なところなんですよね。

渡邊:うん、でもそういうところに真二の良さがあったよ。

徹夜で並んで入手したウイングス日本公演のチケット

映画『007死ぬのは奴らだ』サントラ

竹部:このまま原田真二の話になるのもなんなので、無理やりビートルズに話を戻しますけど、その頃、原田真二とビートルズを聴いて研究をしていたっていうのは、どういうことなんですか。

渡邊:中学生だし、研究ってほどのもんじゃないけど(笑)。真二をさんざん聴いたあとにビートルズ体験をするんだけど、なんか雰囲気が似てるなって思ったの。感覚的なものなんだけど、そこから具体的に名前を挙げるようになったのかな。この曲とこの曲が近いとか。たとえば「LIFE」って「レディ・マドンナ」的だなって思ったり。

竹部:なるほど。そこは気が付かなかった。ビートルズだけですか? ウイングスとの共通点とかは?

渡邊:その頃はまだウイングスを真剣には聞いてなかった。基本、ビートルズだけ。時間を巻き戻すけど、母親からビートルズを勧められたあと、ビートルズのフィルムコンサートに行ったんだよ。同級生の女の子にビートルズファンがいて、その子がビートルズ・シネクラブに入ってたの。その子に誘われて。

竹部:当時のファンによくある流れです。

渡邊:79年の夏、場所は日仏会館。そこで『ハード・デイズ・ナイト』とか、複数の映画を観たなかで『ウイングス・オーバー・ザ・ワールド』がすごく印象に残って。その頃はまだウイングスはポールがビートルズ解散後に作ったバンドくらいの知識しかないわけだけど、『ウイングス・オーバー・ザ・ワールド』がすごくよくて、やたら感動したな。そこで演奏されてる「リヴ・アンド・レット・ダイ」は、73年にホノルルで観た映画、『007死ぬのは奴らだ』で聴いてたことを思い出したんだよ。

竹部:いろいろつなげてきますね。

渡邊:親に連れられてワイキキの映画館で観たんだよね。そのときはポール・マッカートニーっていう名前も知らないんだけど、映画館のスピーカーで聴いた「死ぬのは奴らだ」はめちゃくちゃ印象に残ったな、映画そのものより。で、それが『ウイングス・オーバー・ザ・ワールド』で流れたときに「あ!これだ!」って思ったな。

竹部;出会いがいちいちユニークですね。

渡邊:その日以降、フィルムコンサートに誘ってくれた女の子からレコードを借りるようになって、色々聴き始めるんだよ。気づくとぼくの周りに、ビートルズが好きな同級生が何人かいた。そのなかの男子の友達から借りて、最初に聴いたアルバムが『ホワイト・アルバム』。そのあと、女の子から『サージェント』と『アビーロード』。初心者で最初に集中的に聞いたのが後期の3枚だったから、どうしても後期がフィットしちゃう。そこで、真二とつながることもあって。

竹部:たとえば?

渡邊:『ナチュラル・ハイ』に入っている「RAINBOW COLOR」の歌詞にタントラって出てくるでしょ。これ聴いてジョージだって思ったしね。あと、「MUSIC BOX」もビートルズ的、もっと言うとポール的。真二のすごいところって、インスパイアされたと思われる曲よりも良かったりするところ。

竹部:その通り! 話を聞いていると、渡邊さんの音楽人生の中で、いかに79年が重要かってことがわかりますね。73もですが。

渡邊:そうだね。79年はビートルズ、真二とサザン。あとはポップ寄りのニューウェイブかな。シングル盤を買ったのはヒカシューとプラスチックスだった。当時はラジオでもよくそういう音楽が流れてたな。AMだったら夜帯、深夜帯のTBSラジオ。あと、NHK-FMでも深い時間に割りとマニアックなロックの番組をやっていて。いまだに自分の中にあるのは、原田真二から始まったビートルズ的な音楽とニューウェイブ。やはりこの2つは大きいかな。

竹部:渡邊さんといえばムーンライダーズもありますよね。

渡邊:そうだよ! ムーンライダーズは永遠の真打ちだね。彼らの音と出会ったのは80年の1月かな。

1980年1月に行われる予定だったウイングス幻の日本公演パンフ

竹部:80年1月ってポールの来日逮捕なんですが……。

渡邊:ウイングスの武道館はチケットを取ってました。席はアリーナ。でもね、考えたら公演が80年1月なのに、ぼくがチケットを取ったのは79年12月なんだよね。そんな短期間だったんだね。当時は中野サンプラザのエントランスの先にプレイガイドがあって、そこでウイングスのチケットを買えるって分かって、昼に一人で行ったらすでに人が大勢並んでて。そこに並んで徹夜で買ったんだよ。すごく寒い夜だったな。

竹部:中二で徹夜? 親になんか言われないんですか。

渡邊:うん。「ウイングスのチケット買いに行ってくるよ」って。「たぶん徹夜で、明日の昼まで家に帰って来ないから」って言って。そういう、カルチャーっぽいやつに関しては寛容な家だったんですよ。

竹部:そもそもお母さんにビートルズを教えられたんですもんね。

渡邊:今でも覚えているんだけど、自分の周りは大学生っぽい人ばかりだった。自分よりも5、6歳ぐらい上の人たち。その人たちが仲間内で並んでて、夜みんなでビートルズの曲を歌ったりしてた。

竹部:渡邊さん、1人で並んだの?

渡邊:もちろん。子どもの頃から1人で行動してたんですよ。藤子スタジオにも1人で行っていたし。

竹部:小学生の時に藤子不二雄が好きすぎて、ひとりで藤子スタジオを訪ねたら、中に入れてもらえて、それ以来F先生の作業を定期的に見ていたっていう話ですよね。しかもケーキまで出してもらったと。この話は長くなるのでここまでにしますが。

渡邊:そうそう。ウイングスのライブも1人で行くからチケットを1枚だけ買ったな。4,500円。ピンク色のチケットでね。

この記事を書いた人
竹部吉晃
この記事を書いた人

竹部吉晃

ビートルデイズな編集長

昭和40年男編集長。1967年、東京・下町生まれ。ビートルズの研究とコレクションを40年以上続けるビートルマニア兼、マンチェスターユナイテッドサポーター歴30年のフットボールウィークエンダーのほか、諸々のサブカル全般に興味ありの原田真二原理主義者。WEBメディア『昭和MILD(https://showamild.com/)』もよろしくお願いします。
SHARE:

Pick Up おすすめ記事

「BEORMA」140年の伝統を受け継ぐ、英国屈指のレザークラフト

  • 2026.10.21

英国トラッドを語るうえで欠かすことのできない存在がレザークラフトだ。140年の歴史とクラフトマンシップを受け継ぎ、現代のスタイルにも馴染む唯一無二のプロダクトを生み出す〈べオーマ〉は、その筆頭となりうる存在だ。 熟練職人の魂宿る伝統のレザークラフト 英国中部の小さな町・ウォルソール。革加工・馬具産業...

東京・入谷にできた靴づくりの新聖地「THE ZINE FOOTWEAR CLUB.」にメディア初潜入!

  • 2026.10.18

「ブラザーブリッジ」や「シュアブーツ」を手がける「ザ ジン フットウェア」。店舗と企画・縫製工場がひとつになったいわば“本拠地”を入谷に新設した。メディア初公開となる、その全貌に迫る。 メーカーでもあり店舗でもある新拠点 弊誌の読者であれば、おそらく「ブラザーブリッジ」という革靴ブランドはご存知であ...

東洋エンタープライズが手がける「ゴールド」。高品質な素材選びに一切の妥協なし。

  • 2026.10.20

1965年に創業した日本屈指の老舗メーカー東洋エンタープライズ社が手がける〈ゴールド〉。同社が得意とするヴィンテージへの膨大な知見と技術力の高さを活かしつつも上質にモダナイズしたものづくりに定評がある。着用時のシルエットはもちろん、高品質な素材選びに一切の妥協をしないこと。それこそがシンプルな服に深...

ヒートツイードとは? 軽くて薄くて暖かい、英国派に捧ぐ革命ツイード

  • 2026.10.26

〈トラディショナル ウェザーウェア〉が誇る人気シリーズ、ヒートツイード。英国ツイードのオーセンティックな雰囲気はそのままに、驚くほど軽く、保温性の高いオリジナル生地。一度味わうとやみつき間違いなし! 英国らしくも、軽くて暖かなツイード生地は現代的ヘビーデューティ素材の最適解である。 【コート】ブラン...

金子ノブアキが着る【REDKAP × FREAK’S STORE】

  • 2026.10.21

長い歴史を持つワークウエアブランド〈レッドキャップ〉と〈フリークス ストア〉のコラボアイテムを金子ノブアキが今の感覚で着こなす。年齢を重ねたからこそ楽しめる服のこと、ブランドが持つ哲学のこと、そしてこれから大切にしていきたいこと。45歳を迎えた金子さんに、ファッションと生き方について話を聞いた。 タ...

Pick Up おすすめ記事

遊び心とヘビーデューティ! 「ジムマスター」のアウトドア&ミリタリー

  • 2026.10.18

ほどよく力の抜けたカジュアルウエアを展開するカナダ生まれの「ジムマスター」。その真骨頂は、実は骨太なアウトドア&ミリタリーにある。ヘビーデューティな機能美を日常着へと昇華させる秘訣は、「ジムマスター」らしいほんのすこしの遊び心! カラフルな配色の裏に確かな実用性あり! 【右】主役は厚手のボアジャケッ...

メイド・イン・ノーサンプトンを貫く英国靴の筆頭「Crockett & Jones」のモノづくり

  • 2026.10.21

革靴の聖地であるノーサンプトンにて1879年に初声をあげた〈クロケット&ジョーンズ〉。英国靴を語る上で欠かすことのできない同ブランドのモノづくりの現場に足を運んだ。 一足の革靴に宿る147年の歴史と誇り 革靴産業の一大拠点として名を馳せる英国・ノーサンプトン。中世から靴職人が集まり、17世紀には軍用...

原毛から生地まで。一貫生産を守る英国生地の名門「ムーン」とは?

  • 2026.10.19

服を突き詰めていくと辿り着くのが生地。トラッド好きなら一度は耳にしたことがあるであろう英国の名門が「ムーン」だ。羊毛から紡績、染色、織布を一貫して行う英国最後の生地メーカーが誇る伝統のモノづくりに迫る。(写真は、生地の製造において重要な“織り”の工程。タテ糸とヨコ糸をゆっくりと交差させ、チェック柄が...

HISTORY OF B.V.D. 着心地を追求した150年

  • 2026.10.20

1876年、ニューヨークで誕生したB.V.D.。風を通すゆったりとした肌着から、水着、街や休日を彩るシャツまで。その歩みを貫くのは、日々を心地よく過ごすための工夫だ。時代ごとの広告や製品を手がかりに、着心地を追求してきた150年をたどる。 HISTORY OF B.V.D. 1876年 ニューヨーク...

「BEORMA」140年の伝統を受け継ぐ、英国屈指のレザークラフト

  • 2026.10.21

英国トラッドを語るうえで欠かすことのできない存在がレザークラフトだ。140年の歴史とクラフトマンシップを受け継ぎ、現代のスタイルにも馴染む唯一無二のプロダクトを生み出す〈べオーマ〉は、その筆頭となりうる存在だ。 熟練職人の魂宿る伝統のレザークラフト 英国中部の小さな町・ウォルソール。革加工・馬具産業...