ポールの1ヶ月前にやって来たローリング・ストーンズ|ビートルズのことを考えない日は一日もなかったVol.59

1990年2月1日に発売された『ロッキング・オン』3月号の表紙をポールが飾った。私が同誌を認知したのは82年(ミックとキースの表紙号)で、以来毎月1日の発売日が楽しみだったのだが、その『ロッキング・オン』の表紙に初めてポールが登場した。古本屋で地道に集めていたバックナンバーを振り返ってもポールの表紙は記憶になく、書店の平台に置かれている中から上から2冊目を選んで喜び勇んでレジに雑誌を持っていった。表紙のほか中面には巻頭8ページにわたる独占インタビュー記事が掲載されており、かつてない扱いに来日がいよいよ現実のものとなっていることを実感するのであった。

ポール、初めて『ロッキング・オン』の表紙を飾る

しかしながら、なぜこの写真なのか、ほかにいい写真なかったのか……。髪の毛が乱れ、中途半端な笑みを浮かべているポールの表情に、疑問に思わないファンはいなかったと思う。うれしいことには違いないが、編集部の含みを感じるセレクトに疑問のループが止まらかった。

インタビューも「最新作の『フラワーズ・イン・ザ・ダート』はあまり売れていませんね?」という意地悪な質問から始まるものだから、ポールがムッとしている様子が伝わってくるし、途中で「なぜ『フローズン・ジャップ』なんてタイトルを付けたのか?」なんていう昔話まで蒸し返され、むきになって応える様子もうかがえる。インタビューは児島由紀子氏。ちょっと意地悪な質問で挑発して、こちらのペースに乗せるのがロッキング・オン流儀ゆえ、読者としては面白くはある。前向きに取ればポールの素が見えるともいえるのだが、85年の『ベストヒットUSA』での独占インタビューと同様、ポールの日本への不信感が見て取れ、これからに日本に来るのに……というタイミングを考えると複雑な気持ちにさせられたことは言うまでもない。

そのやるせない気持ちを整えてくれたのが、松村雄策さんの原稿であった。ポール来日を目前に控えた期待を素直に綴り、ファンの気持ちを代弁してくれるように「そうなのだ。ポールには現在のロックンロールのすべてがあるのだ。きっと、歴史に残る最良のロックンロール・ショーになることだろう」と締めてくれ、ホッと胸をなでおろした。

ストーンズ公演初日に行くことができたとある理由

新宿三丁目にあったバー、ローリング・ストーンのコースター

その少し後、ビートルズと並ぶロック界のレジェンド、ローリング・ストーンズが来日を果たした。待望の初来日、しかも東京ドーム9公演(その後追加公演が組まれ計10公演に)という日程は前例がなく、その前代未聞の事態に日本中が注目する出来事となった。

ビートルズほどではないにせよ、ロック好きの義務としてストーンズは81年くらいから追いかけており、『タトゥ・ユー』以降のアルバムはすべてリアルタイムで買い(『スティル・ライフ』『アンダー・カヴァー』『ダーティー・ワーク』『スティール・ホイールズ』)、それ以前のアルバムもレンタルで聴くなどして基本的な素養は身についていた。83年公開の映画『レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー』もロードショーで観ているし、80年代半ばからは新宿三丁目にあったロックバー、ローリング・ストーンに通い、大音量でストーンズナンバーを聴くと言う嗜みを覚えていた。

88年のミックのソロ来日公演にはいまひとつ関心をもてなかったものの、バンドで来日となれば話は別。5人で演奏するストーンズナンバーをぜひ聞きたい、絶対見たいと切望するも、タイミングが悪すぎた。ポール来日と重なっていたため、チケット争奪戦に参加する余力がなかったのだ。しかも、まさかの東京ドーム9公演が即ソールドアウト。一種の社会現象といっていいほどの盛り上がりを見せていた。取り付く島なく、それではと西新宿で買った最新ツアーのアトランタ公演の模様をプロショットで収めたブートビデオ(ガンズ・アンド・ローゼズ、ジョン・リー・フッカーとの共演あり)や、『25×5』という歴史ものビデオで気を紛らわせたりしてのだが、それでも気持ちは収まらない。

そんなやさき、ツアー初日(2月14日)に行くことになった。どういう経緯かは知らぬが、ある日出社すると机の上に1枚のチケットが置かれ、それを数人が取り囲んでいるという状況になっていたのだ。「行ってもいいですか?」。ろくに空気も読まずにさっと手を挙げたところ、皆が「どうぞ」と譲ってくれて、コントのみたいな流れで急きょ自分が東京ドームに行くことになった。それにはひとつの理由があった。実は2月末をもって会社を退職することになっていたからだ。新年早々の出社日初日に社長に呼ばれ、何のことだろうと話を聞くと、「結論から先にいうと……」という前置きのあと、いきなり解雇を通達された。聞けば、会社の業績が悪く、申し訳ないが2月末に数名の社員に辞めてもらうことになったとのこと。自分は入ってまだ間もなく、戦力になれていないゆえまず名前が挙がったのだろうが、ほかにも有望社員の数名が肩たたきがあったようで、納得するしかなかった。意外な人までがその対象となっていたことから、その日の会社の空気は重たく、静かで、皆が下を向いていた。

社会人になって半年で社会の荒波に遭遇した驚きと、この先どうしたらいいのかという不安が頭の中で反芻したが、ろくに就職活動をせず、世の中を甘く見ていたつけが回ってきたのかもしれないなどと反省しつつも、これでポール来日を気兼ねなく存分に楽しめるという気持ちのほうが大きかった。実際、2月後半から始まる追っかけは、会社務めをしていたのでは行動が制限されただろうから、解雇してくれたよかった。と前向きに捉えた。あとで振り返ってみると結果オーライなのだが、その後の紆余曲折な社会人生活はここから始まったともいえるわけで、これがなければ違った人生を送っていたに違いない。

良席で体験したイッツ・オンリー・ロックンロール

ローリング・ストーンズ公演初日チケット
10日公演中9日目の2月26日のチケット

話を2月14日に戻す。仕事を終え、ひとりで東京ドームへ向かうと、水道橋駅の改札を出たあたりからすでに大変な人ごみで、ちょっとしたパニック状態になっていた。通常の巨人戦とも、4日前の新日本プロレスの興行(新日マットに全日の選手が上がると言う画期的な大会だった)とも客層は明らかに違うし、年齢層も明らかにわたしよりも年上。元ロック少年と思しきスーツ姿のサラリーマンが多数を占めていた。そんな彼らの顔にはこの日を10年以上待ったという高揚感と緊張感が漂う。

本当にこれからストーンズを見ることができるのか。この時点でもまだ半信半疑であった。そのまま橋を渡り、後楽園ホール前を通ると、さらに混雑度を増し、すでにストーンズ祭りが始まっている。そのまま歩いてドーム内に入るとそこは異様かつ、一つ間違えば暴動でも起こりそうな空気が充満しており、逆に言えばストーンズを迎えるにはこれ以上はない演出が出来上がっていた。

そして開演時間を過ぎた頃暗転、「スタート・ミー・アップ」のイントロとともにミックが勢いよく出てきた。横にキースもいる。ほかにロニーにビル、うしろにチャーリー。どよめきのような歓声があがるなか一気にクライマックスに達した。バンドのサウンドと観客のエネルギーが混ざり合い爆発的な化学反応を起こしていたのだが、いかんせん、席が悪すぎた。3塁側スタンドだが外野席に近く、しかも最上段なので、ミック以外のメンバーは時折見切れてしまうのだ。見どころの一つであった豪華セットも拝むことが出来ず、大きなスクリーンも死角で見られず、さらに当時の東京ドームの音響システムが劣悪なため、音の跳ね返りで、曲によってはなにをやっているのか全く分からないものもあった。

A席だから仕方ないとはいえ8000円も払ったのだから、あきらめきれないものがあるが、どちらかといえばストーンズよりも、お客さんを観にいったと言ってもいいかもしれない。歴史的瞬間に立ち会えたと言うだけでも言った甲斐は十分あったし、ストーンズの生音を体感できただけでも満足であった。

アンコールの「サティスファクション」で幕を閉じ、ロックンロールの魔法が溶けていく中、さあ、いよいよ次はポールをドームで、と思ったその翌々週、幸いにももう一度ストーンズを観ることが出来た。キョードー東京でのチケット交換の際に知り合った女性から2月26日のチケットが1枚余っているという連絡があり、席はアリーナのBと告げられた。業界関係者からまわってきたもので良席だという。二つ返事で参加意思を表明し、チケットの受け取りは当日現地でという約束で再び東京ドームに向かい、今度はアリーナでストーンズを拝むことが出来た。

初日には見えなかった豪華巨大セット、巨大スクリーン(「イッツ・オンリー・ロックンロール」演奏時の映像にジョンが映る)はもちろん、5人のメンバーが肉眼で確認できる距離であることに驚き、さらにはミックと目が合い、こちらに向かってくるような迫力に、興奮を通り越して恍惚とした表情になってしまうほどの感動を得ることが出来た。この日はテレビ収録を兼ねていたようで、演奏の出来も素晴らしく、一見ラフのようで完成されている演奏能力の高さ、プロに徹したミックのパフォーマンスに25年間積み重ねたキャリアの一辺を、いやロックの歴史の断片を見た気がした。

『ロッキング・オン』1990年4月号
この記事を書いた人
竹部吉晃
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竹部吉晃

ビートルデイズな編集長

昭和40年男編集長。1967年、東京・下町生まれ。ビートルズの研究とコレクションを40年以上続けるビートルマニア兼、マンチェスターユナイテッドサポーター歴30年のフットボールウィークエンダーのほか、諸々のサブカル全般に興味ありの原田真二原理主義者。WEBメディア『昭和MILD(https://showamild.com/)』もよろしくお願いします。
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