MZA有明から始まった原田真二研究家の第一歩

音楽業界誌の刊行を主な事業としていたその会社は、西新宿の小滝橋通り(新宿ロフトの近く)の雑居ビルに事務所を構えており、それまで頻繁に通っていた海賊盤屋街と目と鼻の先にあった。別に狙ったわけではなく、まったくの偶然なのだが、これ幸いと昼休みや帰り道に立ち寄り、海賊盤屋巡りは継続。最新情報を入手した。
それはさておき、音楽業界に潜り込めたのはこのうえなくうれしかった。以前から音楽に関係する仕事が出来たらと漠然と思っていたので、たとえ総務及び経理部配属の、スーツにネクタイ着用であったとしても別世界の感覚で、毎日ワクワクしながら出社したものであった。事務所のそこら中に業界誌やサンプルテープ、見本盤CD、ノベルティが放置されたおり、日々地味なデスクワークの合間にそれらを物色。平静を装いつつも心が躍った。初めてフリッパーズ・ギターを聞いたのは、そこで発見したサンプルカセットだった。
入社後は社員の人たちとできるだけコミュニケーションを取ることを心がけた。飲み会にも積極的に参加し、業界への興味、音楽への関心をアピールしていると、徐々に編集や営業の人たちが取材で行くコンサートイベントに同行させてもらうようになった。レッド・ウォリアーズ、聖飢魔Ⅱ、吉田拓郎の日本武道館、沢田研二、泉谷しげるの渋谷公会堂、エレファントカシマシの九段会館、斉藤由貴、原田真二のMZA有明、フリッパーズ・ギターのクラブクアトロ等々。ほぼ毎日なにかしらのイベントに出かけていたのだが、なかでも原田真二のエムザ公演の際の楽屋挨拶で本人と会話することができたのは最大の収穫だった。85年の渋谷公会堂以来4年ぶりに観たコンサートは素晴らしく、やはり天才と確信した勢いで「大ファンです。『I Love You,Gently』が好きです」なんて興奮気味に言ったことを覚えている。これが本人公認原田真二研究家の第一歩であった。
千両役者の雰囲気を漂わせていたリンゴ

そんな折、リンゴの来日公演が発表された。リンゴが気心の知れた仲間とともに、ビートルズ以来のコンサートツアーに乗り出したのは7月。その情報は届いていたが、ポールにばかり関心が向けられていたので、まさか来日公演が予定されているとは知らなかった。不意を突かれた驚きを抑えられず、不覚を取ってしまったことを悔やんだ。早くチケットを抑えなければと焦っていたら、編集部の洋楽担当の人が「自分の分と一緒に取ってあげるよ」と言ってくれ、その言葉に甘えてチケットをゲットすることが出来た。来日公演は10月30日の名古屋からスタートし、大阪、広島、福岡、東京とまわって、11月8日の横浜までの7公演。その中から11月7日の武道館公演を観た。
同行者はKKくん(中学時代からのビートルズ友達)。チケットに記された1階南東C列の席に着くとすでに場内はリンゴ目当てのファンで超満員となっており、期待と緊張が入り混じっているような空気が占めていた。自分も含めて、大半の人がビートルズの元メンバーが動く姿を初めて生で見る人だったからなのかもしれない。何を歌ってくれるのかなんて思っていると、しばらくして客電が落ち、リンゴがさっそうと登場。今ではトレードマークとなったピースサインもこのツアーから始まったものだと思う。1曲目「明日への願い」「ノー・ノー・ソング」と70年代にヒットさせたソロ曲のあと、早速「イエロー・サブマリン」を披露。それぞれの感慨がステージに向けられているのを意識してか、サービス満点で振る舞うリンゴ。まさに千両役者の雰囲気を漂わせていた。
以降、他のメンバーの見せ場がバランスよく用意されていく。当時のオール・スター・バンドはロック史に名を残すレジェンドばかりで、そんな彼らの名演が歌唱ショーのように繰り広げられていくのは文句なく楽しい。振り返れば、すでに鬼籍に入られたミュージシャンばかり。ビートルズ関連人物であるビリー・プレストン、ジム・ケルトナーをはじめドクター・ジョン、リック・ダンコ、クラレンス・クレモンスといった大物生演奏が聞けたのは、貴重な体験であった。リンゴのドラミングもしっかりと目に焼き付けた。
リンゴの見せ場は最後の3曲。「フォトグラフ」「ユア・シックスティーン」、そして「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・マイ・フレンド」。「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ~」はリンゴの人柄の良さが説明される際に引き合いに出されることが多い曲だが、一癖二癖もあるメンバーの緩和剤となっているキャラクターや役割を、最後にしっかりと確認することが出来たのはうれしく、幸せな気持ちになった。バラエティに富み、パーティー気分で楽しめる一方で各人の技量が楽しめる、という意味では、20代前半の人間にとっては実に大人の世界で、味わい深いライブであったといえる。

ハマースミス・オデオンで見た第二期オール・スター・バンド

リンゴのオール・スター・バンドはその後もたびたび来日して公演を行っているが、わたしが観たのはこのときのみ。食指が伸びなかったというか二の足を踏んでいたというか。このときの武道館以上の感動はもうないと勝手に思い込んでいたような気がする。
だが、92年にロンドンで観たことがあった。たまたま渡英中に公演が行われたということもあり、現地の知り合いOさんにチケットを取ってもらい、第二期オール・スター・バンドを観ることができた。このバンドでは来日していないので、それはそれで貴重なものであったのだが、公演日が7月7日のリンゴの誕生日なのに、とくにお祝いらしいことはなく、ライブ中にそれについて触れることもなく、あくまでもツアーの一公演にすぎないというあっさりとしたもので、そこが逆に印象に残っている。
公演そのものよりも思い出に残っているのは、リンゴの入り待ちをしていたときのこと。早めに現地入りして関係者口のところで待っていると、トッド・ラングレンがふらっと現れて、そこに集まっている人たちに囲まれた。自分もその輪に加わったところで急遽サイン会のような状況になったので、すかさずわたしもリンゴにサインをもらうために用意した色紙をわずかな隙からトッドの前に差し出すと、「せっかく日本から来たんだから」と周りの人たちが気を使ってくれてトッドと相対することができた。トッドに会うのは前年の新宿のセンチュリーハイアット以来。それを伝えると、よほど熱心なファンと思ってくれたのか、ちょっとした会話をしたのち親切にサインをしてくれた。その間2、3分くらいだろうか。トッドのやさしさにふれ、ますますファンになった。すっかり満足した後もリンゴを待ったが、結局現れず、間近で見ることは叶わなかった。
最後に、会場のハマースミス・オデオンについて。ハマースミス・オデオンといえばカンボジア難民救済コンサートやボウイのジギースターダスト公演が行われたUKロックの殿堂である。ビートルズも64年と65年にクリスマス・ショウとUKツアーの公演地として使用しているのだが、そこが『ハード・デイズ・ナイト』の重要なシーンのロケ地でもあることを知ったのはその2年後のこと。マーク・ルーイソンの名著『The Beatles London』によれば、「キャント・バイ・ミー・ラヴ」のシーンの冒頭、リンゴの「We’re Out!」の掛け声とともに下りていくシーンは、ハマースミス・オデオンの裏手の火災避難用階段で撮られたのだそう。その後、『The Beatles London』を持って同地を訪れ、裏手に回ると、まさにあの階段がそのまま残っていた。
