今あるハーレーダビッドソンを築いた揺るぎなき礎の血統
ハーレーというバイクに対して、ひとつの進化を与え、革命を起こしたシステムーーそれが「ラバーマウント」だろう。
1970年代後半、日本車や欧州車に市場を奪われていたハーレーが、一般的なライダーに向けたアンケートを行った際、“故障の多さ”や“エンジンから発せられる振動”を嫌う意見がかなり寄せられたそうだが、実際に82年当時のハーレーといえば、米国の市場でもホンダの「アスペンケイド」が単一車種で1万2000台以上販売していたのに対して、ラインアップ全体で5万台にも満たない生産台数であり、工場の稼働率も50%以下。膨大な宣伝費をかけても一度失った信用を取り戻すのが困難な状況だったという。
そんな窮地を救うべく、開発されたのがラバーマウントなのだが、これはその名の通り“エンジンとフレームの間にゴムを介して振動を消す”システムであり、既に英車のノートン「コマンド」がエンジンの振動を打ち消す「アイソラスティック」方式を採用。まさにハーレーが目指し、求めたのは、そんな欧州車や日本車に対抗しうる“性能と快適性”なのだが、これをハーレーが取り入れたことは当時のライダーたちにとって革命的な出来事だった。
ちなみにエンジンとミッション、リアのスイングアームを一つのリジッドなユニットとして結合し、そのアセンブリ全体をゴムブッシュを介してメインフレームにつなぐノートンの方式に対して、リアのスイングアームはフレーム側で保持されるハーレーは厳密な構造が異なるが、これはVツインという巨大な心臓を抱える車体のレイアウトや、駆動方式の違いがその理由。快適性を生みつつ、あくまでもハーレーらしいダイナミックな乗り味を求めた結果だ。
このラバーマウントシステムの開発は、これまでのハーレーとは違う新しい発想と才能をもった若きエンジニアを集めることがスタートとなっており、その中の一人にあのエリック・ビューエルがいたのだが、彼が中心となって開発されたのが「FLTツアーグライド」。このモデルは5速ミッションをいち早く採用し、メインとなる骨格は3点支持のダイヤモンド・シェイプフレームになっており、82年に登場する「FXR」につながっていくのだが、この際にネックまわりもフォークより前方にある“逆オフセット”タイプから通常のバイクと同じく正常なものへと改善。今もこの逆オフセットはハーレーのツアラーに採用されているが、その“クセ強め”なハンドリングはラバーマウントを生んだ功績をもつ一方でエリック・ビューエルの最大の十字架だろう。
そのビューエル自身はFLTの開発がハーレー社での最初で最後の仕事となったのだが、ともかくこうして生まれたFXRは、その後、最初に掲げた狙い通りに“打倒ジャパニーズバイク”を果たしていくことになる。1969年以来のAMF体制からウイリー・Gらが中心となって経営権を取り戻した81年の「バイバック」や、それに続く82年のFXR、そして84年の「ソフテイル」と「エボリューション(エボ)エンジン」の登場など、これらの一連の革新がハーレーを劇的に変え、世界的なブームとなり、現在に至る礎となったのは紛れもない事実だ。
こうして成功を収めた80~90年代のH‐D社だが、しかし、その一方で“日本車”に迫る性能となったFXRのフレームのデザインに対して揶揄の声がささやかれたのは、何とも皮肉な話だが、それを打ち消すべく新たに誕生したラバーマウントが「ダイナグライド」。その開発プロジェクトのリーダーであるトレヴ・ディーリーは、まず限定モデルである「ダイナスタージス」を91年、試験的に市場に投入したのだが、スタイル的には好評を得たものの、走りの面で多くの問題を抱えていたのも否めないところ。このダイナというモデルは、より大量生産と高剛性を狙って鋳造パーツやプレス成形パーツを多用し、合理的かつ堅牢なフレームを目指し、変更を受けたのだが、その際に採用された前後2ポイントのラバーマウントを基本とする設計が、高速コーナーやウエット路面などで車体のヨレを誘発し、いわゆる初期型特有の「ダイナ ワルツ」と揶揄されるウィービング現象が見られることになるのだが、2006年に大幅にフレームを改善。99年に搭載された「ツインカム(TC)」のパフォーマンスと相まって、最強のラバーマウントとなったことは、多くの人が知るところだろう。
17年に一旦、その歴史に幕を引いた「FX」系ラバーマウントだが、その血統こそが今日のハーレー、その礎となったことを我々は決して忘れてはならない。
ラバーマウントの歴史とFXR&ダイナ
1982 FXR

それまでのバイカーライフを一変させるラバーマウントの「スーパーグライドⅡ」が82年に登場。シンプルなスポークホイールモデルは「FXR」、キャストホイール採用の上級モデルは「FXRS」と区別されるが、後にさまざまなバリエーションの派生モデルが誕生。これも多くの一般層のライダーをターゲットにしていた証しだろう。

1979年に19台のみが生産され、翌年の1980年から本格的に市場へ投入されたモデル、「FLT」こそが後にさまざまなバリエーションを見せるラバーマウントの原点。設計はあのエリック・ビューエルがH-D在籍時に担当し、5速ミッションも初採用された。

自らの手でデザインした左のページにあるFXLRを走らせるウィリー・G・ダビッドソンとタンデムシートに座る夫人の1枚。H-D創始者の孫にしてさまざまな名車を生み出したデザイナー、そして1981年にAMF傘下から会社を買い戻した「バイバック」の中心メンバーとして知られる人物だ。
1983 FXRT

風洞実験を繰り返し、生み出されたスポーティなフェアリングや利便性の高いサイドバッグを採用する「FXRT」は83年に登場。アンチダイブフォークをはじめ、さまざまな試みが見られるこのモデルだが、実は「ショベルヘッド」エンジンを搭載したのはこのファーストイヤーのみ(ごく少数が翌年にも販売)。ちなみに正式名は「FXRT Sport Glide」である。
1985 FXRT

84年にオールアルミ製の「エボリューション」エンジンが登場し、より走りの要素を高めたFXRTだが、この時代よりラバーマウントモデルならではの真価をより強く発揮。快適性が多くのライダーたちを魅了する。