

質実剛健な一足を日本から世界へ
日本におけるアメカジムーブメントの礎を築き上げたリビングレジェンドたちの貴重な証言を、Ptアルフレッド代表・本江さんのナビゲーションでお届けする連載企画。今回ご登場いただくのは、ドレス靴の最高峰と謳われる米国靴の日本導入における最初期の立役者であり、現在は浅草を拠点に独自の靴作りを貫く〈ウィールローブ〉を展開する「トライアップ」代表・工藤茂さん。
工藤さんのルーツは、東京・浅草の花川戸で履物問屋を営んでいた実家にある。1952年、浅草のど真ん中で生まれた彼は、戦後日本の職人気質と、忍び寄るアメリカ文化が混ざり合う熱狂の中にいた。
「高校時代は米軍基地に出入りする先輩の影響で、横田や横須賀の基地によく忍び込んでいました。本当は入っちゃいけないんだけど、知り合いの兵隊さんに頼んでね。そこで手に入れた〈ヴァン ヒューゼン〉などのボーイズサイズのシャツや、パーマネントプレスのパンツばかり穿いていました。当時、巷で流行っていた〈VAN〉などのドメスティックなアイビーには全く興味がなかった。PXの棚に無造作に置かれた、実用本位の本物のアメリカにしか関心がなかったのです」。
夜になれば恵比寿の中川三郎ダンスホールや銀座のディスコへと繰り出し、そこで知り合った仲間たちの中には、後に日本のセレクトショップ文化を築き上げる若き日の重松理氏らの姿もあった。
高校卒業後、地元の履物メーカーが集まる「元木」という産地で数年間、下請け回りの修行を積んだ後、先輩から「ケッズのスニーカーに詳しいか?」と誘われ、赤坂のマンションの一室で「ロイヤルケッズジャパン」を設立。
文字通り、大量にストックされた米国製スニーカーを全国の有力店へ広めるインポート実務から、彼のキャリアは本格的に始動した。
インポートの端緒と突きつけられた現実
1970年代後半から80年代、工藤さんは「レジートレーディング」や、その後に籍を置いた「ロデオドライブ」において、インポーターとして活躍を見せる。当時、後の「ビームス」の創業メンバーである重松氏から「〈ブルックスブラザーズ〉の靴をどこが作っているのか調べてほしい」という、今思えば日本の革靴文化に大きく貢献することになる歴史的な依頼を受け、ロサンゼルスに移住していた後輩の福島克俊氏を通じて辿り着いたのが、現在も靴好きの間で神格化されているあの名門シューメーカーだった。
「福島からサンプルが届き、それを重松さんに見せたことからすべてが始まりました。当時はコードバンの美しさすら一般には知られていないマニアックな存在でしたが、同ブランドを日本に最初に持ち込み、その背景にあるストーリーを言語化して広めていった自負はあります」。
工藤さんは福島氏と連携し、他にも〈コール ハーン〉や〈ダナー〉、〈ラッセルモカシン〉といった米国靴を次々と日本市場に導入していく。
「シップス」や「ビームス」といった大手の開店においても、〈ギットマンブラザーズ〉や〈アイク ベーハー〉のシャツ、さらには〈レッドウィング〉などの希少なインポート品を供給し、セレクトショップ黎明期の店内を本物のアメリカの空気で豊かに彩っていった。
しかし、蜜月だった米国ブランドとの関係にも大きな転機が訪れる。15年ほど前、工藤さんはかつて自らが開拓した同ブランドの本格的な総代理店展開を準備していた。事務所の看板を掲げ、豪華なカタログを作成し、全ラストのサンプルを揃え、スタート直前までこぎつけた。だが、運命は非情だった。契約を巡る諸般の事情により、ローンチ直前で断念を余儀なくされたのだ。
「訳あって手を引くことになりました。看板まで作ったのに、すべてが白紙になった。人生で一番の絶望を味わいましたよ。でも、そこで培ったアメリカ製への執念と、木型から構造までを知り尽くしたノウハウが、のちに自社ブランドを立ち上げる大きな原動力となったのです」。
自社ブランドの誕生と浅草人のプライド
2010年、工藤さんは不退転の決意で自社ブランド〈ウィールローブ〉をスタートさせた。当初はアメリカのシューメーカーにOEMを依頼し、本場のメイド・イン・USAとしてのデビューを飾ったが、急激な円安の影響や、海を越えた品質管理の難しさを痛感することになる。そして2014年、再び大きな決断を下した。
「アメリカの靴も、かつてに比べれば革の質が落ち、ぼくらが愛したあの武骨さが薄れてしまったように感じました。ならば、自分の目の前にある浅草の技術を使い、我々が理想とする最高の一足を作ろうと日本製にシフトしたのです」。
2015年春夏から本格始動した新生〈ウィールローブ〉は、工藤さんの情熱を継承しながらも、2010年に参画した息子・類さんにモノづくりとブランディングの主権を譲り、現在は父子二代での歩みを続けている。かつて自身がアメリカの巨大な工場で目にした、1日に何百足と流れるオートメーションの生産ラインではなく、職人の手が一足一足の木型と対話する浅草のスタイルを選んだのだ。
コンセプトは“質実剛健”。米国靴が持っていた旧きよき堅牢さをベースに、浅草の職人による繊細な仕上げと、履き込むほどに自分の足に馴染み、育っていく楽しみを備えた一足を目指す。息子である工藤類さんはこう語る。
「近年は木型からすべて内製化しています。単なる流行を追う靴ではない。何年も履き続けられる靴を、浅草という伝統ある地場産業の中で守り抜きたい。たとえ市場規模がかつての10分の1にまで縮小しても、浅草にはまだ本物の革があり、腕の良い職人が残っている。そんな伝統の火を消したくないのです」。
誠実なものを、次の世代へ
70歳を過ぎた今日も、父・工藤茂さんの鋭い視線は常に製作の現場にある。浅草の皮革産業が縮小し、かつての勢いが失われつつある現状を憂いつつも、かつての自分たちのように熱意を持って靴を志す新しい世代の台頭に強い期待を寄せている。
「浅草の街もマンションや民泊だらけになり、景色はすっかり変わりましたよ。その辺を歩いていた馴染みの職人たちの姿も減り、街としての匂いも薄れてしまった。でも、若い職人たちが小さな工房を立ち上げ、新しい感性で息吹を吹き込んでいます。かつてぼくらがアメリカのモノに熱狂し、必死にその価値を翻訳したように、今は自分たちの手で誠実なモノを作り上げ、日本から世界へと発信していく時代だと思うのです」。
取材当日、工藤さんは40年以上愛用してきたアイテムを前に、一点一点を愛おしむように語った。
「ファッションって、結局は“自分が本当に好きなもの”をどこまで貫けるか、そしてその美学をどう次へ繋ぐかだと思うんですよ。靴は消耗品かもしれない。けれど、良い革と良い木型、そして少しの手入れがあれば一生モノになる。一度壊れても直せるのが、ぼくらが選んだグッドイヤーウェルト製法の強み。そんな当たり前だけれど忘れられがちな大切なことを、これからも〈ウィールローブ〉という靴を通じて、そして浅草という場所を通じて、次の世代へと伝えていきたいですね」。
PXに通っていた青年が名だたる革靴のインポーターになるまで

厚手のキャンバスを使った〈ハンティングワールド〉の愛用ボストンバッグ。買い付けから家族旅行まで活躍した。
右上の写真の左は革靴界の裏の立役者として、海外の名ブランドを日本に紹介してきたフクシマさん。約15年前の写真。
左上の写真は足繁くPX(米軍基地内の売店)に通っていた10代後半の工藤さん。フローターシューズを履いている。
下の写真は50年ほど前、シップスの前身であるミウラ&サンズ時代に、元シップスの中村さんと買い付けで行ったアメリカにて撮影。
カットソーのOEMを手がけた創業当初のトライ・アップ

1990年に立ち上げたトライ・アップは、2008年ごろまでカットソーのOEMをメインに手掛けていた。取引先ブランドには〈ユナイテッドアローズ〉、〈ラブラドールレトリバー〉、〈ビームス プラス〉など。名門のトラッドブランドばかりが列挙される。
工藤茂さんの名靴コレクション






すでに多くの愛用靴を手放してしまっているという工藤さんだが、それでもまだ手元に残っていた希少なコレクションを見せていただいた。上から3つ目6つ目は、〈ウィールローブ〉名義で制作したモカシンシューズ。オイルをたっぷり含んだ“クロムパック”というレザーを使ったスリッポンと、高品質なフランス製の生ゴムソールとリアルファーを用いたスウェードシューズで、いずれもアメリカ・メイン州の名門モカシンメーカー〈ランコート〉が製作を手がけた。上から2足目は、〈スペリートップサイダー〉のデッキスニーカー。ボディからシューレースまでナイロン製。一番上の、工藤さんもかつてインポートに携わっていた〈コールハーン〉のデッキシューズは、なんと約40年以上前から所有しているというアメリカ製。下から2足目は、数年前までトライ・アップが輸入代理店として密にやりとりをしていた〈ランコート〉製のスウェードビットローファー。同モデルのスムースレザー製も所有している。下から3足目は、言わずと知れた名品〈オールデン〉の[990]。なかでも価値の高いホーウィン社製のナンバーエイトカラーのコードバンを使った1足だ
父から子に託された革靴への情熱。

自社ブランド〈ウィールローブ〉の実権を握るのは、工藤茂さんの息子である類さん。アメリカの旧きよき革靴の魅力を、浅草の丁寧なものづくりによって再現するブランドだ。定番モデルのVチップとプレーントゥは、それぞれワインハイマー社製ボックスカーフと、ホーウィン社製のクロムエクセルを採用している。手に取りやすい価格も魅力だ。左6万6000円、右5万5000円

絹のような肌触りのシープスウェードを採用した新作Uチップシューズ。手縫いのモカや、パイピングの色合いが、品のいいカジュアルを演出。5万5000円(問い合わせ/トライアップTEL03-5824-3190)
本江MEMO
本編ではあまり触れませんでしたが、これまでカットソーから革小物まで、工藤さんには多くの無理難題をおもしろがって付き合ってもらいました。カットソーでは写真のモックネックと、マリンボーダーのバスクシャツ、ジップカーディガン、ポケット付きのポロシャツ、ネックゲイターに至ってはたくさんの色を作ってもらったものです。当時ぼくが凝っていた自転車に合わせ、背面ポケット付きのサイクリスト仕様まで試作してもらい、恵比寿から浅草までロードバイクで打ち合わせに通ったのもいい思い出です。


このトートは、某老舗グラブメーカーから相談を受けて僕が企画し、同社がグラブに使用する革を用いて工藤さんに形にしていただきました。かつて松坂大輔さんや松井稼頭央さんたちも愛用した名品。試作第一号は今も義弟が使っています。
(出典/「2nd 2026年7月号 Vol.219」)
Photo/Yoshika Amino Text/Takehiro Hakusui Illustration/Maki Kanai
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