

職人業と機械業シャツの未来を縫い繋ぐ
日本におけるアメカジムーブメントの礎を築き上げたリビングレジェンドたちの貴重な証言を、Ptアルフレッド代表・本江さんのナビゲーションでお届けする連載企画。今回ご登場いただくのは、ドレスシャツの聖地・岡山に自社工場を構え、国内屈指の仕立てを支える「ドゥ・ワン・ソーイング」の取締役・藤井達也さん。
藤井さんのルーツは、東京・田町でテーラーを営んでいた祖父と父にある。1964年、東京都大田区池上に生まれた彼は、職人の背中を見て育った。池上本門寺の「お会式」の万灯が揺れ、太鼓の音が響く門前町で、幼い頃から当たり前のように重厚な英国生地やイタリア生地に触れ、高級生地の耳に付いたプラスチックの飾りをおもちゃにして遊んでいた記憶が鮮明に残っているという。
「当時はまだ“あつらえ”こそが正義という時代。サラブレッドなんて言われることもありますが、家業の厳しさも間近で見ていました。祖父や親父たちが3人で必死に針を動かしている姿は誇らしかったけれど、同時に既製品が怒涛の勢いで台頭してくる時代の変化も、子どもながらに肌で感じていたのです。父からは『これからは既製品の時代になる。お前はそっちを学べ』と、背中を押されるような、突き放されるような言葉をかけられたのを覚えていますね」。
高校卒業後、「これからは英語ぐらい喋れないといけない」と考え、横浜の専門学校で語学を学んだ。一度は電気部品の輸出入会社に内定したものの、卒業間際に運命が動く。学校に届いた求人票の中に、当時憧れていたブランド「JUN」の名前を見つけたのだ。
「直感でこれだ、と思いました。先生には内定を断る無理を言い、強引にファッション業界へと足を踏み入れました。普通のサラリーマンになるより、どうしても表現の世界、ものづくりの熱量がある場所に入りたかった。父が予見した“既製品の時代”の最前線に、自分を投じてみたかったのです」
大阪での「三型」修行の真髄
1980年代半ば、配属されたのは当時「JUN」の勢いを象徴していたアメトラブランド「ビバリーヒルズ」だった。熊本館の隣に位置した細長い自社ビルの3フロアを使い、一階がカジュアル、二階がテーラードという重厚な構成。そこは単なるショップではなく、アメトラの哲学を叩き込む学校のような場所だった。
「紋切り型のトラディショナルブランドでした。8月になれば、たとえ猛暑でも秋冬のツイードを着て店頭に立たなければならない。汗をかきながらも『お客さんを騙してでも季節を先取りするのがプロだ』という当時の教えや、村上さんという大先輩からの『そんな格好で店に立つんじゃねえよ』という、文字通りの叱咤激励は、今のぼくの血肉になっています。村上さんは本当に怖かった。でも、彼が見ているのは服の表面ではなく、着ている人間の覚悟だったんです。シャツの襟が少しでも曲がっていれば、接客をさせてもらえない。そんな環境で、ぼくは服と対話する基礎を学びました」。
そこで販売の真髄を経験するうち、関心は流行の最前線から、その裏側にある構造へと移っていく。1年で「JUN」を離れ、大阪に本社を置くアパレルメーカー「コスマース」へ転籍。
「営業として入社しましたが、企画にも口を出していたら『大阪へ来て本格的に勉強しろ』と言われ、平成の幕開けと共に拠点を移しました。当時は一型(アメリカン)、二型(ブリティッシュ)の長所を掛け合わせた三型(インターナショナル)という表現が紳士服業界の共通言語でした。企画、営業、生産、さらには少人数のチームで納品作業まで何でもこなしました。会社が廃業するという浮き沈みも経験しましたが、そこで服が『製品』として世に出るまでの、綺麗事だけではない、泥臭いプロセスを徹底的に叩き込まれたのです」。
世界最高峰のマシンメイドを目指して
その後、丸紅傘下の「パンサー」や、重衣料の名門工場「ファイブワン」での修行を経て、今から十数年前に現在の「ドゥ・ワン・ソーイング」へ参画する。ここで藤井さんは、生涯のテーマとなるシャツに全精力を注ぐことになる。
「当時は『ルイジボレッリ』などイタリアのハンドメイドシャツが脚光を浴びていましたが、繊細すぎて家庭で洗うとパンクしてしまう。高価なシャツを買っても、ケアが難しくて着る機会を失うのは本末転倒ではないか、3万円のシャツの価値とは何かを自問自答しました。ならば、家庭洗濯に耐える圧倒的な耐久性を持ちつつ、マシンメイドでしか到達できない精密さと美しさを備えた最高峰のシャツが作れるのではないかと考えたのです。ぼくらが目指したのは、熟練の職人がミシンの速度をコントロールし、針の進む音を聞きながら一針ずつ魂を込める、究極のマシンメイドです」。
現在は東京を拠点に企画を統括し、岡山の自社工場でオーダーラインを運用している。
「フルオーダーが絶対的な正解ではありません。既製品の完璧な黄金バランスを尊重しつつ、個々のサイズ不一致をカスタマーオーダーで補正し、愛着を持って長く愛用してもらう。それがぼくらの掲げる“後世に残るものづくり”の理想形。手仕事という言葉の響きに安易に固執するのではなく、現代のマシン技術を極めることで、工学的な美しさを両立させたいのです」。
産地の危機を救うパラダイムシフト
現在、日本のシャツ生地生産を支える静岡県浜松市や兵庫県西脇市では、職人の高齢化や騒音規制による稼働制限で深刻な供給難に陥っている。
「機屋の近隣に新興住宅が増え、夜遅くまで織機を回すと苦情が来る。産地そのものが消えてしまうかもしれない危機感があります。入手困難になれば上代も上がらざるを得ない。だからこそ、今ある良質な資源をいかに大切に使い切るかが問われています。ぼくらは社内に1000から1500種類もの生地をストックし、それを守り続けています。この生地たちは、もはや交換不可能な財産なんです」。
藤井さんが打ち出した戦略は、1色10枚などの縛りのない、組み合わせ自由な「合計10枚から」という極少ロットの生産体制だ。
「市場が少ロット多品種へシフトするなか、在庫リスクを低減しつつ多様なニーズに応える。1枚裁断、1枚縫製という手間はかかりますが、オーダーラインを持つ自社工場だからこそ、この柔軟な戦略が可能なのです。これは工場側にとっても、職人の技術を多方面に活かせる絶好の機会となりました」。
伝統を翻訳し時代に寄り添う一着
還暦を過ぎても藤井さんの好奇心は尽きない。目下、心血を注いでいるのは、独自の既製品ラインである“ドレス仕立てのカジュアルシャツ”だ。取材中も「今の子どもたちは、サイズが合わない服を着て首が凝るのを服のせいにしている」と、正しい着こなしを伝えることの大切さを熱っぽく語っていた。
「ファッションは変わり続けるものですが、ぼくらが作るのはあくまで日々に寄り添う道具です。袖を通した際の心地よさ、つくり手の誠実さを感じてもらえるシャツを、今の時代に合ったやり方で次世代へと残していきたい。それがぼくの、最後にして最大の使命だと思っています。1枚のシャツが、誰かの人生を少しだけ豊かにする。その瞬間を信じて、今日も岡山でミシンが回っているのです」。
知る人ぞ知るトラッドブランド「モーリス&クラフト」に携わる

「コスマース」在籍時に担当していた〈モーリス&クラフト〉のアーカイブ。まさに藤井さんが企画に携わっており、いまだに記憶も残っているという。「ブレザーは気に入って、よく着ていました」。

何着ものシャツを見てきた藤井さんのお気に入り


「アイ ジュンヤワタナベ マン」のBDシャツ。「随所の大胆な切り替えはこのブランドならでは。『ブルックス ブラザーズ』とのコラボモデルも持っていて、そちらもお気に入りです」


「『ブルックス ブラザーズ』のインラインではブラックフリースが好き。トム・ブラウンらしい遊び心が袖のあしらいに見て取れます」

「『サンリミット』のシャツも気に入ってますね。シャツなのにラグランだったり随所にパッカリングが入っていたり。どのシャツもそうですが、“再解釈されたトラッド”に惹かれるんです」
岡山に自社工場を構えるオーダーシャツブランド「DOIHOKOSHO」




「Pt.アルフレッド」から製作を任されたり、少誌でも幾度にわたって別注品製作を依頼したりと、トラッド業界からの厚い信頼を得ており実力は折り紙付き。東京では新橋に構える本店にて「DOIHOKOSHO」としてカスタムシャツのオーダーを受けている。襟型は約10型、生地は「トーマスメイソン」や「カンクリーニ」などの名門から、「カリビアン」というオリジナルファブリックまで、1000種以上の生地から選ぶことができる。最低価格1万4300円からオーダー可。(DOIHOKOSHO 東京都港区新橋1-15-1 IMAS新橋ビル3F TEL03-6273-3260 11:00〜20:00(土曜のみ〜18:00) 水曜日曜定休)
藤井さんが企画する目下進行中の新ラインに注目!

新たに企画しているのはオーダーではなく既製のシャツ。「トーマスメイソン」の生地を使った[イージーシャツジャケット]や、襟と袖のステッチを抜いたブロードシャツなど、いずれもユニーク。

[イージーシャツジャケット]のコーデュロイ版。アメリカ産オックスフォードを使用したBDシャツは、第3ボタンから比翼の“ハーフ比翼”仕様。いずれも天邪鬼な藤井さんらしいアプローチだ。
本江MEMO
25年ほど前、某誌の企画でシャツのセミオーダーを試みた際、百人百様の体型に寄り添う服の必要性を痛感しました。以来、自店でもサイズが合わないお客様への対応として信頼できるパートナーを探し続けてきました。藤井くんが在籍する「ドゥ・ワン・ソーイング」は、長年評判を耳にしていた工場。古い友人の紹介で出会い、原宿での打ち合わせを重ねてオーダーを開始しました。最近の酷暑に対応すべく、写真のスタンドカラーシャツも綿と麻の素材限定で彼のもとで生産しています。まさにスタンドカラーのような、イレギュラーなディテールへの対応力は、藤井くんの知見とノウハウあってこそ。西武渋谷店閉店の報が届く今、還暦の彼ですら業界では貴重。未来の服飾界のために、段ボールに眠る名刺を整理しながらこの記録を続けます。

(出典/「
Photo/Yoshika Amino Text/Takehiro Hakusui Illustration/Maki Kanai