70Sカルチャーがアメカジの起点となった
今日のアメカジにおける礎ともいえる様々なキーワード、流行が生まれたのは1970年代から90年代にかけてのこと。そのいずれの時代も日本のファッションの中心地である東京で、リアルタイムで経験してきたのが志村さんだ。日本におけるアメカジの幕開けと発展。その様相を志村さんはこのように回想する。
「70年代後半から80年代にかけて、“横ノリ系”と呼ばれるスタイルがアメカジの起点になっていたと思います。オフショア、タウンアンドカントリーのようなサーフブランドのアイテム、ファーラーのホップサックのパンツが人気でしたね。ウエスタンシャツやブーツカットなどのヒッピー系のスタイルも流行しました。そこにクラークスのワラビーやデザートブーツを履いたり、その少し前に一世を風靡したヴァンのアイテムを組み合わせたりと、良い意味で混ぜこぜのスタイルが多く見られました。自分も波乗りをやっていたので、ボルドーのTシャツにファーラーのホップサックパンツ、足元は神保町の平和堂靴店オリジナルのデザートブーツというスタイルでした。そこから80年代半ばに入り、欧米のリーバイスやラコステ、コンバースといった老舗が作る定番的なプロダクトが注目されるようになっていきます」
時を同じくして、日本では古着ブームが到来。当時10代後半だった志村さんも類に漏れず、古着店に足繁く通うようになる。フェローズは、アメリカ空軍のライトゾーン用フライトジャケット、L‒2A テストサンプルの忠実復刻からブランドがスタートしたが、志村さんが初めてフライトジャケットを手にしたのも、この古着ブームの最中であった。
「最初に買ったのはMA‒1です。裏地がセージグリーンのファーストモデルですね。当時は古着好きの間でも好みが細分化されていた印象でした。まずワーク派とミリタリー派に分かれ、ワークの中でも王道のリーバイスを好む層とストアブランド系を好む層、ミリタリーもフライトジャケットを中心に、レザーとナイロンとで好みが分かれていました。自分は自然とミリタリーに惹かれていきましたね。当時のMA‒1は、年代を問わずに古着店のひとつのラックにまとめられていて、2〜3万円で買うことができたこともあり、ヴィンテージが比較的手に入れやすかったという背景もあります」
70年代後半からの古着ブームが続くなか、東京、関西を中心にヴィンテージジーンズやフライトジャケットを忠実復刻するレプリカブランドが勃興していく。そこからアメカジという言葉、ジャンルが広く認知され、やがてメインストリームに駆け上がることとなる。俗にいう第一次アメカジブームだ。
「80年代半ばから90年代半ばにかけて、様々なレプリカブランドが登場しました。関西はジーンズ、関東はミリタリーをメインとするブランドが多かった印象です。フェローズもこの時代にあたる1991年に創業しました。今日におけるアメカジは、この時代に創業したブランドが牽引してきたといっても過言ではないと思います。自分自身は古着店に通うようになり、フライトジャケットから両Vのスウェットなど、様々なアイテムを購入してきましたが、アメリカ人向けでサイズが大きすぎたり、フィッティングに心から満足できたことはありませんでした。ひとりの消費者として、デザインは良いけどサイズには問題があると感じていたのです。その悩みを解決してくれる存在がこの時期に誕生したレプリカブランドの役割だったのだと思います。フェローズのモノづくりにおいても、旧きよきデザインやディテールを現代の生活に落とし込むこと、そして現代的なフィッティングで着られるような設計にすることを創業当時から大切にしてきました」
「気楽に着られてオシャレもできる。それがアメカジの魅力です」
2000年代初頭にかけてストリートファッションやユースカルチャーと結びついた裏原ブームが巻き起こった時代は、日本のアメカジシーンが少し落ち着いたと志村さんは分析する。そこから第二次アメカジブームと呼ぶ声もあがるほど、近年はアメカジの流行が老若男女問わずに伝播。このムーブメントはどのようにして生まれたのだろうか。そこには日本のアメカジシーンを担ってきたブランドの変わらないモノづくりと時代がマッチしたことにあると志村さんは考える。
「裏原ブームが落ち着いたという点もありますが、SNSが発達したいまの時代、“本当に良いモノ”を求める人々が増えたことも要因だと考えます。各ブランドが創業当初から変わらないモノづくりを続けています。フェローズに関しても、フライトジャケット、スカジャン、ジーンズ、ボタンダウンシャツ、ポロシャツ、ハワイアンシャツ、スウェット、チノパンなど、オーセンティックで長く着られるプロダクトを作り続けています。これらは、料理でいうところのさしすせそ(砂糖、塩、酢、醤油、味噌)であり、基本中の基本。流行に左右されることがありません。自分の思うアメカジの良さは、“気楽に着られて、それでいてオシャレもできる”という点です。したがって、本当に良いモノを求めると、アメカジに目が向くというのはある意味では必然であると言えるかもしれません。80年代後半のアメカジ黎明期、レプリカのフライトジャケットやジーンズが登場した際には消費者にとって珍しさがありました。しかし、いまは定番として当たり前に存在しています。当時若くてレプリカを買えなかった層が、大人となったいま、改めて注目し、購入しているという話も耳にします。この文化が時間をかけて定着したことが大きいのではないでしょうか」
そして現在、日本発のアメカジというカルチャーは、海をわたり韓国、中国、台湾、タイなどのアジア諸国を中心に世界的な広がりを見せている。また、ドイツやイタリアなどのヨーロッパの展示会に足を運んでみても、デニムのセットアップやフライトジャケットにカーゴパンツなど、王道のアメカジスタイルに身を包む業界人、服好きを目にすることができる。この状況を志村さんはいまのどのように見ているのだろうか。
「ある意味、逆輸入的なことが起きているのも昨今のアメカジの人気につながっているのかもしれません。ただ、第一次の時のような一過性のブームではなく、ひとつのジャンル・文化としてしっかりと根付いたアメカジだからこそ、より多くの人に興味を持ってもらい、楽しんでほしいですね」

左は志村さんが19歳の時に購入したオリジナルのMA-1。裏地がオレンジになる前のファーストモデルである。その隣はのちにフェローズからリリースした最初のMA-1。1991年に創業したフェローズのファーストコレクションで発表された、L-2Aのテストサンプルの忠実復刻に続く2型目のフライトジャケットであった。左から3番目のスタジアムジャケットは、1940年代の個体をベースにフェローズが製作。右のスカジャンはヴィンテージをベースにオリジナルの刺繍を入れた2023年発売の1着である。
(出典/「
photo/Ryota Yukitake 行竹亮太 text/Kihiro Minami 南樹広
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