高級住宅街にある僕ら好みのスイーツの店。
あ、勘違いなきように。芦屋の夫婦のケーキ店なんていうと「俺とは無縁だ」と心のハンドルを切り始めた人もいるかもしれない。
ハンドルを戻してほしい。ここはアメリカ好きにこそ刺さる店。何せレンガ色のシートがまぶしいダイナー風の内装、そこで食べられるのはチェリーパイやピーカンパイだ。そう、『ツイン・ピークス』や『恋人たちの予感』で見聞きしたアメリカンなスイーツを出す、日本では珍しい専門店なのだ。
「昔、WOWOWでアメリカ映画をよく観ていたんです。そこに出てきた食べ物や世界観が好きでこうなりました」と研さんが言う。うなずいて志保さんが続けた。
「『ハニーバニー』もかわいい店名だけどタランティーノの『パルプ・フィクション』で最初に出てくる強盗の女の子の名だしね」

「アメリカ映画の世界」と「強く優しく」に憧れた。
芦屋は研さんの地元だった。湊に近い南側。外で遊ぶよりもインドア派だったため、小学校の放課後は自宅に帰るとテレビを独り占めしていた。WOWOWで映画を観漁ったのはこの頃だ。
「ちょうど90年代。タランティーノとかの時代ですね」(研さん)
とはいえ映画も深く掘るほどではなかった。高校や大学では麻雀したり、クラブ通いなどもしたが、ハマるほどではなかった。
変わったのは就職後だ。
新卒で入った不動産会社がブラック過ぎ、すぐ退社。「ひとまず」のつもりで地元芦屋駅前にあった人気の飲食店『アマレーナ』でバイトし始めた。そこでハマる。
「1階がイタリア菓子を出すカフェで2階がレストラン。味も雰囲気も良い人気店でした。日々『美味しかったよ』『ありがとう』と言われる。前職との落差で、何ていい仕事なんだと」(研さん)
正社員になり、ホールもキッチンも没頭しながら仕事をするうち、すぐマネージャーになった。
その頃、店に転職してきたのが3歳下の志保さんだった。同じく兵庫でも伊丹出身の志保さんは、研さんと違い、まっすぐハマるタイプ。子供の頃は「強くて優しい女性」が理想でセーラージュピターに憧れた。だから小学生で少林寺拳法を学び、中高は柔道部。ただ高校卒業後は武道から離れる。
「まったく違う道へ。お菓子づくりをはじめました」(志保さん)
好きだった叔父が料理人だった影響もあった。短大で製菓を学んでから、パティシエとしてキャリアを積んでいた。その後『アマレーナ』に誘われて、転職した。
「イタリア菓子は作ったことがなかったんですけど」(志保さん)
しかしハマった。研さんがとったオーダーを志保さんが作る。研さんが提案する新作菓子のアイデアを伝え、志保さんが形にする。仕事がはねたら一緒に飲む。そんな日々の中で、恋仲になった。
「似てないとこに魅かれた面はあります。僕は慎重で考え過ぎるけど彼女はイケイケで」(研さん)
「何でもやったれ! みたいなね。柔道の影響かな」(志保さん)
転機は2019年、『アマレーナ』のオーナーが変わったことだ。芦屋にあった店は閉められ、ケーキと焼き菓子だけの店にして大阪に移転した。研さんはこのタイミングで店を辞める。志保さんは大阪に行ったが、1年後に離れた。
「別の飲食店に転職したけど、ただ忙しくて疲弊していた。なら自分らの店をしたいなと」(研さん)
「コロナ禍でしたけどね。『世の中より自分らのタイミングでしょ、やったれ』って」(志保さん)
そして2人はオーナーになる。
NYを食べ歩いた、「答え合わせ」の旅。
場所は馴染みの芦屋に決めていた。舌が確かな人が多いうえ、気に入った店や人を応援してくれる気持ちよさも2人の好みだった。メニューは前出の通りのアメリカンスイーツにした。映画で触れた憧れが一番の理由。スイーツ店が多い芦屋でもアメリカ菓子の店はなく、そこに勝機も感じていた。
「ただ私も研さんも当時はアメリカ本土には行ったことなく、本場の味は知らなかった。憧れとイメージで仕上げました」(志保さん)
ダイナーみたいな内装は2人とも好きだった映画にインスパイアされてデザイン。すごいのが、ほぼ2人でDIYで作ったことだ。
「不幸中の幸いで、コロナ禍で時間がありましたからね」(研さん)
店名は研さんがつけた。大好きな『パルプ・フィクション』の登場人物の中で、最もスイーツっぽさのある名前を選んだという。
「ヴィンセントもカッコいいけど、ちょっとビター過ぎる」(研さん)
そして2020年のオープン以来『ハニーバニー』はずっと人気店だ。クールな店構え。それも人目を集めたが志保さんが作る確かなケーキの味に常連が多くついたからだ。場所柄「懐かしい!」と言って通ってくれるアメリカ出身の客や駐在経験者も多いという。
「正直、ホッとしましたね。ただコロナがあけてすぐ、2人でNYへ。有名店のスイーツをとにかく食べ歩いて、憧れだけでつくった味の“答え合わせ”をする旅をしてきたんですよ」(研さん)
「それが結構正解だらけで。某店では2人で叫んだよね。『うちと一緒や!』って(笑)」(志保さん)
ケラケラと目を合わせて笑う夫婦。心地よく店に流れるサザンロックとバターの香り。「今日やってる?」とお客さんの声がする。まるで映画のワンシーンか。
まったくここは正解だらけだ。
ダイナーみたいなソファ席で、アメリカン・パイを召し上がれ。

芦屋の住宅街にある『ハニーバニー』。店名に「おや」となった人はきっとタランティーノ通。そう、『パルプ・フィクション』の冒頭で強盗するカップルの女性の名です。渋い(ケーキ店だけど)。

元調剤薬局だった17坪をアメリカンダイナー風のケーキ店に。「2人でデザインからちょっとした施工までDIYでやりました」(研さん)

焼き菓子は工具のように赤いツールボックスに入れてあります。マネしたい、すてきアイデア。

店内を見渡すとミア(ユマ・サーマン)も当然、いらっしゃいました。また観たくなってきた。
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