岡山県倉敷市・児島の変遷を辿る
江戸時代から続く繊維産業の地として栄える岡山県倉敷市・児島。昭和30~50年代頃には多くの働き手が集団就職などで訪れ、人口は一時8万人以上に及んだ。現在の児島ジーンズストリートはかつて味野商店街という百貨店や映画館の立ち並ぶアーケード街で、人々の集うメインストリートだったという。
しかし昭和63年頃になると大量生産を得意とする海外の工場にシェアを奪われ産業が縮小傾向に。さらに瀬戸大橋の開通や駅の移転により街の中心地が駅前へと変わったことで人通りが減少。再生を図るため、2009年にモモタロウジーンズなどを手掛けるジャパンブルーの創業者、眞鍋寿男さんを中心に児島ジーンズストリート推進協議会が発足した。
現児島ジーンズストリート協同組合代表理事の石橋さんは当時を振り返りこう語る。
「シャッター街を“ジーンズストリート”にしようという構想を初めて聞いた時は、正直アホかと思いました(笑)。それでも地道に続けていたら、徐々にメディアが取り上げてくれるように。3店舗から始まり、現在ではカフェや古道具店も含め54店舗が軒を連ねています。
私自身、高校卒業後にジーンズの加工工場に就職して独立した身。繊維産業に支えられてきたから、今度はジーンズを通じて地域に貢献したいんです。紡績から加工まで車で10分で行ける範囲にすべて揃っているところなんてきっと他にないですし、海外のように効率的な大量生産はできないけれど、日本製のセルビッジデニムには最新の機械では出しえない良さがある。その魅力をこの場所からもっと広めていけたら。
宿泊施設や飲食店が少ないなど課題もありますが、児島をジーンズの都にしたいという眞鍋さんの言葉を引き継いで、まずは加盟店100店舗を目指しています。作り手を志す若者や海外からの観光客を積極的に誘致していきたいですね。そしてジーンズストリートから街全体へと賑わいを広げ、いつかはジーンズで児島を世界一の街にすることが今の目標です」。

全盛期の味野商店街は、人がすれ違うときに肩がぶつかり合うほど賑わっていたのだとか(画像提供:児島商工会議所)

児島ジーンズストリート協同組合代表理事・石橋秀次さん


駅から大通りを歩いていくと現れる、大きな看板が目印。国内外から観光客が訪れ、皆がこの街のドレスコードかのようにジーンズを穿いているのが印象的だった。
児島ジーンズストリートの年表
1618年
干拓により児島が本州と地続きになる
江戸時代初期
塩分が強い干拓地は稲作に向かず、代わりに綿花栽培が盛んになる
1918年
綿花を原料にした繊維産業が発展し、本格的に学生服の生産が始まる
1988年
瀬戸大橋が開通し、児島駅が移転。さらに駅前に大型の百貨店ができ、街のメインストリートであった味野商店街が徐々に活気を失っていく
2005年
愛知万博ではじめて児島を「日本のジーンズ発祥の地」としてPR
2009年
シャッター街を再生するべく児島ジーンズストリート推進協議会が発足
2026年
6月現在で54店舗が児島ジーンズストリート協同組合に加盟
(出典/「
photo/Ryota Yukitake 行竹亮太 text/Komichi Nakamura 中村こみち
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