2ページ目 - ヨーコさんの評伝を実現させるまでは死ねない|ビートルズのことを考えない日は一日もなかった 特別対談 Vol.18 藤澤志穂子

中1でビートルズにハマりビートルズ・シネクラブ入会

『ビートルズ・バラード20』

竹部:なるほど。それがジョンに影響を与えたのではないかと。藤澤さんが最初に惹かれたのっていつぐらいからなんですか。

藤澤:ビートルズを知ったのは1979年、80年あたり。あれ、竹部さんは何年生まれ?

竹部:67年です。

藤澤:同じですね。

竹部:でもぼくは早生まれだから、藤澤さんより1学年上だと思います。だから79年の藤澤さんは小6ということですね。

藤澤:わたしは新聞を読むのが大好きな子どもだったんです。会計事務所を経営していた祖父が全ての全国紙を購読していたので、よく読んでいたんです。70年代後半の新聞にはビートルズ再結成か、みたいな話がよく載っていて、そこでビートルズってなんだろう? って思ったんです。1980年に入って、1月にポールが逮捕されたことはすごく覚えていますよ。新聞にも大きく載っていたし、テレビでも毎日のように取り上げられていましたよね。

竹部:はい。ぼくはそれでポールの存在を認識して、ビートルズを聴いてみようと思ったわけですから。藤澤さんもそれでビートルズの音楽を聴いてみようとは。

藤澤:すぐにそうは思わなくて……。80年1月はちょうど中学受験の直前だった。それで4月に学習院女子中等科に入るわけですが、その年の夏か秋くらいに「レット・イット・ビー」が使われた民放のドラマがあったんです。内容はよく覚えていないんですが、悲しい物語で。そのテレビドラマを見るまでは「レット・イット・ビー」も知らなかった。

竹部:そんなドラマがあったんですか?

藤澤:それでビートルズっていいなと思った矢先、ジョンが死んじゃった。テレビのニュースで見たのを覚えていますね。ダコタハウスの前にファンが遅くまで集まっているという映像で。

竹部:『ニュースセンター9時』ですかね。その翌日から新聞、テレビのニュースは大騒ぎでした。

藤澤:あの後、朝日新聞の一面広告がありましたよね。ヨーコさんが出した。

竹部:ありましたね。今思えばあれもヨーコのすごいところで。

藤澤:それから母親もビートルズが好きだったと言うのを知って、「ヘイ・ジュード」「イエスタデイ」もいいわよ、なんて教えてもらって。ドーナツ盤を買ったり。あと、バラードばかり集めたベストがあったじゃないですか。あのレコードを最初に買ったんですよ。

竹部:『ビートルズ・バラード20』。あれは80年の末に出たアルバムです。

藤澤:いいなと思って。確か「ペニー・レイン」の最後にホルンがちょっと入っているバージョンのやつも入っていましたよね。あれのほうがいいなと思ったりして。

竹部:それは『バラード20』ではないです。『レアリティーズVOL.2』ですね。でもそれも80年リリースですから、時系列としては合っています。

藤澤:そうなんですね。それから『ラバー・ソウル』『リボルバー』を買ったのかな。

竹部:中1で周りにビートルズが好きな人っていました?

藤澤:いなかったです。でもビートルズ好きな英語の先生がいて、その先生と情報交換をしたりしていました。

竹部:そこでヨーコさんが先輩であることを知るんですか。

藤澤:そうですね。学内でヨーコさんの話が出ていました。ヨーコさんを知る先生が校内の会報誌に思い出話を書いていたり。「意志の強い目が印象的だった」みたいな。あれから46年も経っているわけですから、さすがにもう当時の先生や同級生の人も亡くなっているか、施設に入られているかで。今のうち私が残しておかないと、そういう証言も埋もれちゃうっていう心配がありますね。そういえばこの間、軽井沢の離山房に行ったんです。70年代にジョンとヨーコがショーンを連れてサイクリングの途中によく行っていた喫茶店ですね。評伝のネタにならないかなと思って。店主の方と話をしたら、前のオーナーの手記など見せていただいたのですが、冬場は閉めるので商売が難しく、「もう店を閉めたい」って言っていたんですよ。軽井沢にジョン一家が来ていたって、海外で知られているのかどうか。そういう話を聞くと、焦ってしまって……。

竹部:早くしないと。話を戻しますと、藤澤さんは、中1でビートルズにハマってレコード買い、さらにビートルズ・シネクラブに入るんですよね。

藤澤:そうです。81年。

竹部:その頃ファンクラブに入った人かなり多いと思います。

藤澤:ジョンが亡くなって、ビートルズが話題になることが多かったからですかね。毎月会報が送られてきて、それを読んでいました。あと映画が見られたじゃないですか。『ハード・デイズ・ナイト』とか。

竹部:復活祭ですね。

藤澤:あれに行っていました。動くビートルズに感動したし、それと同時にスクリーンの中で叫ぶビートルマニアの女子たちを見てまた感動して。わたしと同じ気持ちだと思って。

竹部:わかりますよ。僕も本気でハマったのは『ハード・デイズ・ナイト』を観てからですから。

藤澤:いい映画ですよね。『ハード・デイズ・ナイト』を観て、リアルタイムでビートルマニアを体験したかったなって思って。でも思えば64年って、当時からみればほんの十数年前のことですよね。でも当時14歳の女子にとって生まれる前の、大昔に思えた。

竹部:ほんとうに。

藤澤:ビートルズの来日コンサートの映像も復活祭で観ました。ビートルズの映像は全部そこで見ました。グッズも買っていましたよ。生写真とか買ったかな。ひとつ強烈に覚えていることがあるんです。復活祭って毎回くじ引きがあるんですよね。来場者サービスで。それでわたし1等が当たって、ビートルズの小さなトランクみたいなものをもらったことがあるんです。

竹部:そんなくじ引きなんてありましたっけ?

藤澤:あったんですよ。もらったトランクはどこかに行っちゃいましたけど、すごく覚えています。あとブートレグのカセットテープとか売っていませんでしたっけ。通販で買った記憶があるんですが……。

竹部:売っていました。覚えている音源はあります?

ポールはビートルズの曲を歌うけどビートルズじゃない

1981年夏に公開された映画『ロックショウ』

藤澤:雑音ばかりで聞いても楽しくなかった(笑)。音も悪かったじゃないですか。あと、ポール・マッカートニー&ウイングスのライブ映画を観に行きました。

竹部:『ロック・ショウ』。当然行きましたよ。銀座に。

藤澤:テアトル東京ですよね。あれはいつでしたっけ?

竹部:81年の夏休み。

藤澤:ポールの映画を観に行きたいって母親に言ったら、映画館にひとりだと危ないからってついてきてもらった。劇場で入場記念の缶バッヂもらって、それを学校のカバンにつけていました。ポールの落書きみたいな絵が描かれた、黄色と青の色をあしらったバッジで、壊れるまでつけていました。お気に入りでした。

竹部:完全なビートルマニアじゃないですか。

藤澤:恥ずかしいですけどね。それからはビートルズ以外の音楽に興味を持ちだすんです。『ベストヒットUSA』が始まって、アメリカのチャートを聞くようになるんです。

竹部:『ベストヒットUSA』のスタートは81年4月です。

藤澤:初回放送の1位がジョンの「ウーマン」でした。

竹部:そうでした。あの番組はたまにビートルズ関連の映像流してくれたんですよ。「カミング・アップ」を見たとき感動しました。

藤澤:世代的に『ベストヒットUSA』は大きかったですよね。ジョージの「オール・ゾーズ・イヤーズ・アゴー」も流れていましたね。

竹部:81年夏のヒット曲。あのビデオも最初に見たときは感動しました。あとはなんといってもポールの『タッグ・オブ・ウォー』。ビートルズファンとしていちばん熱が上がっているときに出たアルバムで、『ベストヒットUSA』でも「エボニー・アンド・アイボリー」や「テイク・イット・ウェイ」とか毎週のようにかかっていました。今はもう『タッグ・オブ・ウォー』ってあまり聞かないアルバムではなんだけど、当時は大傑作だと思って毎日聴いていました。

藤澤:ほんとうに。だって『タッグ・オブ・ウォー』って初登場3位か4位じゃなかったですか。当時、ビルボードチャートをチェックしていたので。

竹部:それでチャートにも詳しくなっていくんですか。

藤澤:ビルボードチャートは81年ぐらいから意識して、ランクインした曲は全部聞いていました。ラジオ日本の『全米トップ40』ですよね。

竹部:『ベストヒットUSA』が終わった土曜の深夜。

藤澤:86年に大学に進学したんですけど、そのときに早稲田大学の全米トップ40研究会に入ったんです。ただここはDJ志望の人が多くて、よりチャート研究に力を入れていた、東大のビルボード研究会に移って。サークルに入ると、当時は米国から郵送されてきたビルボード誌を毎週読めたんです。そういう感じで、80年代はビルボードチャートを通じて音楽を聞いていたんです。

竹部:でもこの頃からビートルズ関連のヒットがなくなっていくんですよ。ポールもジョージもリンゴも。暗黒時代です。

藤澤:たしかにそのあたりから追えなくなっていきました。「セイ・セイ・セイ」も悪くはないけど、マイケルの人気に便乗している感じがありましたし、映画『ブロード・ストリート』は一応見ましたが……という程度で。

竹部:ポールの迷走が始まるんですよね。『プレス・トゥ・プレイ』についてはあえて聞きません(笑)。ちょっと飛びますが、90年の来日公演は行かれました?

藤澤:もちろん行きましたよ。ビルボード研究会の誰かが取ってくれたチケットで、席はアリーナだったと思います。ビートルズの曲を歌っていましたよね。リンダもいて。最後に2人でステージから去ってく姿は今でもよく覚えています。

竹部:いかがでしたか?

藤澤:でもわたし、その前に見たストーンズのほうが感動したんです。

竹部;なんと。それはまたどうして。ぼくもストーンズは観ましたが。

藤澤:ポールはビートルズの曲を歌うけど、ビートルズじゃないわけですよね。でもストーンズはストーンズじゃないですか。

竹部:おっしゃる通り。正論ですが。

藤澤:あれがビートルズだったらストーンズどころの騒ぎじゃないですけど、やっぱりビートルズじゃないというのが大きかったかもしれないです。

竹部:そうなんですね。僕はこのときのポールの来日に人生のすべてをかけて挑みまして全日追っかけをしていたので。藤澤さんの意見は貴重な見解として受け止めておきます(笑)。

2015年のポール・マッカートニー日本武道館公演

藤澤:とはいえファンなのでそのあとポールの公演は全て、来日するたびに東京ドームで最低1回は見ています。、日本武道館でも見ました。南西2階の最上段の席で。5万円ぐらい払ったと思うけど、それでもいちばん安い席だったんじゃないですかね。

竹部:今度はどうでしたか。

藤澤:それも感動しなかったんです。

竹部:そうなんですね。でも実は僕もそうなんです。感動する気満々で武道館に行ったのに、乗り切れなかった。

藤澤:なんなんですかね。

竹部:なんなんですかね。だからその次の武道館は行かなかったんです。でも、ひとつ自慢があって。武道館の席は1階南西のいちばん前だったんですね。そこで持参したユニオンジャックの大きめのタオルを持って時折振っていたんですよ。そしたら、オフィシャルのカメラマンがステージから客席を撮った写真にそのユニオンジャックが映っていたんですよ。それが雑誌の表紙にもなった。

藤澤:そうなんですね。

竹部:余談ですいません。それで、ちょっと藤澤さんのキャリアの話に戻りたく。大学卒業後は産経新聞に入社されて、記者の仕事をされてということですが、そもそも、ジャーナリスト志望だったんですか。

藤澤:さきほども話したように小さい頃から新聞を読むのが好きだったので、将来は新聞記者になりたかったんです。だから高校生の頃から大学生ぐらいまで読売新聞と毎日新聞の学生新聞でアルバイトをしていたんですよ。で、就職は各新聞社を試験を受けたんですが、受かったのは産経新聞と北海道新聞。それで、全国紙の産経に行って、途中で朝日新聞に移ったこともあるんですよ。2年くらいいてまた産経に戻ってきた。産経新聞では東京経済部に長く在籍しました。

竹部:そうだったんですね。一時期ニューヨークに行かれていた。

藤澤:2006年から2007年にかけてのことです。当時の産経新聞社に40歳までの人に最長1年2か月留学させてもらえる制度があったんです。社内選抜の試験に苦節5年でやっとパスしまして、英語圏、ロシア語圏とか、いろいろある語学の中から英語圏を選んだんです。じゃあどこに行こうかって話になったとき、コロンビア大学の研究所に行けるルートがあったので、それを選んで、ニューヨークに行ったんです。やっぱり行くならニューヨークと。ライブにたくさんいけそうだなと。なのでまるっきりの「音楽留学」みたいなもので、夜な夜なライブに出かけていました。クラシック、ジャズ、ロックと手あたり次第行きましたね。大学は国際関係の研究所とビジネススクールの研究員もやりまして。それで、私が借りたアパートが、マンハッタンの真ん中、ルーズベルト病院の隣だったんです。

竹部:ジョンが撃たれたあとに担ぎ込まれた病院ですね。

藤澤:そうそう。そうだったっていうのは後になって知るんですけどね。ダコタハウスからいちばん近い病院ということですよね。

竹部:ダコタの印象はいかがでしたか。

藤澤:建物の中に入ってみたいと思ったんですけどガードが固くて入れない。でも住んでみると、ダコタはニューヨーカーにとってはひとつの風景ですよね。あの頃はまだヨーコさんも健在で、どこそこの蕎麦屋でよく見かけるとか、そういう話を聞きました。わたしがよく行っていたホールフーズっていうスーパーマーケットにオノ・ヨーコ・マムという花が売られていたんです。小さな菊みたいな花だったんですが、地元に馴染んでいるんだなと思いましたね。あと、ちょうどヨーコさんが『イエス・アイム・ア・ウィッチ』ってアルバムを出されたときにバーンズ・アンド・ノーブルでサイン会が行われたんです。そのときもCDを買って並んでヨーコさんにサインしてもらったんです。

竹部:なにか話したんですか。

藤澤:「わたし、学習院の後輩なんです」って日本語で言ったら「そう」って。それだけ。

竹部:ヨーコらしい(笑)。結構ヨーコさんに会っているんですね。

藤澤:あとは、ポールの『リバプール・オラトリオ』をカーネギーホールに見にいったら、ポールが来ていたんです。『リバプール・オラトリオ』って覚えています?

竹部:90年にポールが作ったクラシックですよね。あの初演がリバプールであったんですが、結構知り合いが見に行っていました。

藤澤:よかったですか?

竹部:ぼくは行っていないんですが。

藤澤:わたしの席の上にバルコニーがあって、そこにポールがいて、スタンディングオベーションのときにポールが見えたんです。でも音楽自体は全然感動しなかった(笑)。

竹部:『リバプール・オラトリオ』って、一度もまともに聴いていないかも(笑)。

藤澤:この人、無理してクラシックやらなくてもいいのにと思いましたよ。ビートルズが最早クラシックなんだしと。

竹部:90年の来日のとき、NHKのインタビューを受けていて、そこでポールは「僕はもう年だから今後はロックはやらなくなるかもしれない。クラシックに挑戦しようと思うんだ」みたいな発言をしていたんです。今思えばまだ47歳ですよ。その第一弾が『リバプール・オラトリオ』でした。

藤澤:そのあともクラシックやったんでしたっけ?

竹部:たまにやっていますよね。「ア・リーフ」っていうピアノのクラシック曲は好きなんですけどね。

藤澤:あとはリンゴのオールスターバンドをラジオシティミュージックホールで観ました。

この記事を書いた人
竹部吉晃
この記事を書いた人

竹部吉晃

ビートルデイズな編集長

昭和40年男編集長。1967年、東京・下町生まれ。ビートルズの研究とコレクションを40年以上続けるビートルマニア兼、マンチェスターユナイテッドサポーター歴30年のフットボールウィークエンダーのほか、諸々のサブカル全般に興味ありの原田真二原理主義者。WEBメディア『昭和MILD(https://showamild.com/)』もよろしくお願いします。
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