2000年にリリースされたニーネの名盤『8月のレシーバー』
竹部:大塚くんと最初に会ったのは、2000年ぐらいじゃないかなと思うんですよ。確かニーネの『8月のレシーバー』が出たときだったかと。
大塚:そうだっけ。どっかの雑誌に紹介してくれたんだっけ。
竹部:『オリコン』の業界誌でインディーズページを担当していたことがあって、そこで紹介したんですよ。『TVブロス』でのレビューを読んでCDを買って興味をもって。
大塚:『ブロス』で青木優さんが書いてくれてね。
竹部:そうそう。タワレコの新宿店でも大プッシュされていたでしょ。
大塚:行(達也)さんが売ってくれたんだ。
竹部:それで大塚くんに連絡したのかな。電話したのかな。そこから親しくなって、ライブに行ったりして。その頃、渋谷クアトロでニーネのライブを観た記憶あるよ。
大塚:そっか。
竹部:大塚くんのメールっておかしくて。毎回必ずアイドルの写真が添付されているの(笑)。それが楽しみになってきちゃって、今日は誰かなって。それから自分もお返しするようになって。
大塚:行さんとも同じようなやり取りしていたんだよ(笑)。
竹部:あの人、ハロプロが好きだったよね。思い出したけど、大塚くんは市川由衣推しだったよね。
大塚:そうだね(笑)。
竹部:ニーネの歌詞にも登場していたよね。市川由衣。「夏休みは終わりだ」って曲。いい曲なんだよね。
大塚:竹部くんから市川由衣のCDとDVDもらったことがあったよね。
竹部:あげたかな。あと、自分が主催する歌謡曲のイベントにもよく出てもらったよね。ライブをやってもらったり、貴重な歌謡曲の映像を上映してもらったり。思い出したけど、小沢健二の神奈川県民ホールでも偶然会ったよね。
大塚:あったね。
竹部:だから、大塚くんとビートルズの話をした記憶がなくて。
大塚:うん、ちゃんと話をしたのは『ビートルズ・ストーリー』だよね。
竹部:今日会うのはあれ以来なんだよ。7年ぶりかな。でも、どこで大塚くんがビートルズ好きなのかを知ったのかが思い出せない。『ビートルズ・ストーリー』に出てもらったのも何かのきっかけがあって、依頼したと思うんだけど……。
大塚:そうだね。でも僕も相当ビートルズが好きだったから、やり取りの合間にちょこちょこ出ていたんじゃないのかな。
熱心なビートルズ・シネ・クラブ会員時代
竹部:そういう大塚くんのビートルズ初体験っていうのはいつなの?
大塚:厳密に言うと、幼稚園のときに観た『ポンキッキ』だと思うよ。でもちゃんとビートルズを意識したのは、ジョンが死んだ直後だね。小2から小5まで父親の仕事でタイに住んでいたんだよね。ジョンのニュースはタイで新聞で見たんだ。日本語の新聞が一日遅れで届くんだけど、それで知った。でもその時はまだジョン・レノンがどういう人かまではよくわかってなかったんだ。日本に帰ってきたのは81年、小6のときだったんだけど、その頃からかも。
竹部:大塚くんって何年生まれだっけ?
大塚:70年の早生まれで、学年は69年の代。そうそう。それで当時、家の近くに貸しテープ屋さんっていうのがあったんだ。
竹部:テープ?レコードではなく?
大塚:そう。店というか部屋の端に別部屋があって、そこにダビング機械が置いてあるの。そこでテープを10倍速でダビングできたんだ。
竹部:貸しテープ屋って聞いたことないな。貸しレコード以前の話でしょ。
大塚:そうだね。友&愛とかもうあったかもしれないけど、そのお店はテープがメインだったんだ。借りるといっても、別室でダビングしている間だけなの。すぐ返して。でもそれが違法だっていうんで警察が入って撤収されて潰れた。
竹部:法の目をかいくぐったように見せたビジネスだったんだね。
大塚:お客さんも店の別室で勝手に機材を使っていますよっていう感じだった。
竹部:今じゃ信じられないサービスだね。でも大塚くんのビートルズ体験を語る際、そこは重要であると。
大塚:そうそう。そこにジョンのベストがあったの。ジョンの顔のアップのジャケのやつ。
竹部:『コレクション』だね。あれは82年だよ。
大塚:そっか、そしたら最初は『リール・ミュージック』かも。『リール・ミュージック』ってそれより前?
竹部:その前。82年4月。
大塚:じゃあ、最初は『リール・ミュージック』かな。輸入版テープを買ったんだ。近所のディスカウントショップで1500円ぐらいだったかな。高いとは思ったけど、 なんか無性に欲しくなって買ったんだ。82年だから中1だね。その頃『アニメ・ザ・ビートルズ』もあったよね。あれを観ていてあっと思って買ったのかもしれないな。『アニメ・ザ・ビートルズ』が先か『リール・ミュージック』が先かっていうのはちゃんと覚えてないけど……。あと、ドラムのロゴのビートルズマークをくりぬいて、そこにビートルズの写真がいっぱいコラージュされているベストが出たでしょ。あれも買ったよ。はまったな。
竹部:それも82年。出たのは年末だよ。ほんとにハマったのは82年なんだね。
大塚:でもその前に『レアリティーズ VOL.2』を買っているかな。
竹部:あれは80年リリース。ジョンが死んで、直近リリースの『レアリティーズ VOL.2』を買ったのかもしれないね。『レアリティーズ VOL.2』っていうのもまた渋いけど。
大塚:ということは小6だ。タイから日本に帰ってから近所のレコード屋さんによく行くようになって、なんとなく買ったんだ。「アイム・ザ・ウォルラス」がすごく好きで。
竹部:『レアリティーズ VOL.2』に入っている「アイム・ザ・ウォルラス」は通常バージョンと違うんだよね。
大塚:そうそう。その頃は気になるレコードはなんでも買っていたんだ。もともとはバンドが好きで、ゴダイゴ、ザ・タイガースとか。ちょうどタイガースが復活したでしょ?
竹部:大塚くんの音楽の趣味は雑食だよね。
大塚:演歌や歌謡曲も好きだったしね。春日八郎、五木ひろし、布施明……。しかも渋い曲が好きでさ(笑)。小学生なのに「めぐり逢い紡いで」って曲が好きだったんだ。知ってる?
竹部:知らないよ(笑)。そういう友達いなかったでしょ。ビートルズはそういう音楽のワン・オブ・ゼムだったということ?
大塚:ビートルズファンもいなかったね。だからひとりで楽しんでいたよ。
竹部:狂ったようにビートルズが好きだったと。
大塚:もう1日中ビートルズで、それが毎日。親には「勉強する」って言って、机に座って歌詞をカード見ながら歌ったり。英語はビートルズでずいぶん助かったよ。授業で習う前にビートルズで英単語、過去形、未来形、進行形なんかを覚えるんだよね。朝もタイマーでビートルズのレコードをかけて起きてたよ。『ホワイト・アルバム』で。
竹部:いいね(笑)。学校から帰ってくると、またビートルズ。
大塚:中2の時はクラスにビートルズが好きな友達がいたから、休み時間もずっとビートルズの話をしていたよ。家では自分の好きな曲を集めたカセットテープを作ったりしまくってた。
竹部:同じですよ。でも 80年代ってビートルズにとっては暗黒期だったと思っていて。ポールは捕まって、ジョン死んじゃうし、ジョージも『ゴーン・トロッポ』以降隠遁生活に入るし。そんななかでファンにとってファンクラブの存在は大きかったのかなって思うんですよ。大塚くんはすぐにビートルズ・シネ・クラブに入ったの?
大塚:入った。中2かな。81年だと思う。あれ入っちゃうよね。だって、いろんなところにシネ・クラブって書いてあるから。なんだろうって思うよね。
竹部:レコードから書籍から、とにかくいろんなところに入会案内が書かれていたよ。
大塚:こういうのとかね(と言って持参の小冊子を出す)。それでシネ・クラブに入ったんだと思う。会報が楽しみでね。いまだに持っていて今日持ってこようと思ったんだけど、見つけられなくて。実家にあるんだと思うんだけど。
竹部:シネ・クラブの会報は毎月来るわけじゃない? 当時は情報といえばそれしかないわけだよね。
大塚:表紙もかっこよかったし。見たことない写真でね。メンバーの近況やビートルズの最新情報が載ってて。あとはグッズも販売していたでしょ。それをすごく楽しみにしていて。それもまだ全部取ってあるよ、福袋も買っちゃったり。マフラーを持っているんだけど、マフラーなんて自分で選んだ記憶がないから福袋に入っていたんだと思う。
竹部:結構なヘビユーザーだったんだね。何年ぐらいまで入ってた?
大塚:会報が結構残っているから、3~4年は入っていたんじゃないかな。
竹部:会員を更新すると映画のフィルムをもらえるんだよね。
大塚:そうだっけ? そうだったかも。
竹部:実は自分はシネ・クラブには入ってなかったんですよ。
大塚:そうなんだ。
竹部:高校のときの仲のいい友達が入っていて、毎月会報を貸してもらっていたんですよ。封筒ごと貸してくれるから、そのなかに更新時の特典も入ってて。
大塚:だからわかるんだね。
竹部:自分はコンプリートビートルズ・ファンクラブっていうのに入ってたの。でも、「復活祭」には行ってた。最初に行ったのが82年8月の九段会館。日本公演の映像を観た。
大塚:ぼくも見たかもしれないな。演奏が下手だなと思った覚えがある。九段会館でシェアスタジアムのライブを観たことは覚えているな。毎回4、5本立てでやっていたでしょ。
竹部:5時間ぐらいやってた。当時の「復活祭」ってすごく盛り上がっていたよね。超満員で、しかも若い人ばかり。
大塚:ビートルズの映像は見られなかったからね。ビデオは高かったし。
竹部:「復活祭」はグッズ売り場も盛り上がっていたよね。
大塚:日本公演のレプリカパンフレットを買ったよ。物差しやノート、缶ペンケース、紙袋とかたくさん買った。同じものを3枚ぐらい買ったり。買う気満々で行くからさ(笑)。
竹部:確かに「復活祭」に行くと、買わなきゃみたいな気持ちになったよね。事前に買うものをメモしている人とかいたよ。「これとこれとこれ。全部ください」みたいな(笑)。なんか殺気立っていたよね。あそこに入ってくのが大変で。あのなかに大塚くんいたんだね。
大塚:いたね。いいカモだったよ。ほんとに。
竹部:前の方で見たいから毎回一番乗りしてたんだけど、そうすると、スタッフの人が寄ってきて「君たち、手伝ってくれないかな」って言われるの。「その代わり好きなグッズひとつと観たい席を確保していいよ」って。何度か手伝ったことがあるんだ。
大塚:そうなんだ。
竹部:何をやったか覚えてないんだよね。売店に立ったのかな。でも売店に立つってことはお金を扱わなきゃだからボランティアにそこまでやらせないよね。
大塚:グッズの搬入とかかね。箱からものを出したり。どんどん売れていたからね。
竹部:飛ぶように売れるというのはまさにあれですよ。
大塚:今日はこれを持ってきたよ。レノングラス(笑)。シネ・クラブで買ったんだよ。アホだよね(笑)。似合わないから全然使ってない。
竹部:すごい(笑)。これ貴重。でも単に丸いサングラスだよね。どこがジョン・レノンなんだという(笑)。自分もジョンに憧れていたから、新宿の思い出横丁あたりにあったサングラス屋で同じようなもの買いましたよ。
竹部:「復活祭」って5時間ぐらいやっていた長丁場なのに、グッズの売店はあったけど飲食の売店はなかった気がするんですよ。
大塚;お腹すいちゃうね。
竹部:我慢していたんだよね。会場でシュエップス試飲会やっていたのは覚えてるな。
大塚:うん。リンゴがCMやっていたからね。
竹部:じゃあそのときに会ってるね。
大塚:シュエップス美味しかったよ(笑)。
欲しいものがなんでも揃っていた高田馬場ゲット・バック
竹部:炭酸が効いてて。その頃「ゲット・バック」にも行ってるんでしょ?
大塚:高田馬場時代のね。行ったよ。駅からちょっと離れた線路沿いの道のところにあって。そこに行ったら全部欲しいって感じだった。プロマイド、文房具、ポスター、写真集、海賊盤、なんでもあったよ。ビートルズのものなら全部ほしいと思っていたから、感動だよね。でもお金が足りないんだよ(笑)。
竹部:行ったことないんですよ。存在は知っていたけど。
大塚:「ゲット・バック」はすごかったよ。毎週のように通ってた。ほんとに。「ゲット・バック」で買ったポスターを部屋に貼ってたし。
竹部:西新宿のブート屋は行っていたんだけど、高田馬場には行かなかったんだ。
大塚:僕も行ってたよ、西新宿。あの頃、なんだっけ、未発表曲アルバムが出るって盛り上がったことがあったよね。でも結局出なくて、そのあとブートがいっぱい出た。
竹部:『セッションズ』ね。あれが出まわったのは85年なんだけど、当時の資料を観ていると、82年くらいから噂されていたんだね。82年末に出るかもなんて記事があった。
大塚:「ゲット・バック」で買ったよ。「リーヴ・マイ・キトゥン・アローン」が大好きでさ。あと「カム・アンド・ゲット・イット」もかっこいいと思ったかな。もう1曲、リンゴの「イフ・ユーヴ・ガット・トラブル」もよかった。
竹部:『セッションズ』は大事件だったよね。
大塚:僕は早い段階からブートも聞いていて、シネ・クラブが資料テープとして売っていたBBC音源を買っていたんだ。通販とか「復活祭」とかで。ビートルズがカバーしている曲が好きでさ。「ア・ショット・オブ・リズム・アンド・ブルース」。ジョージの歌う曲もいいんだ。「クライング、ウェイティング、ホーピング」。
竹部:BBC音源は83年の4月に、東京FMで大特集やったんだよ。イギリスBBCの番組の流用なんだろうけど。あれは衝撃だった。それまでブートで聴いていた音質よりもよくて。それをもとに新しいブートがたくさんブートが出ていくんだけど。
大塚:ほんと? ブートでいえば『ゲット・バック・セッション』のやつとかも買ったよ。演奏が下手でびっくりしたね。「ヘルプ!」も歌っているんだけど、やる気もない感じで。
竹部:わかる。曲目に「ヘルプ!」って書いてあるから期待して聴いてみるとあれ?って。『スウィート・アップル・トラックス』かな。
大塚:タイトルは忘れてしまったけど、結構長いカセットテープだったな。それもシネ・クラブで買ったんだ。とにかくビートルズが演奏している曲っていうだけで嬉しかったんじゃないかな。デッカのオーディション・テープも、スター・クラブも好きだもん。レコードで買った。
竹部:デッカ・オーディション音源は82年に正規で出たんだけど、びっくりした。こんな音源があるんだって。「テイク・グッド・ケア・オブ・マイ・ベイビー」好きだったな。いつのまにかブートの話になってしまったけど、結構早い時期に正規盤は全アルバムを聴いてた?
大塚:収集癖があるから、欲しいものは持ってないと気が済まない性格なんだよ。なんでも聞きたくなっちゃうからどんどん集めていたよ。全アルバムが揃ったのは中2かな。中2がピークなの。
竹部:日本盤だよね。我々世代だと国旗盤といわれるやつ。どこで買ってたの?
大塚:日本盤は同級生の家がレコード屋さんだったので、とにかくそこで買ってた。輸入盤は国立にあったディスクユニオンとレコードプラントっていう輸入盤屋さん。そこで日本盤とは違うデザインのジャケットを見て欲しくなって。アメリカ盤の『ビートルズ65』とか赤いジャケの『ハード・デイズ・ナイト』とか。
竹部:早くからアメリカ盤に行ってたんだ。
大塚:中2のときに、普通のレコード屋で買えるやつは揃えちゃったからね。中3になるとストーンズも買い始めるし。
竹部:小遣いはどうやりくりしていたの?
大塚:お小遣い、お年玉とかは全部レコード。友達がアイス食べても絶対食べなかった。なんでなくなってしまうものにお金をかけるんだろうと思ってたよ(笑)。
竹部:その頃好きなアルバムは?
大塚:最初にハマったのは『ウィズ・ザ・ビートルズ』かな。かっこいいと思ったんだ。その時はわからなかったけど、パンクを感じたんだと思う。
竹部:ピストルズを聴く前ということ?
大塚:うん。激しい衝撃を受けた。キンクスだったら「ユー・リアリー・ガット・ミー」を最初に聞いたときにみたいな。あれも同じくらいびっくりしたけど。あとアメリカ盤の『ミート・ザ・ビートルズ』も好きだった。あれに入ってる「抱きしめたい」がすごく好きなんだ。
竹部:アメリカ盤は音が違うからね。
大塚:ちょっとスピードが遅くて、エコーが深いんだよ。
竹部:ソロはどう?
大塚:ソロはビートルズが全部揃ってからだね。最初はちょっと戸惑ったかな。でも、とにかくジョンが好きだったのね。最初は『ダブル・ファンタジー』。帯に追悼盤って書いてあるやつだったな。あれが始まり。でも家で2曲目聞くのが恥ずかしくて……。あのときだけボリューム下げてた(笑)。
竹部:わかるな。あの曲、罪深いよ。「キス・キス・キス」いい曲なんだけど。
大塚:曲は好きなんだけど、恥ずかしいからさ(笑)。
竹部:『ダブル・ファンタジー』でのジョンとヨーコの対話形式の流れ、素晴らしいよね。
大塚:ヨーコの他の曲も好きだったよ。「ビューティフル・ボーイズ」から「ビューティフル・ボーイ」の流れとか。ヨーコの厳しい歌詞も好きだったし。
最初に手にしたギターはハンドメイド
竹部:ギターを始めるのはその頃?
大塚:楽器屋でちゃんとしたギターを買ったのは85年なんだけど、その前に自分で作ったんだ。板を買ってきて、ギターの形に切って、弦を張って、スピーカーを埋め込んで。スピーカーは音が鳴るなら、逆に音も拾うだろうっていう、勝手な発想で。それをラジカセのマイクにつないだら音が出たんだ。
竹部:DIYが好きだったの?
大塚:そうだね。でもフレットがないからチューニングは出来ないよ。だからオリジナルチューニング。最初はその手作りギターを遊びで弾いてた。
竹部:おもしろいな。
大塚:最初に買ったのはフェルナンデスのストラト。でも左利きなんで、 1ヶ月くらい待たされたし、形も選べなかった。「これしかないです」って言われて。それを買ったのは宇都宮のオリオン通りっていう商店街の楽器屋。新星堂がやってた店かな。
竹部:左利きの人ってコードの押さえ方がおかしかったりするけど大塚くんは普通だよね。
大塚:完全な左仕様なんで、右の人が右で持つのと同じ。でもたまに人のギターを借りることもあるから、右ギターでの逆弾きも覚えてる。
竹部:甲斐よしひろとか松崎しげるの押さえ方見るといつも不思議な気持ちになるよ。そういえば、ポールが初めてジョンに会ったとき、「トゥエンティ・フライト・ロック」をギターで弾くっていう有名な話あるじゃない。あの話を聞いたとき、ギターはどうしたんだろう?って思ってたのね。
大塚:そうだね、借りたんだったら逆だね。
竹部:でね、『ノーウェア・ボーイ』っていう映画のなかでは、ポールは出かけるときに、自分のギターを自転車に積んで行っているんだ。本当に? と思っていたら、06年くらいのインタビューでポールが、ジョンのギターを借りたって言っているんだよ。逆でも弾けるんだって。
大塚:逆もちでやったんだね。それでもうまかったんだ。
竹部:そう。ジョンが感心したのはそれもあったのかもね。それで、初めて買ったギターでビートルズを弾いたわけ?
大塚:弾いていたよ。楽譜も一通り買ったな。
竹部:シンコー・ミュージックの。
大塚:かな。黒くて真ん中に4人写真が色付きになってるやつ。
竹部:色違いがあるんだよね。
大塚:そう。「デイ・トリッパー」とか、別に楽譜見なくても弾けるんだけど、欲しくなって買っちゃう。
竹部:ビートルズの楽譜の歴史も面白いね。アルバムごとに楽譜が出だしたときは驚いたな。そのあとバンドは?
大塚:バンドはギターを持ってない中2のときからやっていたんだ。ギターがないからピアノとハーモニカとかで。そこにあるもので音を出してた。段ボール叩いて。
竹部:似てるな。ギター弾けないんだけど、バンド組んじゃう姿勢。
大塚:友達の家が神社で、その離れにオープンリールを持ち込んで録音してた。なんかオリジナルも作って歌ってたよ。ただ叫んだりね。逆回転録音もしてたよ。
竹部:子供の頃って、発想力が豊かだから、結果はどうなるかわかんないけど、とにかくやってみようみたいな。録音するという行為自体が珍しかった時代だから。
大塚:ギターを買ってからはラジカセで音を歪ませることにも一生懸命だったよ。エフェクター買えないから。ラジカセを2台つないで、ひとつめのラジカセにギターをつないで、 最大のボリュームにして、ヘッドホンのイヤホンアウトから二つ目のラジカセにマイク入力すると歪むっていうことがわかったんだ。それもなんとなく自分で考えた。
竹部:ラジカセにはよくないよね(笑)。音が歪むってことが感動だよね。
大塚:でもよくビートルズの曲を演奏したかっていうとあまりしていないんだ。曲を作っていたからね。でも市の公民館でライブやったときはビートルズやったよ。自分たちで楽器とか機材持ち込んで。友達も見に来てくれて。「ツイスト・アンド・シャウト」とか、簡単なやつ。
80年代ビートルズファンの気持ちを歌った「缶ペンケース」
竹部:いい思い出だよね。そのあたりの思い出話を曲にしたのが「缶ペンケース」ってこと?
大塚:そう。あれはニーネじゃなくて、ソロの曲なんだ。 友達とコラボでアルバムを作ろうって話になってね。その友達もサードクラスってバンドがあるんだけどソロで。僕もソロでっていう話になって、完成させたの。ちょっと軽い気持ちでリラックスして作ったんだ。
竹部:いい曲だよね。オチもいいし。
大塚:それまで思い出をテーマにした曲って作ったことがなかったのよ。それで最初から思い出を曲にしてみるかっていうんで作ったんだけど、心のどこかで「イン・マイ・ライフ」を意識していると思う。
竹部:当時のビートルズファンの心情、情景が浮かんでくるよ。 60年代、70年代のファンの人がその思いを形にした人ってたくさんいるじゃない? それこそ松村雄策さんとか。我々世代はそういう文章をたくさん読んできたわけだけど、80年代のことを書いた人はいなくて。80年代にもビートルズに狂っていた人がいるんだぞっていうことを表した意味でもこの曲は貴重ですよ。
大塚:そうだね。中学生、高校生時代は完全ビートルズだったから。高校の学園祭でもビートルズのコピーやったよ。「プリーズ・プリーズ・ミー」の♪カモン、カモンのコール・アンド・レスポンスをお客さんがしてくれてね。
竹部:80年代にビートルズのカバーやっているバンドは少なかったでしょ。
大塚:バンドが好きな子たちはRCやBOØWYが好きなんだよね。だからちょっとビートルズをバカにしてるのよ。古い音楽だっていうんで。♪カモン、カモンって言ってくれても、ちょっとふざけてるというか、笑って言ってるみたいな。
竹部:自分もバンドをやっていたんだけど、「デイ・トリッパー」はビートルズではなくてチープ・トリックのバージョンでコピーしてた。当時、白井貴子の『オールナイトニッポン』があって、そのオープニングがチープ・トリックの「デイ・トリッパー」だったの。かっこよくてね。
大塚:ラジオで思い出したけど、リンゴの『イエロー・サブマリン』っていうラジオ番組を聞いてたよ。番組半分をリンゴがビートルズ時代の思い出をしゃべっていて、そのあとに日本人が翻訳してくるっていう番組だった。
竹部:それは聞いてなかった。でもなんとなくうっすら記憶にあるけど。なんで聞いてなかったんだろう。
大塚:中3の頃だから84年かな。リンゴのパートはずっと英語だから聞いていてもわからないんだよ。
竹部:そんな内容だったんだね。当時は新聞のラ・テ欄でビートルズって名前を見つけると必ずチェックって感じだよね。
大塚:そうそう。『アニメ・ザ・ビートルズ』ほんとによく見てたな。
竹部:局はどこだった?
大塚:テレビ東京かな。TVKかも。おれ、マニアックだったからUHFが観られるように家の屋根に自分でアンテナを取り付けちゃったんだ。テレビ埼玉が見たかったら埼玉の方向にアンテナを向けて、千葉テレビが見たかったら千葉の方向に向けて入った。でもギリギリ見られるぐらいなんだけど。TVKはまあまあ見えたよ。
竹部:じゃあ『ファントマ』とか見てた。
大塚:覚えはあるね。
竹部:自分は子どもの頃野球が好きで、野球中継目当てにTVKのアンテナ付けてもらったの。大塚くんのように器用じゃないから親に頼んで電気屋にやってもらったよ。だけど途中からロックが好きになったものだから、TVKは完全に音楽目当てになってしまった。『アニメ・ザ・ビートルズ』もやっていたと思う。
大塚:『アニメ・ザ・ビートルズ』はいいんだよ。
竹部:かなり子ども向けだけどね。話を戻すけど、「缶ペンケース」を発表出来てよかったね。
大塚:あの曲のおかげで思い出を歌えるようになったんだ。あれがきっかけなんだ。
竹部:これがビデオクリップにも出てきた缶ペンケースだね(持参してもらった缶ケースを見ながら)。デザインがいいよね。
大塚:うん、かっこいいよね。裏にたけし軍団のシールが貼ってあるんだけど貼った記憶がないんだよ。
竹部:初期のたけし軍団だね。でもこの缶ペンケース、ノンライセンスだもんね。時代を感じさせるな。それにしてもよくとってあったよね。鉛筆は未使用だよ。
大塚:捨てられないんだ(笑)。ビートルズは特にそう。
缶ペンケース/大塚久生(ニーネ)
https://www.youtube.com/watch?v=d2n9kXopAi4
とにかく歩き回ったリバプール名所観光
竹部:最近のビートルズライフはどうなの? ずっとマニアなファン心が続いてる? そういえば、リバプールに行ったんでしょ?
大塚:2016、7、8年かな。イギリスに住んでいる友達に会いに行って、その足でリバプールまで行ったんだ。友達にも付き合ってもらってね。早朝ロンドンを出て、午前中にリバプールに朝着いてそこから7、8時間歩き続けたよ。帰りだけバス乗ったけど。
竹部:リバプールの話をすると皆たくさん歩いたってことになるんだ(笑)。
大塚:まず駅からジョンが通っていた学校まで歩いて、そこからジョンがシンシアと住んでいた家の前まで行って。さらにそこからリンゴの家、ペニー・レイン、ジョンの家……。昔買った『ビートルズ事典』を参考にして。全部歩きで回ったんだよね。遠かったよ。
竹部:そりゃ遠いよ(笑)。でも歩けそうな気持になるのもよくわかる。
大塚:あとストロベリー・フィールズやジョンとポールが初めて会った教会にも行ってエリナー・リグビーの墓も探したし。ジョンとシンシアが住んでた部屋を見たときは興奮したよ。ちょうどツアーバスが止まっていて、バスのガイドの人が教えてくれたの。
竹部:ほかに気に入った場所は?
大塚:ペニー・レイン。歌の印象と全然違うって思った。あれが意外。もっと賑やかなところだと思ったら通ったら悲しい感じの商店街で。ジョージとポールの家は行けなかったんだけどね。
竹部:結構回った方だと思うよ。
大塚:あとは朝ごはんが印象に残ってるな。豆の煮たのに卵とソーセージ。おいしかったよ。
竹部:イングリッシュ・ブレックファスト。いいよね。
大塚:そのあとグラスゴーまで行ってベル・アンド・セバスチャンのライブを見たんだ。
竹部:北上していったんだね。
大塚:うん、よかった。ロンドンでもいろいろ行ったよ。ジミー・ペイジの家、フレディ・マーキュリーの家、 キンクスのマスウェル・ヒル。パブも行ったし、コンク・スタジオも。
竹部:UKロックファンにはたまらないね。
大塚:そうそう。ミックとキースが会ったというダートフォード駅も行ったよ。
竹部:すごく充実してるじゃない。
大塚:そのあと、友達が亡くなってしまったから忘れられない旅になったよ。
竹部:今もビートルズ愛は変わらないと。
大塚:一時期より強くなっているかもしれないね。またいろいろ買ったりして。こないだはマル・エヴァンスの自伝買ったよ。まだ出だししか読んでないけど。
竹部:ビートルズの本はだいたい値段が高いから分厚くて重くて、持ち運びに不便だからなかなか読み進められないんだよね。電車の中で読めない。
大塚:汚したくもない。でも本とレコードはいまだにずっと買っちゃうんだ。メルカリやヤフオクでブートも買ってるし。ジョンが好きだから、ジョンのブートは今も買ってるし。
竹部:もう貴重な音源はないんじゃないの。そういえば当時『ロスト・レノン・テープス』も買ってた?
大塚:一応、一通り聞いたよ。20巻。びっくりしたよね。
竹部:じゃあ「ナウ・アンド・ゼン」も聞いてたと。
大塚:もちろん。「リアル・ラヴ」も「フリー・アズ・ア・バード」も『ロスト・レノン・テープス』で聴いてたよ。
竹部:「ナウ・アンド・ゼン」って、うまい具合にポールが補作しているよね
大塚:そうだね。『ロスト・レノン・テープス』を知っている人からするとポールは自分が作ったと勘違いしているパートもあるような気もするけど、そもそもビートルズの曲って、クレジットは全部レノン=マッカートニーだからどっちが作ったのかは謎だよ。どっちが作ったかなんてどうでもいいから曲を作ろうって思ったのかも。
竹部:「ナウ・アンド・ゼン」はそんなことがうかがえるよね。
大塚:ニーネでもよくあるんだけど、曲を共作しているとどこが自分でどこが別の人間なのかわからなくなってしまうこともある。ジョンとポールもそんなことがあったんだと思うんだ。「イン・マイ・ライフ」なんか、ポールは自分が作ったって言ってるじゃん。
竹部:言ってるね。でも「イン・マイ・ライフ」のイントロって、アコギで弾いていると「ブラックバード」になるんだよね。
大塚:なるほどね。でも僕はジョンの作品だと思う。
竹部:そういえばYouTubeで見たんだけど、大塚くん「抱きしめたい」歌ってたね。
大塚:絶叫しているやつだね。
竹部:ビートルズはパンクだったからね。歌ってみてどう? なんか他の曲と違う?
大塚:「抱きしめたい」はすごいよ。まずあんなイントロほかにないよ。何それ?ってイントロ。 1番2番も普通じゃないけど、展開から違和感なく転調するんだよね。で、イントロのリフを持ってきて無理やり頭に戻る。
竹部:マイナーになるところでポールが目立つもんね。
大塚:そうそう。ジョンってポールの見せ場を作るよね。ポールはジョンの見せ場は作んないのに(笑)。
竹部:あれってジョンの性格、難しいことや面倒なことは他人に頼っちゃうキャラが出てるんじゃないかって思うんだけど。
大塚:僕は逆で、グループとしてもう1人の見せ場を作ってる気がして。「ハード・デイズ・ナイト」でもサビをポールにやらせているじゃん。あれは見せ場をあげてるんだと思うんだ。
竹部:単に声が出ないからじゃないの(笑)。「イフ・アイ・フェル」は? 最初はジョンが主線を歌っているのに途中からポールが主線を歌うって、わけわからなくなるよね。自分は高いところが歌えないから、あとは任せるみたいな身の丈をわきまえているというのか。
大塚:リーダーシップだと思うよ(笑)。ポールって、それしないじゃん。
竹部:しないね。
大塚:自分の曲で人の見せ場は作らないじゃん。そう言う意味でもバンドのリーダーはジョンだなって思う。そういうこともわかって、『ハード・デイズ・ナイト』ってアルバムは完璧だなと思うようになったな。
竹部:自分も一周回って好きなアルバムは『ハード・デイズ・ナイト』。
大塚:ジョンの元気の良さが半端じゃないよね。
竹部:4人が仲いいじゃない。しかも若いし、かわいいし。
大塚:ジョージが歌う曲を作ってあげたのもジョンだよね。たぶん。そこがファンとしてはうれしいんだよね。アルバム『ハード・デイズ・ナイト』はポールの曲もいいんだよね。「アンド・アイ・ラブ・ハー」「明日の誓い」。
竹部:リンゴのボーカル曲がないけど。
大塚:確かにね。ほんとだ。
昔よりも恥ずかしげもなくビートルズを歌うようになった
竹部:さて、大塚くんにとってビートルズって何なんでしょう。
大塚:なんだろうね。自分が作る曲はそこまでビートルズの影響は出ていないけど、ロックの聞き始めがビートルだったからやっぱり根っこはビートルズなんだろうね。昔より恥ずかしげもなくビートルズをやるようになったのが自分でもすごいと思うね。
竹部:すごいのは、大塚くんが今でもロックをやってるってことなんだね。現役で。
大塚:最近はCDをプレスしていないけど、新曲もいっぱいCDRや配信でリリースしているからね。毎週必ずリハをやっているしね。でも時々なかなかエンジンがかからない日があったりするので、リハの前にメンバーでお茶をしながら話をして、気持ちを上げてからスタジオに入っているよ(笑)。
竹部:リスナーの反応は?
大塚:2年前に点滅社という出版社が詩集を出してくれたの。それが出た関係だと思うんだけど、 最近は若い子が結構聞いてくれているみたい。Xで投稿してくれたりしているんだ。新規のお客さんが結構増えてる。
竹部:それは素晴らしいね。またライブ見に行きます。
大塚:うん、来て。前とはだいぶ違うと思うよ。
竹部:今後の目標は?
大塚:やれる間はやりたいって感じかな。やりたいことができなくなる時が来るのがちょっとずつ近づいている感覚もあるからね。いつ死ぬかわかんないじゃん。そう思うからこそ、楽しくやってる。楽しいよ。
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