『ロッキング・オン』とジュリアン・レノンがつないだ縁

竹部:先日は『昭和40年男』への渋谷陽一追悼の寄稿ありがとうございました。我々世代にとっての渋谷さんの存在はとても大きいから本誌でページを作りたいなと思っていたんだけど、ぜひとも大須賀くんに書いてもらいたいと思ったんですよ。その理由は、ぼくが大須賀くんと出会うきっかけは『ロッキング・オン』だから。そんな個人的な事情で原稿をお願いしたんですよ。
大須賀:こちらこそありがとうございました。そうなんですよ。ぼくらは渋谷陽一がつないでくれた縁なんですよね。ぼくの中学時代の友達の蒔田の投稿が『ロッキング・オン』に掲載されて、それを読んだ竹部くんが反応して連絡をくれたんですよね。
竹部:ちょうど40年前。しかも蒔田くんが書いた原稿の題材がジュリアン・レノンだった。
大須賀:そうだ。
竹部:それから一緒にミニコミを作ろうと言う話になって関係が密になっていくわけですが、それって自分たちで『ロッキング・オン』を作ろうってことだったんですよね。
大須賀:ただ当時は、雑誌を作ったその先の、それを売ると言うところまで考えが及ばなかった。作りたいが先にあるだけで。なので、大量の在庫を抱えて挫折したけど……。
竹部:いま考えれば無謀だったけど、それも若さゆえ。当時はネットもないから、自分たちでメディアを作るってすごくハードルが高くて、レコードを作る、雑誌を作るなんて、大きな動機がないとできなかった。そういう気持ちにさせた渋谷陽一の影響ってとてつもなく大きかったってことですよね。
大須賀:そうですよね。そういうことを今回の原稿にしたためました。
竹部:その気持ちはいまも自分の中に残っているかな。ところで、大須賀くんは『ロッキング・オン』はどの辺から買ってたの?
大須賀:中3くらい。そもそもぼくは、いとこの影響でさだまさしなんかを聞いていたフォーク少年だったんですよ。ただ言っておきますけど、当時のさだまさしはシティポップの原型……は言い過ぎかもしれないけど、こじゃれてた。「吸い殻の風景」なんか、今聞くとジョージなんですよ。
竹部:そうなの?
大須賀:コード進行にディミニッシュとかクリシエとかが出てきて、さだまさしのアレンジャーは絶対にジョージが好きだったと思う。
竹部:「関白宣言」しか思い浮かばないや。
大須賀:まぁぼくも本格的にハマって聞いていたのはそれくらいの頃。生まれて初めて買った12インチシングルは「親父のいちばん長い日」だから(笑)。
竹部:79年か。さだまさしの評価に関してはタモリの影響が大きいよね。どうしてもネガティブな印象になってしまう。
大須賀:そう。こうやっていまだに「さだまさし聞いていた」ということに言い訳が必要な感じ(笑)。否定したほうがかっこいいみたいな空気があった。オフコースも。
竹部:たしかに。でもタモリがいちばん揶揄していたのはさだまさしだったよね。ルックスも含めて。自分はタモリ派だったから真に受けていたよ。
大須賀:ネタというよりもマジで言っていたでしょ。タモリもさだまさしも両方好きだったから、どう受け止めればいいんだって。
竹部:いまじゃありえないよね。
大須賀:さだまさしのほかに中島みゆきとかも聞いていて完全にフォーク、ニューミュージック方面の人間だったんですよ。さかのぼって、かぐや姫も聴いていた。その少しあとからロックを聞くようになるんだけど、当時は圧倒的に情報がないじゃないですか。フォークのファンだった頃は『ガッツ』とか『GB』とかを読んでいたんだけど、じゃあ、ロック雑誌はなんだということになって、本屋に行ったら、いちばん表紙がかっこいいのが『ロッキング・オン』だった。
竹部:そういう基準だったの?
大須賀:表紙にいい写真を選んでいたから。写真の上にロゴを載せるときに、わざわざロゴをちょっと消していたりしていたじゃない? 営業サイドとしては誌名を目立たせたいはずなのに、写真を優先してしまう、というところにおしゃれを感じてかっこいい、みたいな。
竹部:中学生で?
大須賀:思った。デザインがかっこいいって。記事も写真優先だから、文字が読みにくい。けどそれがかっこよかった。もともとデザインが好きだったというのもあるけど。
竹部:普通はアーティスト目当てだよね。それに情報が欲しいなら最初は『ミュージック・ライフ』だと思うんだけど。
大須賀:普通はそうだよね。それで『ロッキング・オン』を読んだら、ロックの評論がおもしろかったんですよ。元々本を読むのが好きだったというのもあるけど、渋谷さんの評論が楽しめた。渋谷さんの厳しい批評がいいと思ったの。
竹部:活字ロックに惹かれたと。
大須賀:そういうことだよね。ロックを語るんじゃなくて、ロックが好きな自分を語っている、自分語りも含めて、好きになったんですよ。
竹部:それは松村雄策さんの原稿かな。『ロッキング・オン』=自分語りというイメージは、松村さんのイメージが大きいですよね。
大須賀:あと読者の投稿原稿にも惹かれたの。もともと投稿系の雑誌も大好きで、『ポンプ』って雑誌を買っていたんですよ。『ポンプ』って知ってる?
竹部:買ったことはなかったな。
大須賀:『ポンプ』って、基本読者投稿で成り立っていた雑誌で、素人の絵や文章とかが掲載されていたのね。そこに岡崎京子がイラストを投稿していて、この人天才だなとか思っていたら、のちに漫画家としてデビューした。自分は早くから岡崎京子の才能に注目していた一人だと思うよ。
竹部:そうなんだ? 自分も投稿しようと思わなかったの?
プレイガムのCMで流れた「プリーズ・プリーズ・ミー」

大須賀:まだなにかを語れるほど知識がなかった。フォーク少年だったし(笑)。それで、中学2年のときに小金井市から練馬区に引っ越したんだけど、転校先の中学で知り合ったのが、最初に名前が出た蒔田。これが衝撃で。
竹部:マッキーショック(笑)。
大須賀:蒔田がなんでも知っていることに驚いたんですよ。中学生が、マイケル・ジャクソンの『オフ・ザ・ウォール』を「これがすごいカッコいいんだよ!」「プロデューサーはクインシー・ジョーンズでさ」とか言ってて(笑)。
竹部:いま、ソニーミュージックでプロデューサーとして活躍している蒔田くん。多くの大物アーティストを手掛けているんだよね。その頃から変わっていないんだね。驚き。
大須賀:そうそう。天井に薬師丸ひろ子のポスターを貼っていたくせにさ(笑)。それは妙に覚えている。蒔田はクラスこそ違うけど、家が近かったから通学路が一緒で、そこでいろいろ話をするようになって、とにかく自分が知らないことをいっぱい言ってくるから、圧倒されてしまって……。そうすると、自分がフォークを聞いているのが恥ずかしくなってくるの。蒔田が聴いていた洋楽とか、佐野元春、EPO、山下達郎とかのオシャレな音楽を前にして、「中島みゆきの……」とか言えなくて。それで自分もそういう音楽が聞きたいなと思った。
竹部:蒔田くん、恐るべし。
大須賀:この頃、気になるアーティストはだいたい蒔田からレコードを借りていたな。「こういうおしゃれな感じの音楽はなんていうの?」って聞いたら「シティポップって言うんだよ」って教えてもらったのを覚えてる(笑)。でも『ロンバケ』は自分でレコードを買ったよ。その頃にビートルズが好きになっていくんだ。ビートルズを好きになったのはある種の偶然だよね。記憶が曖昧だけど、「プリーズ・プリーズ・ミー」が使われたガムのCMがあったの。覚えてない?
竹部:見たような、見てないような……。
大須賀:カネボウのプレイガムっていうらしいんだけど。でも、その「プリーズ・プリーズ・ミー」はビートルズの演奏じゃないの。コピーバンドなんだ。この曲って音符にすると、単純でそんなに不思議なメロディじゃないんだけど、あのオケに乗ると、聞いたことない感じの異物感が出てくる。何このメロディ!?っていう。これはすごいと思った。あと、この曲のキモは「カモン!カモン!」に聞こえるけど、その後の「プリーズ・プリーズ・ミー」っていうところなんじゃないかな。あそこのメロディはなかなか思い浮かばないと思う。
竹部:最初はロイ・オービソン風だったと言われているところね。「プリーズ・プリーズ・ミー」はビートルズ最初のヒット曲だから重要だよね。
大須賀:デビュー当時これを聴いた人は衝撃だったと思うよ。
竹部:『ステレオ!これがビートルズVol.1』は「アイ・ソー・ハー」じゃなくて「プリーズ・プリーズ・ミー」が1曲目なんだよね。そのCM、調べたら81年だったらしいです。
大須賀:そうなんだ? あとひとつ、これは明確に覚えていることがあって。『武田鉄矢の青春大通り』っていうラジオ番組。ぼくはフォーク少年だったから、フォーク歌手のラジオ番組をよく聴いていたんだけど、なかでも『武田鉄矢の青春大通り』は大好きだったの。
竹部:『金八』前ってこと?
大須賀:うん。その前から毎週聴いていたよ。『金八』が決まったときの放送を覚えている。「今度、TBSのドラマの主演が決まりました。なんと、先生役だよ、先生役。これは人生かけてやらなきゃ」とか言って喜んでいたの。それで何が言いたいのかというと、そのラジオで武田鉄矢が、ジョン・レノンが死んだときに泣きながらしゃべっていたのを覚えてるの。それでぼくはジョン・レノンが死んだのを知ったんだから。
竹部:武田鉄矢ってビートルズ好きなんだよね。
大須賀:そこから役者として売れていくわけだけど、武田鉄矢とビートルズで忘れられないのが『幕末青春グラフィティ 坂本竜馬』だよね。
竹部:あった。
大須賀:武田鉄矢が知り合いのフォーク歌手に演技させて作ったドラマで……。
竹部:拓郎とか陽水とか出ていたよね。
大須賀:そのBGMが全編ビートルズだった。それがむちゃくちゃかっこよかったんだ。
竹部:最初に「ラブ・ミー・ドゥ」がかかった記憶があるよ。
大須賀:うん。ほかには京都の町中で新選組と追っかけっこするシーンで「オブ・ラ・ディ・オブ・ラ・ダ」がかかったり、仲間の志士たちが死んだときに竜馬が家で号泣するんだけどそこでかかるのが「ホワイル・マイ・ギター」。めちゃくちゃ感動して、ビートルズって全部いいなって思ったんだ。
竹部:ぼくは期待して観たけど……。途中までだったな。そのあとに武田鉄矢は坂本龍馬を題材にした映画も作っているけど、それはビートルズではないんだよね。
大須賀:映画は別物なんですよ。
竹部:『幕末青春グラフィティ 坂本竜馬』は82年秋の放送だったから、大須賀くんがビートルズにはまるのはその後ってことだよね。
大須賀:武田鉄矢のラジオでジョン・レノンの存在を知って、ガムのCMでビートルズの良さは気づいていたんだけど、レコードを買うまでではなかった。このドラマを観て本気でレコードを集めようと思った。
竹部:シティポップを聴いていた耳からすると、ビートルズってすごく古くさく感じなかった?
大須賀:とりあえずドラムがうるさいと思って(笑)。
竹部:聞くことで耳が慣れてくっていうか、徐々に好きになってくんだよね。
大須賀:最初はメロディ。その次は存在、見た目。写真がかっこいいなと。
竹部:見た目は大きかったよ。
大須賀:レコードを集めるにあたって、ベストは買わないって最初に決めたの。オリジナルアルバムで集めようと思って。でもなにがオリジナルアルバムなのか、わからないんだよ。情報がないから。それで最初にとりあえず2枚買おうと思って池袋に行って、西武とパルコの渡り廊下のところにあった小さい輸入盤屋で『ヘルプ!』と『ラバー・ソウル』を買ったの。2枚ともドイツ盤。値段を見たら日本盤より安いの。で、わけもわからずに直感でジャケ買いだった。
竹部:いきなりドイツ盤とは(笑)。でも『ヘルプ!』のドイツ盤ってこんなに大きく文字が入っているんだね。
大須賀:それがかっこいいと思った。もちろん当時はこれがドイツ盤とかも知らずに買ったんだけど、このジャケじゃなかったら『ヘルプ!』は買ってないと思う。結局、デザインで選ぶんだよね、一貫して(笑)。
竹部:このドイツ盤はユナイテッド・アーティスト映画のサントラって書いてあるのに、内容は普通にイギリス盤の『ヘルプ!』なんだね。
大須賀:『ラバー・ソウル』は、裏ジャケのデザインに惹かれたんだ。
竹部:日本盤の裏ジャケの写真は真っ黒だもんね。印刷が悪くて。
大須賀:うん。ところが……。この2枚は初心者には地味なんですよ。
竹部:それは同意。ぼくも最初に買ったビートルズのレコードは『ヘルプ!』のLPだったから、その気持ちはよくわかる。
大須賀:それと、すごく昔のバンドの感じがしたんだよね。でも82年時点で、リリースから17年しか経ってないんだよ。いまの感覚からしたら17年前って最近じゃない。この間、スピッツの再発盤を買ったんだけど、それは30年前の作品で……。あのときに買った『ラバー・ソウル』はそれに比べたら半分くらいしか経ってない“最近”の作品なんだよね。
竹部:あっという間に30年経ってる(笑)。
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