ジョンの伝記の決定版、ファン待望の映画

バイトが終わったあと、夜は友人と会う約束をしていため新宿へ向かうが、ここもいつもと景色が違った。行き交う人の数は少なく、普段目に飛び込んでくる派手な電飾も消えていて、薄暗い。見慣れた街なのに、どこか知らない街に迷い込んでしまったような不思議な感覚に陥った。居酒屋も閑散としていたような印象。そのトイレで赤の他人から「昭和も終わったね~」なんて感じで声を掛けられたのだが、誰かと共有したくなるほどの事態なのだなと思ったことを妙に覚えている。
3日後、贔屓にしていた格闘技団体UWFの興行を観戦するため日本武道館へ。ここでもいつもと違う様子に違和感を覚えた。場内の照明はうす暗く、観客もおとなしめ。前田・高田戦に集中していたというのもあるかもしれないが、世間の空気が影響しているようにも感じられたものであった。
世の中に動揺と感傷が入り混じった独特の空気が漂うなか、ジョンの映画『イマジン』が公開された。ヨーコが所有する200時間にも及ぶ未発表フィルムをもとに制作されたジョンの伝記の決定版という触れ込みで、公開前から話題の作品になっており、公開前の期待度はかなり高かった。初日の初回上映を観ると決めていた私は、朝早くに家を出て有楽町マリオンへ向かった。
それまでビートルズ関連の映画(『ロックショウ』『ブロード・ストリート』を観るときは、フィルムコンサートも含めて必ず身近な誰かを誘っていたのが、今回は誰にも声を掛けず単独行動とした。人として成長したということだったのだろうか。単に誘うのが面倒なだけだったのだろうか。ただこの時期、ひとりで映画を観に行くことが気に入っていて、ロードショー作品から単館系、リバイバルまで、今はなきいろいろな映画館で映画を鑑賞していた。マリオンで言えばこの数ヶ月後に『となりのトトロ』を観ている。

肝心の『イマジン』だが、この映画は今となってはファンの間で語られることがほぼなくなってしまった。ブルーレイ化されていない。権利的な問題なのだろうか、ヨーコの思惑が働いているのだろうか。アルバム『イマジン』のイメージ映像を集めた同名タイトルの作品もあるので紛らわしい事態になってしまったというのもある。このとき貴重だった映像も一般的なものになってしまったというのもあるかもしれない。昨今はジョンの内幕的な映画がいくつか作られているので、この映画自体の存在感が希薄になってしまった。
とはいえ、ジョンの人生を手際よくまとめたものとしてこれ以上のものはなく、80年代のビートルズ史にとって重要な作品であることには違いない。これを内幕本や関連映像作品での情報を合体させれば、真実に近いジョン・レノン物語が見えてくるはずだ。
先程述べたように、この映画で使われている映像は、いまとなっては貴重なものではない。しかしながら、当時を思い返してみると、この映画が初出となった映像や音源に痛く感激したものであった。まずは冒頭のタイトルバック。60年代後半から70年代前半にかけて、ジョンとヨーコが住んでいたアスコットのティッテンハースト・パークの空撮に、未発表曲の「リアル・ラヴ」が流れるのだが、この「リアル・ラヴ」はビートルズ版が世に出る6年前ということを考えても、かなり意表を突く選曲といえる。
「リアル・ラヴ」はすでに『LOST LENNON TAPES』に収録されており、熱心なファンの中では珍しいものではなかった。自分も認知していたのかどうか。その辺は曖昧だが、知っていたとしても映画冒頭でかかる「リアル・ラヴ」に驚いたことは間違いない。

8年前のあの日がフラッシュバックしたラスト

そこから、ジョンの人生を時系列に追っていくのだが(ナレーションがジョン自身というのがまた感動的)、そこに時折、ティッテンハースト・パークで撮影されたプライベートフィルムやアルバム『イマジン』の制作過程を記録した映像が挟み込まれる。その映像はいずれも興味深いもので、ジョンのキャラクターを知るうえで重要な資料となっているが、なかでも、自宅敷地内に侵入してきたファンとのやり取りはこの映画のひとつのハイライトといえる。ジョンが自分の言葉で説得し、食事に誘うシーンは、感動を誘うものの、一方でどこまで演出されていたのかと勘繰ったり。いずれにしても、ファンに殺されたことを想えばなんとも複雑な気持ちにさせられた。
ビートルズ時代の映像にも見どころは多い。細かく当時の映像が挟み込まれるなか、63年のロイヤル・ヴァラエティ・ショー(曲は「フロム・ミー・トゥ・ユー)、65年のシェア・スタジアム公演(曲は「ヘルプ!」)、PVは「ストロベリーフィールズ」「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」「レボリューション」のきれいな画質がオフィシャルに公開されたのはこのときが初めてと思われ、劣悪な画質に慣れ切ったその目には鮮やかすぎるほどだった。ほかに『アワ・ワールド』の「愛こそはすべて」も流れていた。
インタビューで登場するのは、ヨーコとショーンのほかに、ジュリアン、シンシア、メイ・パン、エリオット・ミンツといった面々。いずれも歴史的証言といえるが、とくに想定外だったのは、シンシア、メイ・パン。ヨーコの懐の広さをアピールするには十分の人選だったといえる。主要人物が揃うも、ポール、ジョージ、リンゴは不在。そこはビートルズ物語にしたくなかったからというヨーコの意図が見え隠れするが、73年のジョンのインタビューで「タイミングしだいではビートルズの再結成はありえる」なんて言っていたのには驚いた。
と、いろいろ巡らせながらスクリーンに集中していたら、あっという間にジョンの人生は失われた週末からハウスハズバンド期へ移り、気づけば物語は後半。そうだ。この映画の最後は事件で終わるのだ、ということを思い出した瞬間、銃声が聞こえ、現実に引き戻された。分かっていることとはいえ、悲しい。8年前のあの日のことがフラッシュバックし、わきあがる感情を抑えることができなかった。それは、その場にいたすべてに言えたことだが、いまなおあの死を自分が引きずっていることの証であり、それを埋葬するにはさらに時間がかかりそうだということを実感したのだった。
