ノルウェイの森とノルウェーの森|ビートルズのことを考えない日は一日もなかったVol.47

1987年秋、ビートルズの曲名をタイトルにした村上春樹の小説が発売された。その名は『ノルウェイの森』。赤い上巻と緑の下巻という目を惹く装丁は、クリスマスプレゼントとしても喜ばれ、それまでの村上春樹のキャリアの中で最も評判を呼んだ作品となった。商機とにらんだ出版社も帯を金色に変えるなどして販促活動に努めた結果ロングセラー化。『ラバー・ソウル』A面2曲目に収録されたジョンの小佳曲は全国区の人気を得ることになった。

100パーセントの恋愛小説、ノルウェイの森

ビートルズ『ラバー・ソウル』オデオン盤

当時わたしは市ヶ谷の駅から日テレ通りを少し上がったあたりにあった書店でアルバイトをしていた。近くに学校や会社、それにテレビ局があった関係で、坪数の少ない店ながら朝から晩まで客がひっきりなしに訪れる繁忙店だったが、そこでも『ノルウェイの森』はよく売れていた。いったい何冊の『ノルウェイの森』にカバーをかけたのだろう、というくらい老若男女問わずさまざまな人種が手に取り、そのままレジに並ぶという光景が目の前で繰り広げられた。飛ぶように売れると言うのはまさにこのことと思ったものだった。

通常書籍は取次を通して書店に入ってくるのだが、注文を出してもなかなか希望通りの冊数が配本されないというような愚痴を店主がこぼしていたことを覚えている。その勢いは88年になっても衰えるこなく売れ続け、『ノルウェイの森』は87年と88年の2年連続でベストセラーチャートのトップ10入りを果たしている(88年は2位と3位にランク)。

そもそもわたしが書店でアルバイトを始めたのは、本が好きだからという理由によるもの。村上春樹は以前からひいきにしている作家のひとりで、エッセイも含めて読めるものは大体のところ読んでいた。当時いちばん好きだったのは『ダンス・ダンス・ダンス』。匿名性というか、現実と夢が交差する世界観に強く惹かれ、文体も含めて影響を受けていたような気がする。当然のこと『ノルウェイの森』も発売されてすぐに社販で買って読んだのだが、初読の印象は今一つ響かなかったというのが正直なところ。それまでの村上春樹の魅力だったファンタジー要素が控えめで、ひどくいやらしい。ビートルズの曲名が頻繁に登場するのはうれしく思ったが、それよりも生々しい性描写のほうが気になってしまった。深くのめりこむことはなかった。

だが、それから数年後に読み返してみたら、思い切り感動してしまった。いとしい人を失うせつなさ、を考えるとともに、この人物は20年の間でどのように克服し、再生していったのだろうか、との思いをめぐらせ、このとき初めて帯文にあった100パーセントの恋愛小説の意味を理解する。87年当時二十歳の自分はノスタルジーという感覚や喪失感というものにまったく共感できていなかったと言うことなのではないかと思う。今では『ノルウェイの森』はお気に入りの小説である。

「ノルウェーの森」邦題表記の深い謎

ビートルズのコンパクト盤

と、ここまで書いておいてなんだが、ビートルズの曲名は「ノルウェイの森」ではない。原題は「Norwegian Wood (This Bird Has Flown)」。邦題は「ノルウェーの森」である。”イ”ではなく”ー(音引き)”が正しい。村上春樹はなぜこのような紛らわしいことをしたのだろうか。そしてこの邦題には深い謎がある。66年1月に『ラバー・ソウル』が日本で発売された際、この曲には邦題がなかった。帯には「ノーウェイジアン・ウッド」としか書かれていない。ということに、2010年になってふと気づいた。中古屋で『ラバー・ソウル』のOP7450品番の赤盤を入手した際、他の曲にはその後も定着している邦題が付いているのに「Norwegian Wood (This Bird Has Flown)」は「ノーウェイジアン・ウッド」と表記されていることに疑問を抱き、それではいつから「ノルウェーの森」なのかということを無性に知りたくなった。

手持ちの『ラバー・ソウル』を調べてみると、品番が変わり、帯を新装しても「ノーウェイジアン・ウッド」のままで「ノルウェーの森」の邦題がクレジットされたのは76年のEAS品番、いわゆる国旗帯のこと。「ノーウェイジアン・ウッド(ノルウェーの森)」という表記だ。しかしながらその後の『ラブ・ソングス』や『ビートルズ・バラッド20』では再び邦題は消えて、82年のUKモノ盤で復活(「ノーウェイジアン・ウッド(ノルウェーの森)」)、87年の初CD化の際も同様の表記になっていた。

日本のビートルズ史において、「抱きしめたい」に並ぶ名邦題にもかかわらず、この表記の揺れは何だろうと思っていたら藤本さんが「66年12月発売のコンパクト盤に『ノルウェーの森』とあります」と教えてくれた。なんと。初出はここか、と灯台下暗しな自分を恥じた。が、その後も気になり調べていると香月利一さんの『ビートルズ事典』には66年9月に発売されたブラザーズ・フォア『ビートルズを歌う』というレコードに「ノルウェーの森」と表記されていることが分かった。すると後日、また別の人からキングストン・トリオのほうが先との情報をいただいた。66年7月にキングレコードから出たシングルレコードがあるとのこと。ということは、「ノルウェーの森」という邦題は誰が付けたのか。

というような内容の原稿を2010年の『レコード・コレクターズ』のビートルズ特集号に寄稿したことがある。当時私は笹塚に住んでいたのだが、その近隣に『マガジン』の編集者がいて、偶然商店街で顔を合わせたり、下北沢のディスクユニオンで偶然同じ棚を漁っていたり、その流れで喫茶店に入ることもあり、そこで話したのが「ノルウェーの森」の謎であった。おもしろがってもらい『レココレ』の編集長に推薦してもらったという経緯だった。

『レコード・コレクターズ』2010年11月号

とくに結論めいたことは書いていないのだが、その後の研究ではどういう答えが出ているのだろうか。ちなみに、09年のリマスター盤以降の表記は「ノルウェーの森(ノーウェイジアン・ウッド)」となっている。

この記事を書いた人
竹部吉晃
この記事を書いた人

竹部吉晃

ビートルデイズな編集長

昭和40年男編集長。1967年、東京・下町生まれ。ビートルズの研究とコレクションを40年以上続けるビートルマニア兼、マンチェスターユナイテッドサポーター歴30年のフットボールウィークエンダーのほか、諸々のサブカル全般に興味ありの原田真二原理主義者。WEBメディア『昭和MILD(https://showamild.com/)』もよろしくお願いします。
SHARE:

Pick Up おすすめ記事

働くヒトとヴァーグウォッチ。【vol.01靴磨き職人/「Chett」店主・大平雄太さん】

  • 2026.05.21

「Time is Money」=「時は金なり」。自身の仕事に誇りを持ち、日々働く人々は有限な“時間”というものを重んじ、身につけるプロダクトにも徹底的にこだわる。アンティークウォッチの旧きよきディテールを備えながら、手軽かつデイリーに使うことのできるヴァーグウォッチはそんな彼らの心強い相棒となる。 ...

ロンドン生まれのアイウエアブランド「CUBITTS」が日本に本格上陸! 人気の秘密に迫る。

  • 2026.05.19

英国・ロンドン生まれのアイウエアブランド「キュービッツ」。日本へ本格上陸したばかりでまだ多くを知られていない、その全容を紐解く。 ロンドン生まれ質実剛健な実力派 2013年にロンドンで創業、2025年に日本へ本格上陸を果たした「キュービッツ」。本国では、新鋭ながら圧倒的な知名度を誇り、ビスポークも手...

日本人に最適化された新作の“JAPAN LIMITED”に注目!「MOSCOT」現代に引き継がれるアメリカンクラシックのDNA

  • 2026.05.20

1915年にNYで創業し、アイウエアデザインの王道を形づくった「モスコット」。多様なデザインで溢れるいまこそ、伝統に裏打ちされたクラシックな佇まいに惹かれる。 新作の“JAPAN LIMITED”のラインナップを紹介! 2016年よりスタートした“JAPAN LIMITED”は、インラインにはないノ...

夏を彩るカラーゴールド。「市松」定番の18金シリーズはカラバリ豊富で夏に欠かせないアクセサリー

  • 2026.05.18

湘南に工房を構えるオーダーアクセサリーブランド「市松」。1997年に創業し、その2年後から27年も続く定番の18金シリーズは、カラバリも豊富で、いまや欠かせないブランドの顔だ。プロダクツとしての魅力だけでなく、夏の装いにも重宝する。 「市松」の定番、特別な5色の18金 「酷暑日」という言葉が新たに発...

落語家たちが洋装に身を包む会、第4弾! 落語会「師匠お似合いですよ」の舞台裏で注目の落語家たちをSNAP!

  • 2026.05.18

アメカジを提案するファッションブランド「ゴールデンベア」が主催する落語会、その名も「師匠お似合いですよ」。弊誌も師匠方のスタイリングを担当。第4回目となる今回も大盛況でした。楽屋裏で撮影したみなさまの素敵な着こなしをお届けします! 落語家たちが洋装に身を包む会「師匠お似合いですよ」の舞台裏に潜入! ...

Pick Up おすすめ記事

【連載】ビートルズのことを考えない日は一日もなかった

  • 2024.02.05

80年代、私的ビートルズ物語。 ビートルズ研究と収集に勤しむビートルデイズを始めて早44年(Since1980)。 なにをするにもビートルズが基準だった『昭和40年男』編集長のビートルズ史を、 当時の出来事とともに振り返ります。

落語家たちが洋装に身を包む会、第4弾! 落語会「師匠お似合いですよ」の舞台裏で注目の落語家たちをSNAP!

  • 2026.05.18

アメカジを提案するファッションブランド「ゴールデンベア」が主催する落語会、その名も「師匠お似合いですよ」。弊誌も師匠方のスタイリングを担当。第4回目となる今回も大盛況でした。楽屋裏で撮影したみなさまの素敵な着こなしをお届けします! 落語家たちが洋装に身を包む会「師匠お似合いですよ」の舞台裏に潜入! ...

日本人に最適化された新作の“JAPAN LIMITED”に注目!「MOSCOT」現代に引き継がれるアメリカンクラシックのDNA

  • 2026.05.20

1915年にNYで創業し、アイウエアデザインの王道を形づくった「モスコット」。多様なデザインで溢れるいまこそ、伝統に裏打ちされたクラシックな佇まいに惹かれる。 新作の“JAPAN LIMITED”のラインナップを紹介! 2016年よりスタートした“JAPAN LIMITED”は、インラインにはないノ...

夏を彩るカラーゴールド。「市松」定番の18金シリーズはカラバリ豊富で夏に欠かせないアクセサリー

  • 2026.05.18

湘南に工房を構えるオーダーアクセサリーブランド「市松」。1997年に創業し、その2年後から27年も続く定番の18金シリーズは、カラバリも豊富で、いまや欠かせないブランドの顔だ。プロダクツとしての魅力だけでなく、夏の装いにも重宝する。 「市松」の定番、特別な5色の18金 「酷暑日」という言葉が新たに発...

働くヒトとヴァーグウォッチ。【vol.01靴磨き職人/「Chett」店主・大平雄太さん】

  • 2026.05.21

「Time is Money」=「時は金なり」。自身の仕事に誇りを持ち、日々働く人々は有限な“時間”というものを重んじ、身につけるプロダクトにも徹底的にこだわる。アンティークウォッチの旧きよきディテールを備えながら、手軽かつデイリーに使うことのできるヴァーグウォッチはそんな彼らの心強い相棒となる。 ...