ガラスという素材を使いながら、見るたびに新しい形に更新され続ける“終わりのないステンドグラス”
1816年、スコットランドの物理学者デヴィッド・ブリュースターが、灯台の光をより遠方へ届かせる研究過程で、合わせ鏡の反射が生む対称美を偶然発見したことに端を発する万華鏡。光の屈折と反射という物理現象が織りなす幾何学模様は、瞬く間に欧州全土を魅了した。日本へは江戸末期に伝来し、「百色眼鏡(ひゃくいろめがね)」の名で人々を驚嘆させたが、明治以降は安価な紙筒製の玩具としてのイメージが長く定着することとなる。
しかし1980年代、アメリカにおいて愛息子を交通事故で失ったコージー・ベーカー夫人が、失意の底で万華鏡と出会い、深い悲しみを一瞬でも和らげてくれたその魅力に導かれるかたちで、万華鏡ルネッサンスが勃興する。光学に根差した精緻な幾何学と工芸的意匠を兼ね備えた表現は、やがて現代アートへと昇華していく。日本でも1990年代以降、山見氏らの尽力により、大人の鑑賞に耐えうる現代工芸としての確固たる地位が築かれた。現在、シーンはデジタル技術との融合や建築的スケールの大型インスタレーション、さらにはメンタルケアへの応用へと広がりを見せているが、その根底にあるのは、鏡と光が織り成す“一期一会の美”への尽きることのない探求心にほかならない。
──万華鏡作家という、当時はまだ日本に職業として存在しなかった道なき道を志したきっかけは何だったのでしょうか。
もともとはアメリカの大学でアートを学び、帰国後は学生時代に学んだステンドグラスの仕事に従事していました。当時はステンドグラスをいかに現代アートとして成立させるかに腐心しており、光を透過させるガラスという素材の面白さにのめり込んでいました。なかでもステンドグラスの技術を応用した立体物への関心を深めていたのですが、そんな矢先、アメリカで万華鏡がアートとして再評価されていると知り、期待と不安を抱きながら現地のコンベンションに足を運びました。
そこで目にした作品群は、私がそれまで知っていた紙筒の玩具とは、素材も構造も哲学も全くの別物でした。精密な計算に基づいた光の幾何学、真鍮や木工で仕上げられた重厚な外装。何より、私を含め、それらを覗き込む大人たちが子どものように瞳を輝かせている姿に衝撃を受けたのです。ステンドグラスは一度完成すると形が固定されますが、万華鏡はガラスという素材を使いながら、見るたびに新しい形に更新され続ける。言わば“終わりのないステンドグラス”と、考えるようになっていきました。
──表現方法の変化に戸惑いはなかったのでしょうか?
いえ、地続きに考えました。大学で学んだ色彩理論や専門学校で習得した精密なカット技術、そして光の屈折に関する基礎知識。それらがあったからこそ、独学で万華鏡を構築する際も、迷わず本質へ辿り着けたと感じています。ステンドグラスで培ったガラスと光を操る技術が、小さな筒の中に集約できると直感し、数学的検証を重ね、1994年に自分の店を構えるに至りました。
──二度と同じ映像にはならないという万華鏡独自の個性、つまりは再現性をコントロールすることは可能なのでしょうか?
確かに100%コントロールすることは不可能です。ただ、万華鏡の映像を決めるのは、鏡の組み方だけではなく、中のオブジェクトがどう動くかが重要です。万華鏡には数種類のタイプが存在しますが、大きく分けてドライタイプとオイルタイプがあります。ドライタイプは回すたびに映像が瞬時に切り替わるのに対し、オイルタイプは映像がゆっくりと変化します。どちらかといえば私はドライタイプが好みで、回転により瞬時に前の映像が消え去ってしまう儚さに、幼少期に見た玩具の万華鏡の思い出が蘇ります。映像を作り出す中のオブジェクト自体は有り物ではなく、映像の仕上がりをイメージしながらガラス棒をバーナーで熱し、形を変化させてゼロから作り上げます。そうして完成したものを覗く行為は、極めて個人的で親密な体験です。万華鏡を覗いている間だけは、強制的に自分だけの世界に没入できるわけです。
──山見さんの作品は、従来の万華鏡の概念を根底から覆すものばかりです。制作の核にある哲学を教えてください。
万華鏡の本質は、ひと言で言えば「鏡による空間の魔術」です。3枚の鏡を組み合わせるにしても、角度がコンマ数度、あるいは数ミリずれるだけで、映し出される映像の連続性は無残に崩れてしまいます。私は単に綺麗な模様を作るのではなく、三次元的な空間そのものを再構築する意識で制作に臨んでいます。例えば、数百個のガラス片を精密に組み上げた作品では、外観の複雑な造形美と、内部の幻想的で有機的な揺らぎの対比を際立たせる。常に「まだ見たことのない景色」を追い求めています。万華鏡は科学的な緻密さと、偶然がもたらすカオス的な美しさが高度に同居する、極めて稀有な表現媒体です。その数学的な整合性が完璧であるほど、覗いた瞬間に脳が現実を忘れ、未知の次元へとジャンプできる。その落差が、万華鏡を制作する上で最も魅力的であり、覗き込んだ際の映像だけに限らず、万華鏡自体のルックス、つまりは外装も然りです。
──確かに、作品の外装についても、まるでひとつの彫刻作品のような風格がありますね。
万華鏡は覗く道具である前に、ひとつのオブジェであるべきだと考えています。かつて万華鏡が貴族の嗜みだった時代、それは書斎を飾る調度品でした。私の作品も、インテリアとして成立する美しさを追求しています。例えば、作品「GODZILLA」にも使用しているダイクロイックガラスという特殊な偏光ガラスは、未来的な輝きを表現できます。一方で、温もりのある柔らかな色調のガラスを使うことで、心が落ち着く癒しの効果を持たせることもあります。外装から受ける印象と内部の映像がシンクロした時、作品は真の完成を迎えます。手に取った時の重み、触れた時の質感、回した時の滑らかな手応え。五感全てで万華鏡を感じてほしいという願いを込めています。



GODZILLA(2021)|偏光板とダイクロイックガラスが放つ鮮烈な輝きは、光の干渉を利用し無限の色彩を生む。精緻なミラーシステムが、外装の荒々しい質感とは対照的な、息を呑むほどに美しく複雑な幾何学模様を鮮やかに投影する。
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