アップルが日本法人としてビジネスを始めたのは1983年。最初のマッキントッシュであるMacintosh 128Kが発売される前年のことだ。
以来、幾多の苦難の時を越えて、アップルと日本の付き合いは、40年間続いてきた。いにしえのMacintosh、’98年のiMacの誕生、2007年のiPhoneの登場、そしてiPhoneの爆発的人気による躍進……日本はアップルにとって常に『重要な市場』であり続けている。
Classic Mac OSの日本語版である漢字Talkが、スティーブ・ジョブズの指示により開発・発表されたのは1986年と非常に早い。以来、Macは常に日本語OSをアップデートし続け、2001年ローンチのOS X登場時も、日本語の運用について、深い配慮がなされ、それによって日本語のDTP環境は充実したものとなった。
iPhoneも、発表の翌年である2008年には日本市場参入を果たしている。以来、iPhoneがスマホ市場の約半分を専有する世界的に見ても希有な国ということで、日本は重要な市場に位置づけられている。
アップルが日本を重視し続けているのは、常に大きな市場であり続けたということもあるが、それだけではないだろう。
創業者であるスティーブ・ジョブズが非常に大切にした禅の精神を持つ国であり、彼があこがれたSONYを産んだ国でもある。また、現在でもアップル製品に使われている多くの部品が日本製であるという事情もある。
アップルにとって、日本は単なる“市場”ではなく、特別な国であり続けているのである。
日本法人の40周年に際して、アップルのCEOであるティム・クックは、以下のように述べた。
「…Long and rich history in Japan. Apple and Japan – two great innovators coming together to change the world. An even brighter future ahead of us.」
(アップルと日本は、これまで長く豊かな歴史を積み重ねてきました。大いなる変革者である両者は、ともに手を携えて世界に変革をもたらしてきました。そして、この先にはさらなる輝かしい未来が広がっています)
現在のアップルと日本を象徴するエピソードをいくつか紹介しよう。
数多くの重要な部品が日本企業によって作られている
iPhoneやMacの裏面や、パッケージを見ると『Designed by Apple in California, assembled in China.』と書いてあることが多いが、部品レベルで見ると、多くの部品に日本企業のものが使われている。
有名なところでは、先日ティム・クックが見学に行った熊本のソニーセミコンダクタソリューションズで作られるiPhoneのカメラセンサーや、京都の村田製作所で作られる積層セラミックコンデンサが挙げられるだろう。
最新のMacBook Air 15インチの液晶ディスプレイで使われている、日東電工の偏光板もそんな部品のひとつだ。
偏光板とは、光の透過を制御して液晶ディスプレイの表示を見えるようにする光学フィルム。その性能が、画面の美しさを大きく左右する。MacBook Air 15インチの明るく美しいディスプレイには、日東電工の生産技術が必要不可欠なのだ。
こうした企業は枚挙にいとまがなく、アップルは1000社近い日本企業から部品を購入している。その多くが他の国の企業では入手が難しい、高度な生産技術に支えられた製品だ。
日東電工は以下のように語ってる。
「日東電工株式会社は、20年以上にわたってAppleと協業してきたことを大変誇りに思っています。ディスプレイ用偏光板に関する私たちのコラボレーションは、世界中の何百万人ものお客様に素晴らしい製品をお届けすることに貢献してきました。私たちの才能ある従業員の仕事が、世界規模で共有されているのを見るのは素晴らしいことです。
私たちの偏光板に関する仕事が、Appleが驚くほど薄くて軽く、高性能なディスプレイを作ることに貢献したことを嬉しく思います。私たちのチームの仕事は、Mac、iPhone、iPadなど、20年以上にわたって多くのアップル製品の一部となっています。
日東電工は、クリーンエネルギーを使用することで、Appleの2030年の環境目標の一端を担っていることを誇りに思っています。私たちは屋根に設置した太陽光発電で電力をまかなっています。私たちは地球を守るために何ができるかを常に考えています。」
飛躍的に便利になった日本のアプリ開発環境
アプリケーションの世界においても、日本とアップルの関係性は深い。
くふうAIスタジオ代表取締役を務める閑歳孝子さんは、iPhoneアプリを開発することで、大きく人生が変わったエンジニアのひとりだ。
閑歳さんが、会社員をしながら余暇時間や、通勤時間中に、iPhone用の家計簿アプリ『Zaim』をローンチしたのは2011年、つまり12年前のこと。現在、閑歳さんは、くふうAIスタジオでAIを利用したZaimのさらなる改善に取り組むとともに、くふうカンパニーで、他のさまざまなアプリ、ウェブサービスを開発することで、多くの人々の生活の効率化のサポートに取り組んでいる。
「12年前はアプリ開発の情報を得るのも大変でしたが、いまではアップルによってまとめられたドキュメントが豊富にあり、とても開発しやすくなっています。言語がObjective-CからSwiftに変わったというのもありますが、全体にとても扱いやすくなりました。当時はメモリーの管理なども自分で行わなければならず、油断するとアプリが容易に落ちてしまうという状況でした。今や、非常に簡単に、堅牢なアプリを作れるようになっています」と、閑歳さん。
閑歳さんのみならず、日本では、非常に数多くの開発者たちが、今日も、iPhone、iPad、Apple Watch、Macなどのアプリケーションを開発し続けている。
子どもたちの、『考える力』を養うために
アップルは、古くから教育市場を重視している。
ジョブズが『Rest of Us(取り残されたひとたち)』のために、誰でも使えるコンピュータとしてMacintoshを開発したというのは有名な話。常に『誰もが使いやすいコンピュータ、デバイス』として作られていたから、伝統的に教育機関で多く使われ、アップル自身もそこでの普及に力を入れているというのもご存知の通り。
東京都世田谷区の世田谷区立深沢中学校は、GIGAスクール構想で導入するデバイスにiPadを選択した。
全校生徒384人と先生方にiPadが導入され、授業に活用された。他の区で、他のデバイスを導入した学校は、苦労したところも多かったそうだが、深沢中学校ではスムーズに導入できたという。
世田谷区の学校といえば、家庭教育も行き届いた裕福な家庭の児童が多そうな気がするが、やはり公立中学となると多様な家庭の子どもたちが集まっているのだという。
「学力はもともと高い子どもたちが多かったのですが、独自に考える力が弱い子どももいた」と、佐野晴子校長先生。iPadを活用して、動画やプレゼンテーション資料を作る授業をしていく中で、自ら考え、学び取る姿勢が身に着いていったという。
実際に、授業を2時限ほど見学させていただいた。
英語の授業では、シナリオを作って会話をGarageBandに収録、Podcastを作る授業が行われていた。
ただ、教科書を読み、それを写す授業とは大きく異なり、それぞれの生徒が、積極的に取り組んでいたのが印象的だった。我々の時代と違い、自由に動いてグループで学習していた。きれいに整列するより、自ら学び取る姿勢が大切ということなのだろう。
数学の授業では、学んでいる課題について、生徒自身が問題を作成し、その解説動画をKeynoteで作るという授業が行われていた。完成した動画と振り返りは、ロイロノートで共有するという。
なるほど、問題を解くよりも、問題を作る方が、はるかに深い理解が必要になる。とても興味深い授業だった。
iPadは学びのための文房具
「iPadは学びのための文房具なんですよ。iPadを使って子どもたち自身が学びをデザインするんです」と言うのは、世田谷区教育委員会の教育長である渡部理枝さん。
多くの人が住む住宅地を持つ巨大な『区』である世田谷区は、小学校61校、中学校29校、児童生徒数約5万人を抱える。この区の児童生徒全員にiPadが配布された。
iPadは、毎日持ち帰り、家庭内での学習にも使えるようにした。制限は最低限として、子どもたちが自由に使えるようにしている。導入時の先生の負担を減らすために、各校1名(合計90人)のICT推進委員を設け、全体でICT担当指導員2名、ICT支援員32名、ICTインフルエンサー43名(令和5年度)を用意し、iPadへの導入をサポートした。
「iPadは子どもたちにとって使いやすいのはもちろんですが、電源がすぐに入るし、一日中使ってもバッテリーの心配をしなくていいというのも、学校での利用においては大切なこと。10〜30年後に活躍する子どもたちが、将来必要とすることを、今の私たち大人が上から教えることはできません。学びの中心に子どもがいて、自分たち自身が学び取る姿勢を身に着けてもらう『せたがや探究的なまなび』において、iPadは非常に重要な役割を果たしています」と渡部さんは語ってくれた。
たった7人の小学校でも、iPadだからこそできることがある
iPadのメリットが活きているのは都市部の学校だけではない。
北海道、鹿追町の上幌内小学校のような児童が7人しかいないような小学校でも、iPadは教育を大きく変えている。
鹿追町は、十勝平野の北東部、帯広の北、大雪山国定公園のふもとに位置する町。終戦後は入植者の増加や、自衛隊駐屯地ができたことなどにより人口が増加したが、今は人口5000人程度で安定してる。酪農、畜産に携わる人が多い町だ。
ただ、単なる『地方』というだけでなく、その土地柄を活かし、循環型農業を推進するとともに、再生可能エネルギーを創出するなど、独自性を活かした先進性ある土地でもある。『カーボンニュートラルの先、カーボンマイナス』を目指しているということで、ある意味、都会よりはるかに先進的である。
児童が7人しかいないので、同じ教室で、それぞれが違う学年の勉強をすることになるが、iPadを活用することにより、それぞれが個々の進度で、個々の勉強を行うことが可能となっている。
鹿追町では、小学校1年生から高校3年生まで、すべての児童にひとり1台のiPadを配している。また、先生と小学校5年生以降は、アップルペンシルも配している。
上幌内小学校は生徒数7人の学校だが、107年の歴史を持つ伝統校。校庭にウサギや鹿どころか、熊が出ることさえあるという土地。しかし、その土地でしか学べないことも数多い。
豊富な自然を活かして農園活動をしたり、自然の中で遊んだり、そこで知ったことをiPadで調べたり、レポートにまとめたりと、上幌内小学校ならではの勉強が可能となっている。
自分から調べ、メタ認知能力と自己調整力を持つ子どもを育てるために、iPadは大変役に立っているということだ。
Swift Student Challengeで、アワードを受賞
アップル製品が勉強に役立っているのは、小学生や中学生だけではない。高校生や大学生の学習でも活用されている。
熊本県立大学 総合管理学部 総合管理学科 飯村研究室の飯村伊智郎教授のゼミで学ぶ2人の学生は、アップルが主催するSwift Student Challengeで、大きく評価され、アワードを受けた。
総合管理学部3年の秋岡菜々子さんと、山田雄斗さんはそれぞれ、和柄を活かし、生活の中に取り入れるためのアプリを開発したところ、アワードに選ばれたという。山田さんのアプリは『結”Yui”』、秋岡さんのアプリは『Japattern Legacy』。
これらのアプリを開発することによって、プログラミングについて学べただけでなく、これまで気にしていなかった日本の伝統文化についても深く知る事ができたという。
この40年に続く未来が楽しみだ
アップル日本法人40年の歴史は、そのまま我々日本人とアップルの親交の歴史であった。
この40年の間に、日本でアップル製品の一部は作られ、使われ、アップル製品を使って子どもたちは学び、育っていった。
我々とアップルの間には分かちがたい絆が生まれ、この関係性は次の10年、いや40年も続いていくことだろう。次の40年に、どんな未来が開けていくのか、とても楽しみだ。
【アップルが発表したプレスリリース】
https://www.apple.com/jp/newsroom/2023/08/apple-celebrates-40-years-in-japan/
(村上タクタ)
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