『タモリ倶楽部』とはなんだったのか? 菅原正豊さんとタモリさん【土屋敏男のテレビの記憶】

土屋敏男が、テレビ界の歴史を作った伝説のテレビマンと“テレビの記憶”を語るこの連載。今回のゲストは、『タモリ倶楽部』(1982~2023年/テレビ朝日系)に立ち上げから関わっていた、ハウフルス会長(現在)・菅原正豊。2023年秋、40年の歴史に幕を閉じた『タモリ倶楽部』とはなんだったのか? そして、タモリのすごさとは? 番組の大ファンだった土屋が、番組立ち上げの経緯から徹底深掘りする。

「好きなことをやろう」と始まった番組だった

土屋 『タモリ倶楽部』が終わる時に思ったのが、“僕のなかのテレビの終わりの終わり”というか。「いよいよ、自分が知っているテレビ、愛着あるテレビが終わるんだな」というのをすごく感じてしまったんです。『タモリ倶楽部』は40年続いたんですよね?

菅原 「大丈夫かな?」と思って始まった番組だったんで、40年続くなんて、当然思ってなかったんだけど(笑)。もともと、僕が『出没!! おもしろMAP』という番組をやっていて。いろんな街に行って、街を紹介しながらバカやってという、あの時代にはなかった番組で。

土屋 はい、観てました。ムキムキマン(※1)ですよね?

菅原 そう。街歩きをして、途中でムキムキマンが出てきて体操するという番組だったんだけど(笑)。そんな時代に田辺エージェンシーの田邊(昭知)社長に声をかけられて。

土屋 菅原さんの作った番組を観て、「こいつおもしろいな」と思って呼ばれたということですよね。

菅原 そうなのかな…。それで「タモリを預けるから、深夜を開拓しろ」と言われたんだけど。田邊社長に、「どんな番組を考えてますか?」って聞いたら、「そんなことはお前が考えろよ」って言われて(笑)。「こんな番組がやりたい」っていうよりは、「好きなことをやろう」と始まった番組だったんです。それで大学の後輩で構成作家やっていた、(景山)民夫に声をかけて。最初は連続ドラマもあったんですよ。タモリさんと中村れい子さんが毎回すれ違う「愛のさざなみ」とか。あとは、「廃盤になったレコードに値段がついている」ってことで「廃盤アワー」と、「SOUL TRAIN」が流行ってたから、総武線で踊る「SOUB TRAIN」というコーナーがあったり。

土屋 基本的にダジャレなんですね(笑)。

※1…日本を代表するボディビル出身の肉体派タレント。テレビ朝日のバラエティ番組『出没!!おもしろMAP』に古代ローマ戦士をイメージした紛争のムキムキマンとして出演し大ブレイク。

深夜番組はテレビの解放区だった

菅原正豊/すがわらまさとよ|昭和21年、東京都生まれ。大学時代にアルバイトで、日テレ『11PM』のADを経験。1973年にPR代理店・フルハウスを立ち上げ、1978年に番組制作部門・フルハウスTVP(91年にハウフルスに社名変更)設立。『タモリ倶楽部』、『THE夜もヒッパレ』、『タモリのボキャブラ天国』、『出没!アド街ック天国』などで、総合演出を務める。

土屋 あと、『タモリ倶楽部』ってすごく東京的で。後に吉本がガッときて、漫才ブームも起きますが。東京っぽさというのは意識したんですか?

菅原 特別意識しなかったけど、僕は東京しか知らないし。

土屋 そうか、菅原さんはテレビが自由になり始めて、『11PM』(※2)とか深夜番組が始まって。そのスタートからADで現場にいて、後に深夜番組の『タモリ倶楽部』を手がけたんですもんね。

菅原 僕、深夜番組しかやったことがないんですよ(笑)。言われたことだけをやるのがイヤだから、ADの時も優秀じゃなかったですし。動くよりも物を考えるのが好きだったんです。

土屋 『11PM』は「東西ストリップ合戦」とか、「女湯中継」とかやりながら、でも、硬派な社会問題も取り上げたりして、最初のテレビの解放区でしたよね?

菅原 そうだね。そこからテレビの世界に入ったから、楽しくてしかたなかったんです。当時、学生だったんですけど。「こういうのはどうでしょう?」「おもしれぇなぁ。明日までにまとめろ」とか言われて、いろいろ考えてました。

土屋 『11PM』時代で、学生だった菅原さんが考えた企画で、これはおもしろかったというのは?

菅原 ひとつの商品があって、アートディレクターやらコピーライターやらが集まって、会議をする。ネーミングを考えて、ポスターを作ったりするんだけど、その第一回が“ふんどしを世界に売る”という企画で(笑)。「ジャパンツ」ってネーミングやキャッチフレーズを考えたり、広告戦略を考えたり。

土屋 わはは。『タモリ倶楽部』には、そういう『11PM』から始まる、深夜テレビのよさが残っていて。お尻を振るオープニングとか、今だったら絶対無理じゃないですか?

菅原 ダメでしょうね。でも、お尻ってかわいいじゃないですか。結局、最後まで何も言われませんでした(笑)。

土屋 僕がテレビの終わりを感じたのはそれもあって。毎週やってたから、今さらやめろと言えないところもありましたよね。

菅原 それより、ウチで『出没!アド街ック天国』(※3)ってやってるでしょ。各街のファッションの違いを見せるコレクションってコーナーなんだけど、「女性だけだとダメだ」って言われて。男性やカップルを入れてくれっていうから、「だったらやめちゃえ」ってコーナーなくしたんです。街によってファッションが違うっていうからおもしろいのに、「差別だ」って視聴者からクレームがくるらしい。

※2…1965年11月から90年3月まで日本テレビ系列で放送されていた深夜番組。
※3…1995年4月から、毎週土曜21:00からテレビ東京系列で放送されている情報バラエティ番組。テレビ東京とハウフルスの共同制作。

タモリさんは「イヤだ」とは言わない

土屋敏男/つちやとしお|昭和31年、静岡県生まれ。1979年4月、日本テレビ放送網入社。『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』、『ウッチャンナンチャンのウリナリ!』などバラエティ番組を演出。『電波少年』シリーズでは、Tプロデューサー・T部長として出演。現在は、エンターテイメント企画演出会社Gontents合同会社代表

土屋 はぁ〜、そうですかぁ。そこで「だったらやめちまえ」の矜持がいいし、それが僕の好きなテレビマンなんですよ! ところで、『タモリ倶楽部』って、企画からタモリさんの気配をひしひしと感じますが、タモリさんとの関係性はどんな風だったんですか?

菅原 全部の企画を「タモリさんがおもしろがってくれること」っていう発想で考えていましたね。タモリさん自身が「あれがやりたい」って主張することはほとんどなかったから。

土屋 「あ、これだったらおもしろがるだろう」ってことをスタッフ側から投げて、「ほら、どうですか」という感じなんですね。

菅原 そう。よく、「『タモリ倶楽部』はサブカルだ」と言われるけど、ウチにサブカルのヤツなんていませんよ(笑)。おもしろいことを考えたら、たまたまそうなっただけで。タモリさんがメシが好きだったり、道が好きだったり、いろんなことに興味があるから、それを提案してきただけなんです。道が好きだから、たまたま坂をやったら喜んで。「タモリさんって坂が好きだったんだ!」って、違う企画を提案したり。

土屋 なるほど(笑)。なぜ40年も続いたんだと思います?

菅原 それは『タモリ倶楽部』みたいな番組が他になかったし、タモリさんという存在もあるし。

土屋 僕、タモリさんって、最もテレビ的じゃないタレントの気がするんです。テレビに合わせる気がないんじゃないかと…。

菅原 合わせる気はないけど、言われたことに「イヤだ」とは言わない人なんですよね。自分で「サラリーマンだ」と言ってるけど、変なこだわり出そうとか、「これは違う」とか言ったりしない。ある意味哲学者みたいな人ですね。

土屋 でもノッてる時とか、ハプニングが起きた時、タモリさんの目がギラッとする時があって。それがドキュメント的というか、結果としてすごくテレビ向きな人という感じもします。

菅原 とにかく引き出しが多いからね。でも本読んでるところとか、絶対に人に見せないしね。なんなんでしょうね、あれは。

土屋 番組収録に来て、やりたいことやって帰って。それ以外の時間、ウチで山ほどいろんなことしてるんでしょうね(笑)。

菅原 また、それが見えないのがいいよね、謎が多い。

土屋 タモリさんは森羅万象を知ってるんじゃないか? と思う時ありますからね(笑)。お笑い芸人がよく言うのは、「最終的に『タモリ倶楽部』みたいな番組をやりたい」って。でも、それができない理由って、やりたいことをタレントに聞いちゃうからだと思うんです。それを毎週やってると、結局やることがなくなる。『タモリ倶楽部』っていろんなことを試すっていうのをず〜っとやり続けて。「そんなことやるんだ!?」っていうのが、最後までありましたからね。

菅原 それはタモリさんが何も言わないからいいんだと思いますよ。

土屋 『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)も観る度、「なんで、ずっとタモリさんが出続けてるんだろう?」と思いますもん(笑)。

菅原 最後にひと言しゃべるだけの『タモリSTATION』(※4)っていうのも。

土屋 ありましたね。だから逆に言うと、しゃべらないことがタモリさんのすごさだというのを見せたし。最もテレビに合わせないところが随一のテレビタレントである、というのは思いますね。あと、『タモリ倶楽部』って、“テレビを作る”というより、“テレビで遊ぶ”ってスピリットがありましたよね。

菅原 あの番組がディレクターの遊び場だったのも、やっぱりタモリさんがいてくれたからでしょうね。タモリさんがいるとバカな企画も頭がよさそうな番組に見えてくる。

土屋 タモリさんがいろいろなことから守ってくれていたんですね。オープニング映像も、タモリさんがいなければ、守れなかったのかも(笑)。「お尻オーディション」とかやってましたよね。

菅原 そう。3年に1度くらい映像を変えるんだけど、変える時にオーディションをやって。

土屋 いや、僕らにとって『タモリ倶楽部』のお尻は、最後の希望の光でした(笑)。『志村けんのだいじょぶだぁ』(フジテレビ系)で、腰元(侍女)がおっぱい出すのも00年前後になくなったじゃないですか。

菅原 『タモリのボキャブラ天国』(※5)もすごかったけどね。22時からの放送だったけど、「大人のボキャ天」とか、今考えたら、よくオンエアできたなって思いますよ。

土屋 『昭和50年男』でいろんな証言集めて、“テレビのエロの歴史”をやってほしいなぁ(笑)。

菅原 エロって下品にならなきゃいいと思うんだよね。そこはセンスの問題だから難しいけど。

※4…2022年から、テレビ朝日系列で放送されている、タモリ司会の報道特別番組かつ教養番組。
※5…1992年10月に第1シリーズがスタート。1999年9月まで番組名をマイナーチェンジしながら、フジテレビ系列で断続的に放送されていた。フジテレビとハウフルスの共同制作。

「空耳アワー」は続けたいんだけど

土屋 ディレクター魂とか、『タモリ倶楽部』から受け継がれてるものってあります?

菅原 難しいよね、演出って。教育したから演出家になれるってわけじゃないから。うちに山田(謙司)ってのがいてね。そいつが引き継いで、最後までやってくれたんだけど。引き継いだことは、「一生懸命いいかげんなものを作ろう」という基本だけですよね。

土屋 「『タモリ倶楽部』が終わる」というのは、誰が言い出したんですか?

菅原 よくわかんない(笑)。ちょうどいい頃かな? というのもあるし。

土屋 「そろそろ」ってのがあって、「じゃあ、40周年の節目で」ってことなんですかね。

菅原 それで終わってみたら、反響がすごくあったから、ビックリしたし、その後、ギャラクシー賞やATP賞も獲ったりして。

土屋 あっさりとした終わり方もカッコよかったです。

菅原 「いつもどおりがいいんじゃないか」って。結局ね、力を入れないことが『タモリ倶楽部』ですから、あまり作りすぎてもダメ。ただ、『タモリ倶楽部』はあれでいいけど。「空耳アワー」はもうちょっとなんとか続けたいと思いますね。でも、あれだけだと番組にはならないし、結局、タモリさんがいての「空耳アワー」だから、難しいけどね。

菅原正豊氏が初めて明かした制作哲学『「深夜」の美学』が3/15に刊行された

『「深夜」の美学』
1980円
菅原正豊:著
戸部田 誠(てれびのスキマ):構成
大和書房:刊
https://www.daiwashobo.co.jp/book/b10107172.html

『タモリ倶楽部』『ボキャブラ天国』『アド街』『イカ天』『夜もヒッパレ』『どっちの料理ショー』…番組のすべてを企画した伝説の演出家にして、テレビ制作会社ハウフルス創業者の菅原正豊氏が上梓した『「深夜」の美学』が3月15日に大和書房より刊行された。初めて番組の裏側と制作哲学を明かした、菅原氏の照れと美学の演出術。すべての読者に通じる学びが満載の1冊です。

『みんなのテレビの記憶』YouTubeでこの対談の完全版を公開中!

土屋敏男プロデューサーが手がける『みんなのテレビの記憶』は、番組を作った人と観ていた人、両方の記憶を集め、Webコミュニティ、YouTube、note、NFTなどを活用したプロジェクト。土屋敏男氏と伝説のテレビマン同士の対談動画が連載企画としてYouTubeで進行中。この対談の完全版を収録した「菅原正豊が語るテレビ史の内側」も配信されているので、ぜひお楽しみください!

https://www.youtube.com/@tvnokioku
https://kioku.tv

(出典/「昭和50年男 2023年11月号 Vol.025」)

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昭和50年男 編集部
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昭和50年生まれの男性向け年齢限定マガジン

昭和50(1975)年生まれの男性に向けて、「ただ懐かしむだけでなく、ノスタルジックな共感や情熱を、明日を生きる活力に変える」をテーマに、同世代ならではのアレコレを振り返ります。多彩なインタビューも掲載。
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