父から繰り返されたたったひとつの問いかけ。
「康太郎、何がやりたいの?」
子どもの頃から吉田康太郎さんは大学教授でもある父親に、そう問われながら育ったという。朝は「おはよう」のあとに。食事中の会話のネタとして。
「『何のために生きてるの?』とかもありました。そのせいでやりたいことを見つけ、成し遂げるんだと意欲だけは昔からあった。だからって『コレだ!』と答えられたわけじゃなかったんですけど」
今なら、違う。『ビッグベイビー・アイスクリーム』。吉田さんは2018年から東急東横線・新丸子駅近くのアイスクリーム専門店を経営しているから。
コンセプトは3世代に愛されるアイスを売る“アイスクリームダイナー”。大人の一人客はフラッとカウンター席でビールを傾けながら。ファミリーはワイワイと。アメリカのダイナーのように、自由にリラックスして手の込んだクラフトアイスを楽しめるのだ。
「そんなコンセプチャルな店をやりたかった。そう、高校の頃から“やりたかったこと”を、僕らは形にしたんですよ」
兄の通うゼミで「なりたい」を見つける。
はじまりの記憶はアメリカだ。3歳の頃、父親が1年間フロリダの大学で研究することになり、横浜から家族で移住した。
「広くてプール付きの家に住み、白人や黒人やアジア系がごちゃごちゃにいてみんなフラットに付き合う。それが世の中のスタンダードだと思っちゃってましたね」
その後、横浜に戻るとアメリカと違うスタンダードに戸惑った。家にプールもなく、天井も低い。それも違和感があったが、何より「出る杭を打つ」同級生たちのごく自然な同調圧力がイヤだった。
「それこそ『あれがやりたい!』なんて夢を語るとバカにするような空気がどうも苦手でしたね」
よどんだ空気から引き上げてくれたのが、2つ上の兄だった。兄・健太郎さんは、武蔵野美術大学で空間演出デザイン学科を選考。店舗デザインを手がけるゼミに所属していた。『手伝ってくれない?』と、弟の吉田さんを研究室に誘い込んだのだ。
「高校2年の時かな。実際に手伝うのは、店舗デザインの模型づくりでしたが、もうめちゃくちゃ楽しかったんですよね。その場が」
店や建造物のテーマを決め、コンセプトを絞り、それにふさわしい形をデザインしていく。クリエイティビティに、まず魅かれた。
「しかも、みんなやりたいことが明確だった」からたまらない。
「自分もこっち側に入りたいと思った。もっと言うと兄と一緒にコンセプトを形にした、理想の店をつくりたいと思い始めたんです」
兄弟で店がやりたい。ビジョンから引き寄せ、進学先も決めた。明治大学商学部だ。
「兄はデザイン、なら僕は経営を極めようと。バランスを考えた」
ことあるごとに兄と2人、海外のイケてる飲食店を巡る旅にも出た。ブルックリン、上海、ソウル。話題のカフェやレストランを訪ね、ホテルに戻っては議論した。『あそこのメニューと内装は最高だった』『スタッフの雰囲気が合っているのも大事だよね』と。
「2人の店のためのインスピレーションを集めていた感じですね」
ただ最も大きなインスピレーションは、東京の3つの街で得る。
「バワリーキッチン」での忘れられない瞬間。
まずは「駒沢」。大学時代、東京のカフェカルチャーを牽引してきた山本宇一氏がつくった駒沢の『バワリーキッチン』でバイトをしていた。
「洗練された店構えと美味しい食事、そしてお客様に水を出すときの向き、所作まで『どうすればかっこよく感じてもらえるか』を計算して提供していた。感動しました。世界のどの店より矛盾がない店が、東京にあったという」
忘れられない瞬間もあった。とある週末、『バワリーキッチン』のホールに立ったときだ。夜が深まり席が埋まり、オーダーが溢れた。ただキッチンもホールも驚くほど仕事がスムーズに進んだ。不思議と全体もよく見えた。スタッフ全員の充実した顔。お客さんの笑顔。店内に充満するポジティブなエネルギー。
「『これ最高の景色だな』と感じた。こんな景色を作り出したい、と今の道を決めた瞬間でしたね」
2つめの街は「代官山」だ。『ピザ・スライス』。オーナーの猿丸さんがつくった、NYスタイルのピザスタンドで、兄と仲間たちとピザパーティを開いた。
「DJを入れ、友人のクリエイターにタイポグラフィーのライブでしてもらったり。場と人と空気をつくる喜びを実感しましたね」
最後の街は「自由が丘」だ。彼の地に2017年まであった老舗のアメリカンダイナー『バターフィールド』で、駒沢を離れた後、バイトスタッフをしていた。
「ゆったり時が流れるバターフィールドの雰囲気は自分の店でも醸し出したい。今も思っています」
アイスがなかなか出てこない? それは父親の再登板を待とう。
東京の“空席”だった、カッコいいアイス店。
2017年、ロンドンだった。大学3年になる時、1年休学。イギリスへ遊学していた。
「兄がNYに住んでいたことがあった。それなら僕はロンドンかなと」
そこに父と兄が遊びにきた。3人で気になる飲食店を巡った。『あそこの店、良かったね』『俺ならこうするけどな』『お、いいね!』。いつものようにまた盛り上がる兄弟の背中を、父が押した。『もう、店やっちゃいなよ』
「『どう?』と兄に声をかけたら2つ返事で『いいよ』と。ただ何の店をやるかは見えてなくて」
『アイスなんてどうだ?』
推したのは父だった。ちょうどプライベートでアイスづくりにハマっていたからだ。半分、冗談で言われた気がしたが、あとから考えると「アリだった」という。
「なぜか? アイス店って競合が少ないブルーオーシャンなんです。個人経営のカッコいい専門店が東京には少ない。夏と冬で売上が変わるし、そのくせ製造機が高く参入障壁が高いからでしょうね」
しかしブランドが出来上がれば、冬でも売れる確信があった。運命も後押しした。
「昔、横浜でこんにゃく店を経営していた祖父が、夏場だけアイスを売っていたことがわかった」
ルーツに導かれ「3世代のためのアイスクリームダイナー」のコンセプトは生まれた。続いてアイスを食べるときは子どもも大人も赤ちゃんのように無邪気になってほしい、という意味の店名『ビッグベイビー・アイスクリーム』も。
ベンチシートの3人の忘れられない新たな光景。
デザインはもちろん兄・健太郎さんが担当。ゴテゴテのアメリカンダイナーのデザインを入れなかったのは、兄弟の“らしさ”だ。
「いろんな店を見てきたからこそ、コピー&ペーストしたくなくて」
場所は横浜の地元民として馴染みにある東横線沿線で探した。そして肝心のアイス。とにかく試して、試食しまくったという。
「アイスは何をどれくらい混ぜるかで味が決まる。夜中まで厨房にこもって、もう本当に試してきたし今も試しています。基本は甘すぎないけれど、しっかりコクがある。小さな子どもたちからシニアの方たちが美味しい味にした」
こうして2018年、吉田兄弟の『ビッグベイビー・アイスクリーム』はオープンした。最初からうまくいったわけじゃない。「1日4人しかお客さんが来ない」なんて日もあった。
ブレイクスルーとなったのは「ブラウニーアイスクリーム」。知人が差し入れてくれたブラウニーにアイスをのせてみたら抜群に美味しかったことから生まれたメニューだ。これがSNSでバズり、「新丸子に美味しいアイス屋さんがある」「10種あるどれも美味しい。ゴルゴンゾーラなんてたまらない!」とファンの輪が広がった。
そして今や新丸子を代表する名店で、東京のクラフトアイスのトップランナーと言っていい。今は目黒に『NOON』というレストランとカフェも出して多忙だが、吉田さんはなるべく『ビッグベイビー』のカウンターに立つ。だからココでも忘れられない瞬間がいくつか。L字型のベンチ。シニア女性と若いママ、小さな女の子が並んでアイスを食べていた。
「もしかして……と尋ねると、うなずきながら『はい。3世代です』と。めちゃくちゃうれしかった」
大きな赤ちゃんのような、めちゃくちゃに無邪気な顔で笑った。
吉田兄弟の次の一手はニューアジアンスタンダード&カフェ。
尊敬する山本宇一氏を見習い、別の業態5店舗をつくる予定の吉田ブラザーズ。2020年と21年にすでに目黒オープンさせたのがニューアジアンスタンダードと銘打ったレストラン『NOON』(写真上)と、カフェ『PARLOR NOON』(写真下)。1階と2階で別業態だが、『BIG BABY〜』のアイスを使ったメニューも楽しめる。東京都品川区上大崎4-3-7 1/2階
【DATA】
BIG BABY ICE CREAM
神奈川県川崎市中原区新丸子東1-829
TEL044-750-9080
営業/12:00〜21:00
休み/水曜(夏季のみ)
https://www.bigbabyicecream.com/
※情報は取材当時のものです。
(出典/「Lightning2023年9月号 Vol.353」)
Text/K.Hakoda 箱田高樹(カデナクリエイト) Photo/S.Kai 甲斐俊一郎
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