茨城県笠間市の伝統工芸である笠間焼。その歴史は旧く、江戸時代の安永年間(1772〜1781年)に信楽の陶工である長石衛門の指導によって始まった。厨房用粗陶器の産地として賑わったが、戦後にプラスティック製品に押され、風前の灯火になってしまった。笠間焼を終わらせない。そんな熱意から生まれたのが、茨城県窯業指導所。ここは美大を卒業した額賀氏が門戸を叩いた場所である。
「美大を卒業後は、大工仕事で生計を立てていました。そこで気付いたのが自分は机に座るのではなく、手を動かすことが好きということ。同僚の勧めもあり、焼物をやってみようと思い、父親が茨城出身で遠い親戚が笠間にいたので、そこの窯業指導所に入ったんです。翌年に向山窯で修行を始め、その後独立しました」
額賀さんの作品は、笠間の赤土を使い伝統を感じさせながらも、モダンな仕上がり。和物でも洋物でも絶妙なバランスは、海外でも高く評価されており、あのアダム・シルヴァーマンと共作したことも。その関係もあり、サンフランシスコのヒースセラミックスで個展を毎年行っている。
「海外に出るきっかけは、2006年に福光屋さんでやった個展。そこにニューヨークの高島屋でバイヤーをしている方に出会い、翌年から海外との取引が始まりました。同時期にヒースセラミックスのディレクターをやっていたアダム・シルヴァーマンが工房へ遊びに来てくれて、そこからヒースセラミックスで個展をやるようになったんです。粉引しのぎを中心よした昔ながらの手法で作っているだけなのですが、ここまで評価してもらいありがたい限りです」
そう謙遜するが、修行を積んだ職人であればできる代表的な手法で他と差をつけられるセンスや技術こそ、額賀さんの魅力である。その人気は国内外でもかなり高く、作品は年に10回ほど行っている個展で買うことができるが、初日でほぼ売れてしまうことも。超が付く人気作家にも関わらず、気兼ねなく日常使いしてほしいとの思いから価格設定もけっして高くない。そんな作品を作る上でのイメージソースになっているのが、学生時代に見た中近東を中心とした各地の民芸品だと語る。
「直接的に影響を受けているというわけではありませんが、学生時代に中近東文化センターや出光美術館、日本民藝館などで、各地の民芸品を見ていました。その経験値が自分のモノ作りに影響を受けていることは間違いありません。あとは毎回のように来てくれるお客さんの顔を浮かべながら、新作を作ることが多いですね。喜んでもらえるのが一番ですから」
モダンとクラシックが融合する唯一無二の作品。
額賀さんが得意とするのは、笠間の赤土の風合いをうまく活かした粉引と繊細な手作業に寄るプリーツワーク。また国内外で多大な評価を得ているのが、美しいカラーリングが光るインディゴシリーズ。ひとつずつ表情が異なる。
インディゴ
額賀さんが2015年頃始めた独自の手法で、コバルトを使って、この鮮やかなブルーを表現。当初はボーダー柄で作っていたが、試行錯誤して全体に色を付けるようになった。
プリーツワーク
伝統的な粉引と手作業によるプリーツワークが組み合わされた人気のシリーズ。この模様は、手作業でひとつずつ削っていくので、高い技術と時間が要求されるのだ。
黒掛け分け
2種類以上の釉薬を使った掛け分けの手法もよく使うもの。インディゴや白といったイメージが強いが、海外では黒の人気も高い。
額賀さんが得意とする粉引に窯変(ようへん)をうまく活用して、より風合いを出したシリーズ。笠間焼の特徴である赤土とも相性がよい。
額賀章夫さんのヒストリー
1963年 東京都杉並区に生まれる
1985年 東京造形大学デザイン学科を卒業
1988年 茨城県窯業指導所ろくろ科研修生
1989年 向山窯にて修業
1993年 笠間市下市毛にて独立。工房名「額賀章夫陶磁器工房」。
1999年 現在地に工房を移転 周りに何もなかったが、ロケーションが気に入って選んだそう。そこを開墾して現在の形に。2011年、屋号をN.ceramic studioに変更。
2007年 ヒースセラミックスでの個展をスタート
▼まだまだいます、世界に誇る日本の先駆者たち。
(出典/「Lightning 2018年1月号 Vol.285」)
Text/S.Sato 佐藤周平 Photo/N.Suzuki 鈴木則仁
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