ライノから再発されはじめたトッドの過去アルバム

とにかく、いい音楽に飢えていたあの頃、バイト代はバンド活動費を含めてほぼ音楽に費やし、ビートルズ以外にもいろいろなアーティストのレコードを買い、ライブも観ていた。そのなかでも原田真二とトッド・ラングレンは特別な存在だった。そのトッドが来日をすると聞いて、すぐにチケットを取り、中学の頃からのビートルズ友達だったKK君と一緒に東京公演2日間の中の初日に足を運んだ。
トッドを最初に認識したのは80年、アルバムは『ミート・ザ・ユートピア』である。どこかのラジオ番組でやっていたアルバム特集を録音したテープを、KKくんから借りたのが最初の出会いだったと思う。その頃はまだビートルズを聴き始めたばかりで、ラトルズの存在も知らないタイミング。『ミート・ザ・ユートピア』の卓越したパロディ精神に大いに興味をそそられた。
「抱きしめたいぜ」こそ、ちょっと笑える、それこそラトルズ風味の曲だが、「テイク・イット・ホーム」や「オール・スマイル」「アローン」といった曲の、単なるパロディやオマージュに留まらない完成度の高さ、音楽性の豊かさは、音楽ファンとしての楽しみ方を広げてくれたといっても過言ではない。以降、バンド中心的存在はトッド・ラングレンという人物であることがインプットされ、徐々にこの人はどういうアーティストで、どんな風貌で、ほかにどういう音楽をやっているのかが、気になっていった。
名盤『サムシング、エニシング』を入手したのはそれから3年経った83年、お茶の水にあったシスコでのこと。なぜ3年も経ってしまったのか、と思うが、理由としてはまず単にビートルズ費以外に当てる資金がなかったこと、次にトッドのレコードが見つけにくかったことが挙げられる。その頃は70年代にリリースしたトッドのソロはほぼ廃盤で、街のレコード屋で見かけることはなく、中古屋で見つけたとしても壁に掛けてあるような高価な代物であった。
そんな状況下、シスコには『サムシング、エニシング』のオリジナル盤(ベアズビル盤)が忘れ去られているかのように置かれ、3000円程度で売られていた。念願のレコードを手に入れ、針を落とした1曲目「アイ・ソウ・ザ・ライト」に衝撃を受けたほか「ハロー・イッツ・ミー」などのセンチメンタルな名曲にも心を打たれたが、それだけにとどまらない、非凡な能力、多彩な知識、独自の感覚を総動員して音楽を作り出そうとする姿勢に感服、この2枚組は自分の必聴盤になっていった。続いて入手したレコードは『ウィザード・トゥルー・スター』(これは渋谷のタワーレコードで購入)。これも『サージェント・ペパーズ』に比肩するような、野心作であり実験作。大いに興味をそそられたが、それ以降、トッドのレコードを見つけることは叶わなかった。
そんな折、トッドのカタログが輸入盤屋の店頭に並び始めた。アメリカの再発専門レーベルのライノから一挙再発になったのだ。今ではライノといえばある程度の音楽ファンに認知されているレーベルだが、当時はまだ広く知られる存在ではなく、このトッドの再発でその名を初めて知った人も多かったのではないか。ジャケも音も丁寧な仕事ぶりがうかがえるほか、価格も良心的であることもうれしく、『ラント』『バラッド・オブ』『トッド』ほかの代表作を一気に買い集めた。また、この時期はトッドがプロデュースを手掛けたXTC『スカイラーキング』、ブルジュア・タッグの『YOYO』という作品(どちらもビートルライクなサウンド)が注目を集めたりして、なにかとトッドの名前を目にしたものであった(トット・テイラーという、紛らわしい名のアーティストが出てきたりしていた)。

バッド・フィンガー、ワーナー時代のアルバムが再発

そんなリバイバル状況を察知した『レココレ』でも大々的なトッド特集が組まれるなど(この特集でトッドのディスコグラフィを初めて知った)、この頃のトッドはちょっとしたブームのような盛り上がりを見せていた。そこで実現した来日だったから注目度も高く、会場は自分のようなトッドファンでぎっしり満員という様相であった。だが、公演自体には今一つ乗り切れなかった。ソロで、ギターとキーボードの弾き語りが中心で、時折トラックと同機させていたような記憶もあるが、印象としては雑で、最後に歌った「ドリーム・ゴーズ・オン・フォーエヴァー」しか記憶に残っておらず、トッドを生で見たと言う以上の感動を得ることはなかった。2日目のほうが有名な曲をたくさんやったようだが、当時はそんなことは知る由もない。
以降もトッドを追いかけた。翌年出たニューアルバム『ニアリー・ヒューマン』は注目度の高まる中でのリリースだったのでちょっとした話題盤になっていて、その流れで行われた91年の来日の際にはホテルで出待ちしてサインをもらうことができた。短時間ながら会話をすることもでき、人柄の良さが伝わってきた。それで終わらず、翌92年にはロンドンのハマースミス・オデオンにオールスターバンドのライブを観た際、リンゴを入り待ちしていたらトッドが現れて再会。そこでもサインをもらうことができた。
トッドの再発盤がレコード屋に並んでいた頃、バッド・フィンガーのワーナー時代の2作『バッド・フィンガー』『ウィッシュ・ユー・アー・ヒア』の再発盤がリリースされた。少し前あたりから『ロッキング・オン』で松村雄策さんがしきりにバッド・フィンガーのことを煽っており、聴きたいと思うも、レコードを見つけることが出来ず、渇望感が高まるなかようやく容易にレコードを入手することができたのが、この2枚だった。購入場所は渋谷のLIVERPOOLというレコード屋。渋谷クラブクアトロの向かいのビルの2階にあり、おしゃれな内装の店内には音楽好きの嗅覚を刺激する輸入盤や海賊盤が大量に並ぶ、なかなかのこだわりを感じさせるお店だった。
トッドがプロデュースを手掛けた『ストレイト・アップ』をはじめとするアップル時代の作品ではなかったのは残念だが、それでもようやく念願が叶い、バッド・フィンガーの音楽に触れることが出来たことは嬉しかった。『バッド・フィンガー』に針を落とし、「アイ・ミス・ユー」が流れたときの感動は今でも忘れることが出来ない。その翌年、ワーナー時代の音源から構成されたベストアルバム『SHINE ON』が、さらにその翌年にはライブアルバム『DAY AFTER DAY』がリリース。91年にはついにジョーイ・モランド率いるバッド・フィンガーが来日まで果たす。再評価の盛り上がりを見せるのだが、まだアップル時代の音源はCD化されることはなかった。

名演揃いのインメイツ『ミート・ザ・ビートルズ』

この時期のビートルズ・シーンを語るうえでもうひとつ、触れておきたいバンドがインメイツである。いつものように西新宿のレコード屋街を徘徊していると、ウッドストックの店内から聞いたことのないビートルズ曲のカバーが聞こえてきた。曲は「リトル・チャイルド」。だが、馴染みのあるサウンドではなく、パンクというかガレージロックのようで、ボーカルも太い声でがなり立てるように歌っている。店に入り確認すると、インメイツというバンドの『ミート・ザ・ビートルズ』というレコードであることがわかった。そのまま聞き入っていると、「リトル・チャイルド」のほかにも「アイル・ゲット・ユー」「シーズ・ア・ウーマン」「ユー・キャント・ドゥ・ザット」など、比較的地味な曲のカバーが続く。ツボを得ているなと思い、レコードを購入。思いがけない出会いによるインメイツの『ミート・ザ・ビートルズ』はしばらく愛聴盤となった。その後も、西新宿に行くたびに、いくつかのレコード屋でこのレコードが流れていたので、聴いたことがあったり、レコードを買った人も多かったのではないだろうか。
ほかに、日本人アーティストによるビートルズのカバー集『抱きしめたい』なんてCDもあった。村上春樹の『ノルウェイの森』のヒットやビートルズのCD化に便乗した企画だったのかもしれないけど、ユーミンと高中正義(「ノルウェーの森」をカバー)、清志郎とチャボ(「ドント・レット・ミー・ダウン」をカバー)など、豪華アーティストが多く参加しており、そこそこ話題になったコンピ盤であった。聞きどころの多いなかで、個人的に注目したのは加藤和彦の「ハニー・パイ」。少し前から吉田拓郎に興味をもち、その流れで初期拓郎のキーマンとして加藤和彦の存在に気づき、彼の圧倒的なセンスに感服していたから、加藤和彦の歌う「ハニー・パイ」はどんな仕上がりなのか、どのような解釈とアレンジで歌っているのかに興味を惹かれた。買うまでには及ばず、レンタルで済ませたのだが、予想は的中し、ますます加藤和彦への興味が深まっていったのであった。
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- 2026.03.02
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