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1988年、日本に国際的なステーションをつくりたい、東京を国際都市にしたいという大きな時代背景があった
1988年10月1日にJ-WAVEは開局した。翌89年には元号が変わり、平成となる直前のタイミングだ。開局当初から人気なのが、バイリンガルのクリス・ペプラーが長年ナビゲーターを務める『SAISON CARD TOKIO HOT 100』。日曜午後の4時間という長尺のカウントダウン番組で、常に“今”の東京の音楽シーンをあざやかに映し出している。
「開局当初のJ-WAVEは基本的にアメリカの音楽専門局をイメージのベースにしていました。それ以前の日本のラジオ局は、音楽、ニュース、演芸など、いろいろなコンテンツをキャリーする放送局がほとんどでしたが、J-WAVEはミュージックステーションという位置づけで立ち上がったのです。また、当時FEN (=Far East Network 在日米軍関係者向けに放送されていた英語のAMラジオ)という放送局があり、それが、実は流行好きの日本の若者たちにも人気だという現象がありました。FEN的なものを作れたらいいなという要素もあったのではないでしょうか。日本に国際的なステーションをつくりたい、東京を国際都市にしたいという大きな時代背景もあったかと思います」
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洋楽と英語がつむぐオシャレなラジオとは
88年の日本。経済は右肩上がりでバブル景気の真っ只中。街に活気があり、当時オレたちはイヤホンを着け「ウォークマン」などのポータブルCDプレイヤーで洋楽を聴いていた…。そんな折、ラジオからダイレクトにオシャレな音を届けてくれるJ-WAVEが開局したのだ。
そしてそのなかでも、カウントダウン番組というのは、局の看板だった。
「4時間で100曲カウントダウンする番組なわけです。それまでにトップ20、トップ40を届ける番組はありましたが、「ぶち抜きで100曲やっちゃおうよ』というのは当時としては画期的で、驚きましたね」
J-WAVEでかかる音楽はハイセンスで都会的だった。聴いていると、生活がアップグレードするような気分を味わえ、英語トークも心地よかった。
「アメリカにWAVEというステーションがいくつかあったのです。そこでかかる曲はアンビエント、ワールドミュージック、いい意味での環境・インテリアミュージックというか、サウンドデザイン的な方針をもつステーションでした。僕の番組にもこのWAVEのようなインターナショナルな雰囲気が求められていて、英語トークも今より使っていましたね。当時、僕は海外メディアから『なんで日本にいて、日本人向けに、英語を使って放送するのか?」と質問を受けたのですが、その時の答えが『日本食を食べる時には箸が出てくる。ナイフとフォークでは食べない。だが、洋食を食べる際にはナイフとフォークを使う。それと同じで、洋楽を紹介するので、英語の発音でやっている。それが音楽に対するリスペクトだと思っている』と返しました」
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渋谷、西麻布、六本木で生まれたシーンが下地に
当時の大きな街には必ずCDショップやレコード店があり、若い男女が集まって、新譜チェックや情報収集に励んでいた。音楽の流行に敏感であることがオシャレな時代だった。
「今のJ-WAVEは六本木ヒルズの中にありますが、ヒルズが建つ以前は、WAVEというCDショップがここにありました。当時J-WAVEは西麻布の坂を上がった所にあり、J-WAVEのディレクターたちがWAVEまで歩いて行って音源をゲットし、それをすぐJ-WAVEでかけていたという流れがありましたね。西麻布は、渋谷と六本木の中間地点で。渋谷にはシスコやタワーレコードなどがあり、早耳な人たちが集まっていました。当時、渋谷は尖った人たちの街だった。それが後に渋谷系と言われるようなムーブメントになり、そのムーブメントを大きく拡散したのかJ-WAVEだったのではないかなと思っています」
90年代に入ると、渋谷は若者の街として独特の繁栄を見せる。
渋谷系と言われる新たな音楽ムーブメントも起こり、さらにはギャル、高校生も集まり、さまざまなパワーとポテンシャルをはらむ街へとふくらんでいく。
「渋谷で活躍している人たちが、J-WAVEにサウンドセレクターとして来ていました。サウンドセレクターとは、毎2時間ごとに『ノンストップパワープレイ』という15分間か30分間、ぶち抜きで好きな曲をかける枠があり、そこを任されていた人たちです。サウンドセレクターはJ-WAVEスタッフではなく、ゲストDJです。小林克也氏とスネークマンショープロジェクトを立ち上げた音楽プロデューサーの桑原茂一氏が設立した日本音楽選曲家協会というのがあり、そこにDJが多数在籍していて、DJといってもスクラッチではなく、何をかけるかを決める人たちで、ゲストDJ=サウンドセレクターたちが、自身の名を冠してノンストップパワープレイをやっていたのです。サウンドセレクターの本職は、レコードショップの店員、建築家、クラブオーナー、渋谷のアパレルスタッフと、多彩な顔ぶれがそろっていましたね。今思うと、J-WAVEが起こしたムーブメントってここから生まれてきたんじゃないかな。クリエイティブな震源地にいる人たちがセレクトした曲を、J-WAVEが東京23区に拡散し、それが日本全国に二次的に広まっていったのではないでしょうか。さらには、当時、J-WAVEのティレクター陣もフリーランスからスタートした人が多かったですね。学生時代に音楽が好きで、何らかの形で音楽に携わっていた人たちが後にディレクターになっていったという流れが多かったように思います」
渋谷が流行の濃源地である一万、西麻布や六本木は80年代後半からナイトクラビングの街だった。多彩な音楽をかける最先端のクラブが次々にでき、いろんな人種を深夜まで引き寄せていた。クラブのフロアを仕切っていく、DJという存在もクローズアップされていく。
「ピストン西沢はその象徴的な存在で「TOKIO HOT 100』のディレクターを務めていました。彼はもともとクラブDJとして注目を集め、注躍していました。当時はクラブに通うのも大事なことで、我々もよく行っていましたよ。クラブには、グラフィティやアートがあり、ファッションもありと、文化的な面もあった。そういったクラブシーンは当時のJ-WAVEの根底にあるイメージやビジョンに大きな役割を果たしたところがあると僕は思いますね。西麻布界隈にはレッドシューズやピカソといったクラブが、六本木や渋谷にもさまざまなクラブが点在し、J-WAVEは本当にいい場所にあったんですね。当時のクラブやDJバーでは、ニューエイジ的なワールドミュージックやアンビエントハウス系も流行っていました。そのためJ-WAVE開局当時は、そういった、ビートは効いているんだけど、どこかアンビエントなサウンドもよくかかっていましたね」
番組が届けたヒットチャートの真髄とは
こういった下地があり、番組独自の視点で集計された数字が現れ、ヒットチャートがリスナーへ届けられていく。
「TOKIO HOT 100』は、オリコンなどのセールスみではなくて、J-WAVEでのオンエア率をベースにしています。僕は当初からJ-WAVE一週間の集大成だと皆さんへ伝えていますが、日曜日の『TKIO HOT 100』を聴けば、J-WAVEでその週、何がいちばんポピュラーだったかがわかるのです。もちろんセールスや、他の要素も組み込まれていますが、何が最も大切かというと、J-WAVEのデイレクターたちが選曲し、J-WAVEがとらえ、J-WAVEというフィルターを通した東京の音楽シーンを支える曲がオンエアされていたということです」
94年、95年、96年、この頃の年間チャートから興味深い現象が読み取れる。94年の1位はビッグ・マウンテンの「ベイビー・アイ・ラヴ・ユア・ウェイ」 2位はリセット・メレンデスの「グッディ・グッディ」。95年の1位はダイアナ・キングの「シャイ・ガイ」、2位はカーディガンズの「カーニヴァル」。ラジオを通して何度も何度も聴いた記憶が色濃く残っている。世界各国のチャートと比較して調べてみると、これらの楽曲は、日本で特別な大ヒットとなった様相がうかがえる。
「J-WAVEが『流行語大賞』にノミネートされるなど、かなり認知度が上がっていた頃のことだと思います。これらの曲は確かに、J-WAVEでよくかかっていた曲ですよ。年間チャートでも上位に入っていましたね(「シャイ・ガイ」はJ-WAVEの歴史30年間のヒットチャート集計でも3位にランクイン)。音楽のテイストからすると、みなポップですよね。特に、リセット・メレンデスのグッディ・グッディ」、ダイアナ・キングの「シャイ・ガイ」、カーディガン ズの「カーニヴァル」というのは、やはりJ-WAVE発のヒット曲だと思います。(チャートを見ながら)95年は、ジャミロクワイが台頭していますね。ソウル・トゥ・ソウルといったグラウンドビートやインコグニートなどのアシッドジャズ系もあります。スキャットマン・ジョンも、J-WAVEから火がついて、日本でCMに出ていましたよね。本当に、ポップでいい曲が多い時代ですね」
年間チャートに邦楽がほぼ入っていない時代ではあったが、翌年、96年のYEN TOWN BANDから受けた衝撃も忘れられない。
「96年の年間チャートで7位になっているYEN TOWN BANDは、洋楽と日本のポップス、渋谷系にまつわるものの融合を表している曲だったと感じています。96年に映画『スワロウテイル』が公開となり、実は僕、カメオ出演しているんです。ちょっとSF的な設定で、架空の歴史をたどった日本の都市YEN TOWNというシチュエーションで展開する物語で、出演者にバイリンガルな人が多かったんです。監督の岩井俊二さんもJ-WAVEをずっと聴いていらして『J-WAVEがひとつのインスピレーションになった』とうかがった記憶があります。音楽とアートとカルチャーというのは綿密な関係がありますからね」
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ヒットの背景には社会現象が絡んでくる
95年は阪神・淡路大震災があったり、オウム真理教による地下鉄サリン事件などが立て続けに起こったりと、日本社会が揺れた年でもあった。
「激動の時代には、聴きやすい曲が好まれるという傾向があるんです。大変な時こそ、そういったことを忘れさせてくれるようなキャッチーでポップなものに人は惹かれます。音楽でも映画でもそうですね。激動の時代に心を揺さぶるのは? と考えるとわかりますね。逆に、平穏な時代には、もう少し噛み応えのあるというと変な言い方ですが、難しめな曲が好まれます。歴史的に見てもギリシア悲劇の時代から同じたそうです。社会の安定期に人々は悲劇や恐いストーリーを求める。でも、戦時下や大変な時代になると、楽しいエンターテインメントへと心は向く。災害や貧困に遭った時には、励まされる明るい曲が好まれるのです」
音楽シーンを長く観察し伝え続けている人は、観点が違うのがよくわかる貴重なコメントである。
「東日本大震災の時もそうでした。ラジカルなものよりも、すっと入ってくるやさしいものの方が好まれました。災害時には、敷しいロックとかではなく、ポシティラでわかりやすい曲が求められます。“愛してるから守ってあげたい”となるわけですよね。コロナ禍のパンデミックの時は、音楽的には内省的になりましたね。そして豊作でした。ヒットを狙うよりは、肩からカが抜けていて、自分を見つめるような、真摯で繊細な穏やかな曲が多かった印象です。ただ、内省や自粛が長く続いてくると、ストレスが溜まって爆発するんですね。Adoみたいな「♪うっせぇうっせぇ」となり、米津玄師の感情郎な曲が聴きたくなる。音楽は世相を反映するんです。社会の在り方によって、音楽は変わってくる。社会が音楽を生むんです。だからこの90年代半ばのヒット曲を見ると、まだバブルの余韻があり、楽しげなところもたくさんあるけど、不安な時代の入り口のようなものも感じますね。まだ、9・11も起きていないし、2008年の株価大暴落もない時代ですから、明るく豊かな感じがします。J-WAVEがつくったヒット曲だとしたら立派なものです」
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クリス・ペプラーのラジオ哲学とは
今年『TOKIO HOT 100』は、37年目を迎える。同じ番組がこれほど続くのは、珍しいのではないだろうか。
「やり始めた時は、まさか、こんなに続けるとは想像していなかったですね。ナビゲーターという、幅広くあやふやなことをやっていますので、なんらかのロジックやメソッドが必要だと思っています。自分なりの方程式、メソドロジーですね。それを定期的に分解して、見直しています。でも見直して、捨てることはない。古いからって捨ててゼロから始めるのはもったいない。革新であればいいというわけではないと思っています。僕のラジオに対する考え方は、分解して掃除するイメージです。惰性でずっとやってしまうと、なぜそれを始めたのかが見えなくなってしまう。当たり前になったことは、なぜそうなったのか、その当たり前は今でも通用するのだろうかと考える。このメソッドがなぜあるのか、その理由が見えなくなっちゃうとまずいので、ラジオフィロソフィーを考え直します。僕は自分と同じ世代だけに聴いてもらえばいいとは思っていません。若い人にも、そしてもっと多くの人に聴いてほしいと願っていて、そのなかで僕はこれが当たり前だと思っているけど、どうなんだろう? と考え直す。迎合して若い子のようにしゃべろうというわけではないですが、でも、リサーチし続けるというのは大事だと思っています。37年目ですけど、まだまだ未完な感じがしていますし。そこがおもしろ味にもつながっていると思います。やり尽くしたとは全く思っていません」
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番組に多彩なゲストが訪れるのも魅力だ。
「ゲストにはとにかく楽しんでもらう、気持ちよく帰っていただくのがいちばんというのがありますね。その人を大切に思うという気持ちでリスペクトする。おもてなしですよね。ただ、リスペクトしてますよとわざわざ言う必要はないですが。相手をちょっと知る、リサーチするのは大事ですね。あと、その人とどういうスタンスで接するのがベストなのかを知ることが大事。イメージと違って、すごくシャイな人だなとなったら、すぐにアプローチを変えます。アメリカ人の場合はぞんざいに扱うと喜びますからね(笑)。日本人って彼らから見ると固苦しいらしいんです。次々に名刺交換したり、お辞儀を何度もしたり…って。だから迎える時は、イスに座って脚を組んだまま、リラックスした感じで『SIT DOWN』なんてやると『おー、こいつ話わかるじゃん!』って思ってくれることが多い。まぁケースバイケースですけどね(笑)」
クリス・ペプラーの奥深い魅力が、番組自体の味わいになっていると確信した話である。最後に『TOKIO HOT 100』の魅力とはなんだろう。
「とにかく、J-WAVEの一週間の集大成だということですよね。いろいろなコンテンツを皆さまに楽しんでいただいていますが、まずは音楽を聴いていただきたい。一週間のJ-WAVEでオンエアした音楽シーンの現れなので、日曜日の4時間を割いて聴いていただくと、その週のJ-WAVEから見た東京の動きがわかるということです。今はSNSなど、インターネットと共に新しいランキングの決定要素が増えていますが、J-WAVEのサウンドセレクターたちがどういう曲をかけているのかがわかるチャートとなっています。たとえば、ワインの世界ではいろんなソムリエがいて、すべてのソムリエが同じものを推すわけではないはず。J-WAVEというソムリエはこれを推しますよということを感じるはずです。あと、リズムというかグルーヴをとても大事にしていすね。J-WAVE自体はわりと落ち着いたステーションなんですが、僕の番組では“ぶつける”という業界用語があるんですが、たたみ込むようにやっていますね。パーンとくるように。日曜午後、クルマで聴いている方も多いので、カッコつけて言えば、僕がドライバーで、スタッフがクルマのエンジンや車輪や整備士などということで、一つのチームに! ドライビンクチームみたいな感じですね。そこで皆さんと一緒に流れる曲を楽しんでいこうよ…と」
最新INFORMATION
J-WAVE TOKYO GUITAR JAMBOREE 2025が3月1日(土)〜2日(日)の日程で開催! クリス・ペプラーは1日(土)にMCを務める。豪華アーティスト出演の熱い公演をお見逃しなく!
【イベント概要】
J-WAVE TOKYO GUITAR JAMBOREE 2025 supported by 奥村組
日程:2025年3月1日(土)、3月2日(日)
時間:各日 開場12:30/開演 14:00 (終演予定20:30頃)
*時間はすべて予定時間です。
会場:両国国技館(東京都墨田区横網1-3-28)
初日3月1日(土)出演:
トータス松本、竹原ピストル、宮田和弥 <JUN SKY WALKER(S)>、安田章大、キマグレン、和田唱、河口恭吾、鈴木実貴子ズ<全8組/順不同>
千穐楽3月2日(日)出演:
奥田民生、森山直太朗、根本 要(スターダスト☆レビュー)、宮沢和史、小山田壮平、内澤崇仁+佐藤拓也(androp)、川崎鷹也、大橋ちっぽけ、冨岡 愛<全9組/順不同>
チケット料金(税込):全席指定(※一部、予定枚数終了している券種もあり)
・砂かぶり席(アリーナレベルの椅子席)¥1万4,000
・マス席(座布団/4名迄)¥2万4,000円
※1マス4名まで入場可、履物を脱いで着席 サイズは1マス=約120cm×130cm(推奨:大人2名)
・2階席指定(イス) ¥6,900
・マス席バラ(座布団/1名迄) ¥9,900
主催: J-WAVE
企画・制作: J-WAVE、J-WAVE MUSIC、DISK GARAGE
後援:BS朝日
特別協賛:奥村組
イベントHP: https://www.j-wave.co.jp/special/guitarjamboree2025/
公式X: https://x.com/jwavelive2000
公式Instagram: https://www.instagram.com/jwave_live/?hl=ja
公式ハッシュタグ #ギタージャンボリー
公演に関わるお問い合わせ: DISK GARAGE https://info.diskgarage.com/
取材・文:新井 希 撮影:鬼澤礼門
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