アメリカ兵を魅了した オリエンタルな刺繍。

スーベニアジャケット、通称「スカジャン」。第二次大戦終結直後の日本で生まれたジャケットで、当初は「鷲虎龍のジャンパー」などと呼ばれていた。西洋人から見た日本的なモチーフの刺繍が大いに評判を呼び、日本に駐留していたアメリカ兵士からファッション性の高い土産物として人気を博した。その歴史的背景をテーラー東洋の松山達朗さんはこう語る。
「スカジャンが誕生したのは1940年代、戦後間もない頃です。物資が不足し、東京に露店街があった時代でした。GHQが接収した銀座の“和光”は進駐軍将校専用のデパートになっていたため、その周辺には将校たちが土産として欲しがる露店が並んでいました。そこに刺繍入りのジャンパーが並ぶとすぐに売れるほどの人気となり、やがて米軍基地内の売店であるPXがこのジャンパーに目を付けました。PXの買い付け担当者が港商(東洋エンタープライズの前身)と正規ルートを結び、基地内に納入した物は日本人向けの洋服ではありませんでした」
様々な物が売られる中で、日本ならではの刺繍を取り入れたジャケットがスカジャンの始まり。アメリカ人に親しみやすいベースボールジャケットを模して、背中と胸に入れられるオリエンタルな刺繍は、婚礼衣装などに刺繍を入れていた桐生や足利の職人が手がけていた。ボディにはアメリカ人に人気のあるシルクに似た質感のアセテートレーヨンを使い、この刺繍ジャンバーは見栄えも良く、さも立派に見えたことだろう。
「もともとは日本の伝統文化を支えてきた職人たちが手掛けたもので、誰にでも容易にできる刺繍ではありませんでした。しかし、生産量が増えるにつれ、経験や技術が足りない職人を使わざるを得なくなることも。熟練の職人は美しい刺繍を施しますが、経験不足の職人の刺繍はかろうじて鷲が鳥と判断できるような、不格好なものでした。そのような完成度の低いものは正規のPXルートで弾かれ、基地周辺の土産物店で安く売られていたそうです。そして各地の土産物店もPXに負けじと、独自の発注をするようになっていきます。店頭で実演販売をする者や、個別にオーダーを受ける店も出てきました。スカジャンの語源である横須賀にはスーベニアショップが軒を連ね、スーベニアジャケットが連日飛ぶように売れていきました。しかもアメリカ海軍の空母の入港情報を入手すると、入港前から空母の名前を刺繍しておいたり、乗員名簿がわかれば部隊名や個人名まで刺繍して待っていたそうです。こんな逞しい商魂が、スーベニアジャケットにバリエーションをもたらしたのでしょう」
アメリカにはない極めて細かく丁寧な刺繍もまたスカジャンの大きな魅力。東洋的な柄に加えて、日本の職人が手がける刺繍は、洋服というよりもはや“アートピース”と呼べる。当時の刺繍ならではの“味”や“存在感” には刺繍されるモチーフもポイントだと、松山さんは語る。
「刺繍のバリエーションは、3大モチーフとされる鷲・虎・龍を筆頭に、日本地図や富士山、舞妓など、日本の象徴がモチーフ化されていきました。スカジャンは現在でもアメリカンカジュアルのひとつとして愛され続けていますが、日本人が独自に考案した「洋服」はスカジャンだけと言えるでしょう。世界でファッションデザイナーが活躍しても、一般名詞として定着した洋服は他にありません。スカジャンこそが『日本発祥の唯一の洋服』なんです」
1970年代に入ると日本の若者が横須賀のドブ板通りのイメージから刺繍入りのジャンパーを「スカジャン」と呼び、1980年代にはファッション雑誌がスカジャンを取り上げ、1990年代にヴィンテージ古着が世界的に注目されるとスカジャンも高額で取引されるようになっていくのだ。




【問い合わせ】
テーラー東洋(東洋エンタープライズ)
TEL03-3632-2321
https://www.tailortoyo.jp
(出典/「Lightning 2025年6月号」)
Text/A.Shirasawa 白澤亜動 Photo/M.Watanabe 渡辺昌彦
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