【世界が認める日本の先駆者たち⑥】「新喜皮革」|世界屈指のコードバンタンナー。

もしこのヒトがいなかったら……。身近にあるカルチャーやプロダクツが、たった一人の日本人が先駆けとなったことで、世界に大きな影響を与え、文化を築き上げていた。そんなレジェンドと呼ぶに相応しい賢人たち7名の今と昔を取り上げていく。今回は、ランドセルを始め、かつては決まった革製品にしか使われなかったコードバンにおけるパイオニアを紹介。財布やカバンなど革小物にコードバンが使われるようになったのは実は近年のことであり、その新たな道を切り開いた革新者こそ「新喜皮革」なのだ。

日本で唯一コードバンを原皮から仕上げまで行う、馬革専門タンナー「新喜皮革」。

旧くから地場産業として革なめしが行われてきた姫路・高木地区にあって、日本で唯一コードバンを原皮から仕上げまで行っている馬革専門のタンナー新喜皮革。その2代目の新田常喜氏は、先代から受け継いで、1958年から馬
革なめしの技術に磨きをかけ、1970年代には東京・墨田区のタンナーに師事。そこでコードバンのなめしに取り組むようになる。

(左から)「新喜皮革」代表・新田常喜さん、専務・新田芳希さん

「狭い場所に3つのタンニン層を置いて、なめしのテストを繰り返しました。思えば、よくあんな小さな場所でやっていたなと」と常喜氏。石油ショックの際はブーツの需要が増え、稼ぎがよかった牛革なめし業者を尻目に、それでも頑なに馬革なめしに邁進する。

月に2000〜2500頭も仕入れる馬革。これはコードバン部分だけを裁断したもの

「正直、牛革への色気はありました。でも専門にやっておられる方には負けますわ。牛は牛。わしらがやっても馬にはなりません」

常喜氏のご子息であり、新喜皮革3代目にあたるのが、現在の専務・芳希氏である。大学卒業後、フランス・リヨンで3年間の修練を経て、帰国したのが1998年。この年が新喜皮革にとってターニングポイントとなった。芳希氏が戻ってきたことで設備の見直しが行われ、下地の革だけを卸していた新喜皮革が仕上げまで自前でやろうと決断したのもこの頃。

南アフリカから仕入れたミモザは不純物のない固形タンニン

「試行錯誤の連続でした。でも我々はコードバンを極めることが生きる道でしたから」と芳希氏。研究を重ねて仕上げのバリエーションも増え、一貫生産することでアパレルメーカーと直接繋がり革小物のオーダーが舞い込む。

なめし終ったコードバンは、水洗いしてから乾燥。3〜4 カ月寝かせた後、コードバンの削り出し作業に

「運が良かったんです」と芳希氏は謙虚に語る。「人との繋がりが会社を育てました」。今ではどんな要望にも応える自信があるという芳希氏だが、それでもコードバンのなめしの道はまだ半ば。

「満足したら成長が止まってしまいますしね。一生試行錯誤をし続けると思いますよ」

使用目的に合わせて、コードバンを仕分け
ランドセルのかぶせ用の型。このサイズで傷のないコードバンは希少
削り出しの後、再び乾燥
コードバンに樹脂を塗りこむ。これで耐性が増し、水にも強くなる
ガラス玉で擦ってグレージング

「新喜皮革」のしごと。

新喜皮革でなめした馬革だけを使ったクラフトレザーブランドTHE WARMTHCRAFTS-MANUFACTURE。カバン、革小物、アクセサリーなどの革製品を展開し、大阪には旗艦店も構えている。ラウンド長財布/ロウ引きのコードバンは、使い馴染んでいくと徐々に艶々になっていくのがお楽しみ。左はロウ引きモデル6万4800円、右は鏡面仕上げにしたモデル6万4800円

darby/両面を鏡面のあるコードバンで挟んだブリーフケース。43万2000円

sam/ソフト仕上げもお手のもの。使い込めばさらに艶が出る。内張りも馬革を使った贅沢な仕様。12万9600円

名刺入れ/表面にホワイトワックスが塗ってあり、使う度に美しい艶が現われる。2万2680円

シューホーンキーホルダー/コードバンを使用。大きめのフックなので鞄やベルトループにも引っ掛けられる。全6色。8640円(すべてTHE WARMTHCRAFTS-MANUFACTURE)

【商品の問い合わせ】
The Warmthcrafts-Manufacture-store&show-room
TEL06-4256-8588
http://shinki-hikaku.jp/
※情報は取材当時のものです。現在取り扱っていない場合があります。

「新喜皮革」のヒストリー

1951年 先代(母:りつゑ)により、馬革製造「新田商店」を姫路市花田町高木425番地にて創業。なめしのドラムを1 台購入。
1955年 新田常喜、母の知人になめしの基礎を学ぶ。
1958年 本格的にドラム1 台から仕事開始。
1970年 姫路市花田町高木450 番地に鉄骨3階建の工場を建設。「新田商店」から「新喜皮革」に社名変更。手吹き塗装の設備を整え、後に自動塗装の設備に切り替えて、製造技術を高める。
1971年 東京にて、当時唯一の植物タンニンなめしコードバン製造工場にて研修。新田芳希生まれる。
1974年 工場3階に木製ピット槽を設置し、コードバンの製造試験を開始。
1980年 姫路市花田町小川1166 番地に新工場( 現在の第1工場) を建設し、木製ピット槽を20台に増加。
1995年 姫路市花田町小川1132 番地に第2工場を建設し、1階になめし・染色の設備、2階に自動塗装一式の設備を充実。新田芳希、フランス・リヨンへと修行に出発。
1998年 社名を「有限会社 新喜皮革」に改める。新田芳希がフランス・リヨンの皮革学校での修行から帰国後、本格的にコードバン仕上げ工程を開始。
2005年 姫路市花田町小川1130番地に第3工場を建設。
2009年 木製ピットを42 台に増加し、各種用途に合わせたコードバンを製造。同時に、胴体部分にも力を入れる。
2013年 大阪中之島に旗艦店をオープン。

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(出典/「Lightning 2018年1月号 Vol.285」)