右も左もわからなかったので、とにかく動きました。デザイナー時代の貯金が少しあったので、出展料を払う公募展に参加したり、「デザインフェスタ」に出たり、カフェや行きつけの美容室、病院にまでお願いして展示して。最初の一年で35回、その後も平均して年40回くらい展示を続けています。普通は年に2〜3回、そのうち一回個展をやれば十分という世界なので、かなり異例ですよね。でも、いい絵を描いていても出会えなければ存在しないのと同じ。だからとにかく数を重ねて、人と出会うチャンスを増やしました。これは「一次流通と二次流通」に対する考え方が背景にあります。作品は、最初に作家から直接買われる一次流通と、オークションなどで転売される二次流通がある。短期的には作品のレアリティが重視されますが、僕は長い目で見れば一次流通での認知度を積み上げることの方が大事だと考えました。そのためには数を描き、多くの人の目に触れることが必要なんです。
──そうした考え方への転機はなんだったのでしょうか。
大きかったのは、世界的なアートフェア「アートバーゼル」を初めて訪れたことです。世界中の作家の作品が集まっていて、どれも多作で、しかも大作だった。華やかな舞台で戦っている人たちは、緻密な表現を大きなスケールで何枚も描いている。そこで「自分もこういう舞台に立ちたい」と思いました。だからこそ数を描くことが、自分のキャパシティを広げることにつながると確信したんです。そうこうしているうち、コロナで展示が10本ほどキャンセルになり、初めて「何もない月」ができた。そのときにアシスタントを募集し、制作の中に人を入れることを試しました。どこまでを任せ、どこからを自分でやるか、線引きを探る試行錯誤もありました。デビューしてからこの10年は仮説と検証の繰り返しでしたね。

──そういった考え方はファッションや商業的な世界にいたからというのが大きいのですか?
これは既存のアーティスト像を反面教師にしているところが強いんです。というのは、アーティストはスタートアップ、ベンチャー企業に近いと思っているんです。僕はアートの世界を「砂漠」にたとえています。社会で新しいビジネスを始める人は「ジャングル」を進む民。情報も資源もあふれていて、どう動くかが大事になります。でもアートは違う。何もない砂漠を、自分を信じて、水があるところまで信じて歩くしかない世界です。途中で引き返したらすべてが無駄になる。美大から進んだ人たちは、最初から砂漠に立っている“砂漠の民”。僕は社会を経験してから来た“ジャングルの民”です。ジャングルの豊かさを知った上で、あえて砂漠に入った。だから簡単には戻らないし、ここで生き抜く覚悟を持っています。砂漠は根性と信じ切る強さ、ジャングルは情報戦。どちらが正しいかではなく、方法がまったく違うんです。僕は自分が望んで砂漠に立ったからこそ、この生き方を大切にしています。砂漠を歩くことは孤独ですが、その分だけ一歩ごとに確かな足跡が残り、自分の存在を証明してくれるのです。
──ジャングルに戻ろうと思ったことはありませんか?
ありません。結局僕は幸せになるために絵を描いているからです。デザインの世界では「求められるものを作って喜ばれる」ことが喜びでしたが、僕の場合は違いました。おしゃれだねって言われても、おしゃれしてるんだから当たり前と思う。でも、自分が裸に近い状態で描いた絵を見せて「いいね」と言われると、より本質を肯定された感覚があって、ゾクゾクする。だから長く続けられるし、自分の喜びにつながるんです。ファッションを経て、やっぱり僕の居場所はアートだと確信しました。砂漠に立った以上、資源の豊かさを求めてジャングルに戻ることはありません。ここでこそ、自分のスタンスを貫いて生きられると思っています。

──芯が強いですね。他のアーティストと比べて落ち込むことはありませんか?
ファッション時代にめちゃくちゃその経験をしたんです。イギリスに留学していた頃なんて、周りは才能もお金も語学力も全部そろった人ばかりで、何度も打ちのめされました。でもアートでは、他人と比べても意味がないと気づいたんです。僕の絵は僕にしか描けないから。嫉妬心がゼロになるわけではないけど、「いいな」と思った作品は買って手元に置くようにしています。それで満たされるし、自分の制作の刺激にもなる。
──今後、どんな活動を目指しているか教えてください。
一生絵を描き続けたいです。そのために社会との関わりも大事にしたい。アート業界は若手が食べていけない状況がまだまだ多い。でも1枚の絵を買う体験が広がれば、新しいコレクターも生まれるし、マーケットも育つ。僕の幸せのために周りも幸せになってほしいし、感謝を込めて花を描き続けたい。作品を通じて「花を受け取るように絵を受け取る」時間を増やせたら、社会の中でアートの役割はもっと大きくなるはずです。羨望から始まった物語は、今では「誰かの心に花を咲かせたい」という願いに変わっています。

(出典/2nd 2025年11月号 Vol.214」)
Photo/Yuta Okuyama Text/Risako Hayashi
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