なぜ、日本のマンガは『明朝のかな+ゴシックの漢字』なのか?
以前も記事にしたとおり、日本のマンガには『アンチック体』という他の業界では例のないフォントが使われている。これは、かなは明朝、漢字はゴシックという他の業界には例のないフォントの利用の仕方だ。
おそらくは初期のマンガが戦後の質の低い紙に刷られていたためで(今でも週刊マンガ雑誌に使われる紙の質は、他の書籍、雑誌より低い)、その質の低い紙に刷っても読みやすいようにという工夫として、独自の『アンチック体』という文化が形成されたのだと思う。
筆者も雑誌編集者出身なので、フォントに対するこだわりは強い。フォントや、そのセッティングひとつで雑誌に対する印象は大きく変わる。
それは単に明朝だ、ゴシックだということだけでなく、横線と縦線の太さの比率、払いの形状、ウロコのカタチ、線の入りや、抜きの形状や、抑揚、ふところの広さ、重心の低さ……などなど細部のデザインで、本文フォントとしての読みやすさ、タイトルやキャッチとしてのインパクトなどが大きく変わってくるものなのだ。
また、これは雑誌の話だけれども、フォント単体のデザインだけでなく、エディトリアルデザイナーの決める字ヅメや、行間の広さ、1行の文字数、ブロックの間隔などによっても本の印象は大きく変わるものなのだ。
それゆえ、ウェブになって、自分の提供したいフォントで記事をお届けできないというのは、忸怩たるものがあり……と、話が逸れた。マンガの話だった。
セリフの文字は、現場ではどうやって入れられている?
マンガにおいてもフォントは重要なのだが、日本のマンガにはマンガならではの特殊事情がある。それが「セリフにおいては、かなは明朝、漢字はゴシック」という不思議なルールなのだ。しかも縦書きで使うので若干ハイトが低く、線が太い文字が好まれることが多い。
もともと、マンガにおいてこのセリフの文字は写植で作られていた。
マンガ家の段階では、色鉛筆(印刷に出ない)でセリフを書き込んでおき、それを編集者が写植屋にオーダーして文字を打ち出してもらって張り込む……という過程を経て作られていたのだそうだ。
現代ではさすがに写植は使っていないが、マンガ家が作った原稿データに対して、編集者がInDesign(アドビのDTPソフト)で、文字を入れるというのが一般的になっているようだ。
ちなみに、マンガ家の原稿は最近はセルシスという会社の、CLIP STUDIO PAINT(クリスタ)で作られることが多い。納品されたものを、編集者がInDesignに取り込み、セリフを入れるということが多いようだ。
大手からアマチュアまで、ワークフローはさまざま
この、マンガに使われるフォントは、写植時代から各出版社に秘伝のタレのように伝わっており、出版社ごとに違うものが使われているとのこと。お手元のマンガをよく見ていただけると分かるのだが、キャラクターの感情が伝わるように、適切な太さ、大きさのセリフが巧みに配置されているはずだ。
とくに、集英社の少年ジャンプのような雑誌になると、キャラクターのセリフも激しい感情のこもったものが多く、エクスクラメーションマーク(!)や、音引きにもさまざまな種類ものが使われたりする。
しかしながら、これは編集者がセリフを入れるような大手出版社の話。
マンガを扱い慣れない出版社や、セミプロ、アマチュアが描くマンガにおいては、クリスタの中の機能を使って、マンガ家が入れる場合も多い。また、大手出版社においても、かならずしも印刷所を通らないウェブ経由のコンテンツも増えている。その時に、セリフのフォントをどうするのか……? という問題があり、そういうシーンで使って欲しい……とアドビは貂明朝アンチックを作ったわけだ。
おそらく普及には長い時間がかかる
話としては、いい話なのだが、フォントの普及というのは一朝一夕にはならない。
アマチュアマンガ家の方は、そもそも自分たちがセリフに使ってる丸ゴシック系のフォントが悪いと思っているわけではない。むしろ、『アンチック系のフォントを使うとプロっぽく見える』ということに気付いていない人も多いのではないだろうか?
大手出版社で活躍しているプロの方には、選択肢はない。フォントは雑誌全体で統一されているからだ。集英社、小学館という大手が全体での移行を決定しない限り、ここには変化はない。
思い返せば、私たち雑誌メディアでも版面設計(誌面全体の設計。どこまで写真を載せるか、文字を配置するか、文字ブロックはどこに置くか、どのフォントを使うか、フォントサイズはいくつか、字間・行間はいくつか……などが雑誌ごとに統一設計されている)を変えるのは、何年かごと(時には何十年かごと)のリニューアルの時だけだ。フォントの普及というのは息の長い仕事なのである。
Adobe-Manga1-0とは何か?
というわけで、今回、アドビが意見交換会を開催したというわけだ。
まず、アドビのAdobe Typeプリンシパルデザイナーの西塚涼子さんからAdobe MAXの時に記事に書いたような貂明朝アンチックのデザインについての解説が、続いてシニアフォントデベロッパーの服部正貴さんから、Adobe-Manga1-0についての解説があった。
アドビには、『Adobe-Japan1』というグリフ集合の規格がある。これはAdobeが定めたDTPにおける事実上標準的なグリフ(字体)の集合である。工業標準であるJIS X 0208やJIS X 0213、PCやOSメーカーが定めたIBM拡張文字のような文字集合とも異なる。
これに対して、Adobe-Japan1に基づかないフォントごとの固有のグリフ集合がAdobe-Identity-0。フォントごとに個別のグリフ集合を設定できるが文字コード標準のUnicodeをベースに利用することが前提になっている。個性的なフォントを制作する場合に使われる(源ノ角ゴシック、貂明朝など)。
そして、それに対して、Adobe-Manga1-0は、マンガで利用される特殊な文字を含み、それらにスタティックなCID番号を割り当てたグリフ集合。18,032グリフ(CID0からCID18031まで)を収録する。
貂明朝アンチックはこのAdobe-Manga1-0を採用しており、源ノ角ゴシックをベースにアンチック仮名を組み合わせ、マンガでよく使われる記号類に対応した構成となっている。また、アンチック仮名デザインに合わせてフォントファミリーやウェイトの再調整も行っている。
1万8000のグリフを作るのは、中小のフォントメーカーには難しい
では、集まった印刷所や出版社の方は、貂明朝アンチックをどう捉えているのだろうか?
集英社の岡本正史さんは「現状ネームはマンガ家さんが手書きで書いたモノを、印刷所がタイプする方式。Adobe貂明朝アンチックが使えるならワークフロー上便利。ラノベ系の小説などでも使えるのではないか」と語った。
イワタの小澤裕さんや他数人からはグリフ数が多すぎるという意見が出ていた。小さなフォントメーカーだと、Adobe-Manga1-0の1万8000文字は多すぎる。多彩なフォントデザイン……というところでは、第2水準漢字の6000文字というところが多い。これに関してアドビは「サブセット化も可能です」と答えていた。
個性的な文字となると使う人も少ないからグリフ数を多く作るのが困難というわけだ。対して、集英社の『キングダム』のように、登場人物の名前や地名などで特殊な漢字を多く使うマンガだと、グリフ数は多く必要になってくる。
これから貂明朝アンチックの普及に、どのように取り組むのか?
お話をうかがっていると、現場としてはおおむね賛同だが、個別のワークフローが非常に多く、そう簡単に普及するというワケにはいかなさそうだ。
我々雑誌社もそうだったが、本の制作のワークフローというのは非常に個別具体的に進化してしまっており、一括して変更するのが難しい。
しかし、総論としては貂明朝アンチックの普及は大手出版社にとっても便利だし、小規模出版や、アマチュアマンガ家にとっても、アンチック書体で多彩なウェイトを使えるというのは便利なはず。
アドビがこの貂明朝アンチックの普及にどのように取り組んでいくのか、今後も見守っていきたい。
(村上タクタ)
関連する記事
-
- 2024.10.17
Adobe MAX 2024発表のキモ!【非クリエイターにも分かる!】
-
- 2024.10.17
Adobe MAX 2024フロリダ州マイアミで開催。多数の機能を発表
-
- 2024.10.11
マイアミで開催される、クリエイティブの祭典Adobe MAXの取材に行ってきます