令和の夏によみがえるディスコビル東亜会館。イベント「TDC 2024 TOKYO DISCO CIRCUIT in 東亜会館」開催!

  • 2024.11.18  2024.07.17

昭和のディスコといえば新宿、新宿と言えば東亜会館、昭和のディスコ文化を語る際の代名詞とされる聖地で8月25日に「TDC 2024 TOKYO DISCO CIRCUIT in 東亜会館」が開催される。会場は東亜会館地下の巨大クラブWARPである。場内にカテゴリー分けされた数種のフロアを設置した斬新なアイデアが受け、過去2回はいずれも大盛況であったという。その、真夏の一大ディスコイベントを主催しているのが、昭和40年男のDJ BABYさん。第三回目を前に、その意気込みや、そもそもの経緯、そしてDJ BABYさんの40年に及ぶDJ人生を聞きました。

東亜会館への思いを込めたディスコイベント

――DJ BABYさんは昭和40年男だそうですね。

だから『昭和40年男』っていう雑誌はずっと気になっていましたよ。

――早速、BABYさんが主宰されている「TDC 2024 TOKYO DISCO CIRCUIT in 東亜会館」の経緯を伺いたいのですが。

第一回は2019年ですが、その経緯は80年代まで遡るんです。ちょっと話が長くなるんですがいいですか(笑)。当時の東京にはディスコがたくさんあって、とくに新宿、渋谷、六本木にはそれぞれ40軒ぐらいあったんですね。その中でも新宿といえば歌舞伎町の東亜会館で、ディスコが4件入っていたんです。僕は高校生のときに初めて行ったディスコが東亜会館にあったカンタベリーハウス・ギリシャ館でした。当時僕は竹の子族をやっていて、毎週日曜日に原宿の歩行者天国で踊った、その帰りに東亜会館に行っていたんです。『サタデー・ナイト・フィーバー』後だったこともあって、ディスコが大衆化していた時代ですね。それから1年もしないうちに、DJに興味を持ち始めて、機材を買って家でDJの真似事をやるようになったんです。

――このイベントは当時の自分へのオマージュでもあるわけですか。最初はどんなレコードをかけていたのでしょうか。

最初に興味をもった音楽はテレビを通じての洋楽、普通にビルボードとかのヒット曲ですね。そのあとはディスコに行かないと聴けないような音楽を輸入レコード屋で買っていました。そんなある日、地元・海老名の近くの厚木のディスコでDJを募集していたんです。DJデビューしたのが、84年の3月。高校の卒業式の週の木曜日か金曜日だったことを覚えています。

――ちょうど40年前ですね。

厚木でDJデビューできたのは嬉しかったんですが、やっぱり東京のディスコでDJをやりたくて。六本木のリージェンシー、渋谷のラスカーラ、新宿はゼノンとニューヨークニューヨーク、そして通っていた東亜会館のギリシャ館でDJをやるのが夢でした。それであるとき、先輩の紹介で新宿の伊勢丹近くにあるジャバベイっていうお店に入ることができたんです。しばらくジャバベイでDJをやっていたら、ジャバベイが東亜会館のディスコと系列店だったこともあり、東亜会館に移動になってゼブラという店でDJをするようになったんです。

――いきなりですか。師匠みたいな人はいたのでしょうか。

先輩的な存在はあまりいなかったですね。DJを始める前に東亜会館のギリシャ館の下の階にあったBIBA館というディスコのDJの方が仲良くしてくれたんです。ブースの隣で見ているといろいろ教えてくれて。DJを始めてからは都内のディスコに行って先輩DJの方に教えてもらいましたが、ほぼ独学です。だいぶ先になってからは江守藹さんですね。「常に見られていることを意識してブースで立っていなきゃダメ。タバコの吸い方、レコードを探すときも意識してDJをやれ」と。僕はタバコは吸わないんですが、そんなアドバイスをいただきました。ありがたい先輩です。

――念願の東亜会館デビューを果たして、いかがでしたか。

ゼブラからすぐに4階のグリースっていうお店に配属になりまして。グリースは元のカンタベリーハウス・ギリシャ館です。ここでやっと自分が昔遊んでいたお店でDJができることになったんです。その頃の東亜会館のディスコは若い人ばかり。ほとんど高校生だったんじゃないかな。

――どういう時系列ですか。

18で厚木のディスコでデビューして、そこから3~4年経って東京に出てきて、東亜会館で3年くらいやったかな。それからしばらくいろんなお店を転々と。でも当時はフリーランスではなく、正社員の月給制でした。タイムカードを押して普通の会社員みたいに働いていました。

――昭和っぽいですね。

ヒューマックス系の横須賀のお店や新宿のラジオシティを経て、銀座にあったMカルロっていうお店に入ったんです。それまでの僕はそのときのトレンドに合わせた新しい曲をかけるDJだったわけです。グリースのときには「ユーロビート以外NG」なんて言われていたくらいでした。でもエムカルロは水曜日のディスコデイがすごく盛り上がっていて、その日にまわすようになってから、ダンスクラシックやディスコの古い曲をかけるようになって、そういうディスコDJのイメージが付いてきたんですよ。

――ここでディスコDJ、BABYさんが定着していく。

それから2002年ぐらいに、青山にキサナドゥっていう伝説のディスコの復活があって、人の紹介でそこを任されることになったんです。そこは曜日に関係なく全部ディスコ。79年から82年ぐらいのサーファーディスコ中心の選曲でした。キサナドゥの専属DJになってからは完全にディスコDJのイメージですね。それから20年以上、考えたらキャリア40年の半分以上は復活ディスコの仕事になっています。もはやディスコがあるから今の自分があると言っていいですね。

懐かしいと思って終わるだけじゃないイベント

――流れにつながって、ようやく「TOKYO DISCO CIRCUIT in 東亜会館」になるのでしょうか。

東亜会館は90年代にビルからディスコが全部なくなったんですよ。そうしたら2018年に地下にWARPというクラブがオープンすることになった。すごく気になったんですが、WARPは主に関西方面のクラブなので僕には人脈がなかった。東京だと知り合いが多いのですが、WARPにはルートがなかったんです。どうしたかと言うと、ウェブサイトのアルバイト申し込みフォームからDJ希望で申し込んだんです。

――それまでのプライドは?

そんなことは別に構わないんです。そこから面接っていうことになって、履歴書持って出かけたんですが、そのときに「自分はディスコの古い曲をかける専門DJで、東亜会館には思い入れがある」という話をしたんですね。それからしばらくしてから連絡をいただいて、「ディスコのプログラムを取り入れたいので斎藤さん(DJ BABYさんの本名)に」と相談されたんです。WARPはフロア数が多く、ここだったらおもしろいことができそうだなって思っていたので、大きなイベントを仕切らせてもらえないかと提案したんです。

――どんなイメージだったんですか。

仲間がやっていたアゲハのトランスイベントに何度か遊び行ったことがあったんですが、そこは4つぐらい大きいフロアがあって、お客さんがいろんな種類のトランスを回遊しながら楽しんでいたんですね。あれをディスコでできないかということをずっと考えていて、WARPならできるんじゃないかと思ったたんです。WARPの方から「どこのフロアでやりますか?」と聞かれたとき「全部貸してください」って言って。WARPの方は半信半疑だったと思いますね(笑)。2019年の第一回は300人動員できたらいいなと思っていたら、その2倍の人が集まってくれました。

――プロモーションはどのようにされたのでしょうか。

いつもの僕のやり方でした。ホームページに告知を載せて、それをシェアしたり。あとはお客さんがたくさん宣伝してくれたり。あとは、やっぱり東亜会館っていうブランド。僕が昔東亜会館のDJだったっていうイメージの相乗効果もあったでしょうね。あとは思った以上に新しいお客さんが来てくれた。年齢層はやはり50代の前半から中盤ぐらいがいちばん多かったですね。

――昭和40年男世代ですね。でもいきなり600人のイベントとは大変だったのでは。

そうですね。1回目はひとりで大変だったので、2020年に予定していた2回目はいろんな方に手伝ってもらえることになって、チケットの売り行きもよかったんですが、コロナが始まったタイミングだったので、やむなく中止にしました。それから3年経って、またやらなければと思って、去年2回目をやったら1回目を超えた人が集まってくれたんです。

――皆さん待っていたんですね。

狙っていたわけじゃないですけど、フックとしてまずは東亜会館を懐かしんで、次はイベントとして面白いと感じてもらっている気がします。大人の人が懐かしいと思って終わるんじゃなくて、ワクワクしたり、今を楽しめるようなイベントになっているんじゃないかな。それで今回が3回目になります。

――今回のコンセプトはいかがでしょうか。

4つのダンスフロアに分けて当時のディスコカルチャーを再現しています。メインフロアのエリア1は<TOA-80s>という80年代の東亜会館のハイエナジーやユーロビートなんですけど、 サブフロアではエリア2が<HYPER‐平成>としてジュリアナテクノ、スーパーユーロビートなど、エリア3が<MEMORIES-昭和>として竹の子族や昭和歌謡、ダンスクラシックスなど。エリア4は<GOOD VIBES-SMOKING AREA>といって、大人の人たちがリラックスしてR&Bやハウスを聞けるスペースにしています。かかる曲はもちろんですが、ビジョンを使った演出効果とかも含めて空間として楽しい、楽しめる。音楽だけじゃなくて、その会場を楽しんでいただくっていうところが、このイベントのいいところかなと思っているんですけど。

――フェスのようですね。4つにカテゴリー分けされたものがそれぞれのディスコやクラブでイベント化されているかもしれませんが、ひとつにまとまって行われると言うのは珍しいですね。DJはBABYさんが声をかけて?

そうですね。僕一人の力だけだとできることは限られてしまいますけど、このコンセプトに賛同してくれる人が多くて、ありがたいです。元竹の子族のDJさん、ジュリアナでDJをしていたDJさんやツインスターでパラパラをまわしていたDJさんなど、当時を熟知している本物のDJを揃えています。

いろんなフロアを回遊してその空間を楽しんでほしい

――回顧趣味ではないっていうのは、昭和40年男と共通しているところです。

僕は職業としてDJをやっているのですが、8割は今やれることやって、あとの2割は進化させたいっていう気持ちが常にあるんです。だから、日々回しているDJも懐かしくて、お客さんのリクエストに答えているだけだと、マンネリになってしまうので2割ぐらい、新鮮な感じをリミックスしてバランスよくやっていきたいと思っているんです。

――BABYさんのDJスタイルにはトークをすることもあるんですか。

もちろんMCも入れますし。条件反射かもしれないですが、イベントの趣旨に合わせて変わるんですよ。喋り方だけではなくて選曲も変わるし、繋ぎ方も変わるし。このイベントのときは東亜会館の気分なので、それっぽく繋ごうかなとかそういう気持ちが出たりはしますね。DJブースに立ったときに決まるので、うまく説明できないですが。

――DJはレコードではなく、パソコンですか。

そうですね。パソコンに音源を入れて、DJソフトでという感じですね。昔はワゴン車にレコードを600枚積んで運んで会場に行って、ターンテーブルとミキサーを使っていたんですけど、レコードは20年近く前からやっていませんね。パソコンだといろいろな機能があるのでレコードではできないような繋ぎができる。レコードの時代は、ピッチを上げるために回転を上げるとキーもあがってしまうんで違和感が出てしまったんですが、今はその音程を変えずにテンポを変えることができるので、違和感なく聞こえる。それが普通になってきたんで、当時ではやれなかった曲順のつなぎができたりするんですよ。何より大量の音源がバッグひとつで運べるようになりました。

――選曲やつなぎは現場で、ということに驚きます。

僕はDJ以外の仕事をしたことがないんですね。一般的な人に比べると礼儀もなっていなし、常識もないかもしれない。だけど、DJをやっているとちょっとおかしくて、 曲をかけた瞬間に次の曲が頭にポンって出てくるんですよ。今はこういうノリだから、あと10分ぐらいしてこういう曲をかけるとお客さんはいい感じになるんじゃないかなっていう、あらすじが見えてくる。なんだろう、運転しているみたいな感じですかね。

――お客さんのリクエストに答えるBABYさんのスタイルも有名らしいですが。

リクエストって、なかなかかけてくれない場合とすぐかかる場合がありますよね。 自分のリクエスト曲がかかればその人はうれしいだろうけど、僕は周りの人も盛り上がってほしいんですね。その曲がいちばん盛り上がるタイミングが来る時にかかったほうが、リクエストをした本人もより楽しくなるじゃないですか。別に意地悪しているわけじゃないです(笑)。それを条件反射的にやる感じですね。でも、たまにお客さんが帰ったあとにかかることもあって、それは申し訳ないんですが……。

――現役DJとして40年、感性的、体力的なことについてはいかがですか。

ここ最近は、頭に曲は浮かぶけど、タイトルが思い出せないことがある(笑)。でもまだ頭の回転は速いんじゃないですか。DJ中はずっと集中していますし。体力的なことを言えば、2000年代前半の頃って、ひとりでオールナイトDJをしたりしていたんですけど、今のディスコって大体12時までですし、場合によって11時半まで。イベントによっては9時か10時には終わることが多い。拘束時間も少ないし体力的に疲れることはあまりないですね。

――DJ BABYさんの中で絶対に盛り上がる曲っていうのはあるのでしょうか。

本当はそういう答えを用意しておきたいんですけど、僕にはそういう曲はないんです。やっぱり、タイミングを見てかけないと盛り上がる曲も盛り上がらないんですよ。いいタイミングで、盛り上がる曲をかけられるのがうまいDJだと思います。

――現場主義なんですね。

とにかくいろんな音楽をその空間にいる人たち全員で感じて楽しんでほしい。その空間を作るのがDJだと思いますし、その場所に一緒にいる人たちが、同じ空気でその曲に対して反応して盛り上がる、DJの醍醐味はそこに尽きるんじゃないでしょうか。同じ曲でもディスコと家で聞くのでは全然違いますよね。家で聴くためにノンストップミックスを作ってくれ、と言われたりすると困ってしまうんですよ。

――ではあらためて「TDC 2024 TOKYO DISCO CIRCUIT in 東亜会館」への意気込みをお聞かせください。

昔好きだった曲を聴いて踊ってみたり、久しぶりに懐かしい人に会って「何年ぶりだね」という再会を喜んだり、いろんなフロアを回遊してその空間を楽しんでほしい。そして、大人の皆さんが今でも新しいことに感動できるようなイベントにしたいですね。

「TDC 2024 TOKYO DISCO CIRCUIT in 東亜会館」
2024年8月25日(日)
WARP SHINJUKU (東亜会館内大型クラブ)
開演:15:00~ (開場 15:00~)

誰もが通ったディスコビル新宿東亜会館に巨大ディスコサーキットが出現。回遊型総合ディスコフェスティバル。4つにカテゴリーに分けされたAREAを回遊し、東京のディスコ史を一気に体験。あのディスコがこの日あの場所で蘇る!

入場券:前売4,000円(ご入場/1ドリンクチケット付)※当日5,000円
限定鑑賞券:前売6,000円(座席指定付/ご入場/1ドリンクチケット付) ※当日8,000円

https://www.youtube.com/watch?v=F5dR_tE1wfs

AREA-1【TOA-80s】
ハイエナジー/80sユーロビート/80sオールジャンル
DJ : DJ BABY/KOUTARO/SHU1 TOKYO

AREA-2【HYPER-平成】
ジュリアナテクノ/スーパーユーロビート/90sオールジャンル/EDM
DJ : PASSION/GUN/FUJIMOTO/HIDE/BABY’S(LIVE)

AREA-3【MEMORIES-昭和】
ダンスクラシックス/昭和歌謡/竹の子
DJ : AMAYA/IPPEI/DJ総長

AREA-4【GOOD VIBES-SMOKING AREA】
R&B/HOUSE/ALL GOOD MUSIC
DJ : GION/DAIMON/YUKA

公式HP
https://baby-site.net/event/tdc2024
チケット情報
https://eplus.jp/sf/detail/4097440001

DJ BABY
本名:斎藤正紀 1965年8月20日生まれ、神奈川県海老名市出身。首都圏を中心に多数の店舗でレギュラーを持つ東京DISCOシーンのアイコン。70年代、80年代、90年代他、年代、ジャンルを越えた豊富なバリエーションを巧みに使い分け、MCパフォーマンスをまじえたクイックリーなDJプレイで、ダンスフロアを最高潮まで盛り上げている。現在、マハラジャ六本木の毎週月曜日「70s & 80s ディスコ」、第2日曜日の「SHINPACHI新宿DISCO80s」ほか、首都圏を中心にディスコイベントでプレイ中。また、8月下旬にURACORI(裏コリドー高架下)にオープン予定のNIGHT  CAFE & CLUB CLUB PLUM(CLUB DIANAが手掛ける)にて、毎週水曜日に開催されるディスコイベントをプロデュースすることも決定している。
公式WEB SITE
https://baby-site.net

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