振り返ったらあった、3つの好きなもの。
鈴木弘人さんはその釣りの沼にずっと落ちている一人だ。何せ東京の下町・江東区白河で釣りをテーマにした『ジッターバグ・ボーイ』という名のセレクトショップを開いているほど。だから店内はヘビーウェイトのスウェットシャツや、ヴィンテージのスニーカー、ナイロンバッグなど上質なシティボーイに仕上がれそうなアイテムが並ぶが、同時にルアーやロッドが紛れている。スウェットやTシャツの刺繍もプリントもブラックバスやアングラーショップのものだったりする。
「自分で何かやるなら好きなものを置きたかった。すると“釣り”と“ファッション”だったんです」 鈴木さんは自らオーナーを務める店内を見回しながら、言った。
「ただ何より好きなのは“店に立つこと”だったんですけどね」



千葉のダイエーから渋谷のネペンテスへ。
最初に立った店はダイエーにあった。高1の頃、最寄り駅の近く千葉店の中の洋服店にバイトで入った。思春期らしい理由だった。
「店員のお姉さんがかわいくて」
もっとも翌年には別の店、船橋ららぽーとの中にあったインポートショップに移籍。高校卒業と同時に社員にもなった。時代は1990年前後。円高ドル安で、ラルフやウールリッチ、フィルソンなどが手に入りやすい価格で入り始めた。渋カジを彩るようなアイテムたちが、少し年上の女性より鈴木少年を魅了しはじめたからだ。
「デザインはもちろん、無骨さや使い込むほど味が出る感じとか。あの頃のメイドインUSAはかっこよかったですよね。あとカッコいいショップの店員はモテたし」
訂正。思春期らしさは残っていた。ただ店に立つ面白さはこの頃に根付いた。ポロシャツのディテールだけであれこれ話し込む同僚たちがいた。ハワイ旅行がてら鈴木さんが仕入れてきたRRLに感動しくれる常連さんがいた。
店を通して、自分もお客さんも、いつもワクワクさせられていた。
「ワクワクの一つに釣りもいつもあったんですけどね」
『釣りキチ三平』や『ザ・フィッシング』で小学生から釣りにハマった世代。ショップ店員になってからも出勤前や退勤後に印旛沼や東京湾に飛び出していた。店頭に立ちつつ、夜のキャスティングを夢想したりしていたらしい。
「リールなんかのギアも好きで。やっぱりアメリカ製が味がある、みたいな服に似た感触もあった」
いずれにしてもいかにも男の子らしさをまとった雰囲気。釣りも服もそこに魅かれた。なので、千葉の店を辞めた後、ネペンテスで働きはじめたのも納得感がある。
さらに3年後アングローバルなどを経て、『ナナミカ』に移ったのも。
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