ラジカセとブラウン管と。ビクターの犬と富士山と。
ココには旧いテクニクスや東芝の看板、ラジカセに白黒テレビが当たり前にある。デ・ラ・ソウルのアルバムに、「元気が出るテレビ」のグッズ、さらに風呂桶や富士山の壁画まで紛れ、戸惑いが増す。
「好きなモノを揃えたっていうのはあります。もっと単純にいえば、自分のルーツみたいなものなんですよ」と、オーナーの鈴木保幸さんは言葉を続けた。
「街の電気屋で、ずっとDJをしていて、足立区と銭湯が好きでアマゾンにいたこともあって……」
内装同様、情報量が多すぎる。


ビックカメラ本店で日本一売り上げる男に。
1974年生まれの鈴木さんは静岡県富士宮市で育った。
父親が東芝系列の電気店、いわゆる街の電気屋さんを経営。ベータのビデオデッキやMSXなんかに囲まれて、幼少期を過ごした。
「勝手にテレビをバラして遊んだり、基盤にハンダづけしたりして、よく怒られていましたけどね」
家電の修理を快く引き受け、ついでにサッシや網戸の修理まで、お客さんの声に応え、直す。そんな父に影響された面もあった。
だから高校を出たあと、東芝の企業内学校に進学。足立区の電気店に修行に出たのち、実家に戻る。父の電気店を継ぐためだった。それが1997年。鈴木さんは22歳。家電を取り巻く環境は様変わりしていた。家電がデジタル化し、街の電気屋さんが修理できるような代物ではなくなった。価格だけがモノサシになり、家電量販店チェーンが急速に伸びていた。
「ようは街の電気屋は存在感をどんどん無くしていった。行く理由が薄まっていたんです。1年間は家業を手伝ってましたが」
父親に頭を下げ、もう一度、上京。スキルをそのまま活かせる場として、池袋のビックカメラで販売員として働き始めた。
すごいのが全店で売上日本一を達成することだ。メカ好きなうえ東芝で学んだ結果、家電に入っているCPUや、どこの工場で作っているまで可能な、誰よりデキる販売員になっていたからだ。
もっとも1年後にはまた別世界へ。今度は「好き」で選んだ。
「中学くらいからソウルやヒップホップを聴き、DJもやっていたんですよ。家業を継ぐ道が消えたなら、好きに振り切ってみたくて」
渋谷の老舗レコードショップ『DMR』で働きつつクラブやFMラジオで活躍するプロDJに。ただ収入はガクンと減り、北千住の風呂なしアパートへ引っ越す。銭湯好きは、このときからだ。『DMR』では途中、卸事業を担当者、米レーベルと直接やりとりするディストリビューターになる。大手CDショップや全国のレコード店が取引先に。その中のひとつにできたてのECサイトがあった。
名前を『アマゾン』といった。
関連する記事
-
- 2025.10.27
充電できるAnker カフェに行ってきた! これは全国の駅前に出来て欲しい!
-
- 2025.10.27
相変わらず業績好調なAnker新製品発表。次なる一手は『Anker Cafe』