日本車に対抗し、傑作モデルが次々に誕生
1950年代後期から1960年代にかけて、まさに黄金期を迎えたハーレー社だが、安価で性能が高い日本製バイクがアメリカ市場を席巻し始めた1960年代末期になると最大の経営危機に陥った。“昔から変わらないスタイル”が災いし、時代遅れと捉えられてしまったのだ。「AMF」に買収され、傘下となった1969年以降、日本車に対抗するべく魅力的なモデルを次々と発表。それを手がけたのがレジェンドデザイナーのウィリーGだ。
1977 FXSローライダー
1971 FXスーパーグライド
世界中にハーレーファンを生んだ1969年公開の映画『イージー☆ライダー』
2人の男が自由を求めて、ハーレーを改造したチョッパーにまたがってアメリカを旅する、シンプルながらも痛烈な皮肉を込めた物語は、当時全米だけでなく世界中で大ヒット。日本に「チョッパー」というスタイルが伝わったのもこの映画がきっかけといわれている。
子供にも大人気の国民的ヒーローが登場!!
バイクでジャンプするという単純明快なパフォーマンスで大ブームを巻き起こしたのがスタントライダーの草分け、イーブル・クニーブルだ。ハーレー社は彼を1970年から7年間に渡ってスポンサードし、星条旗カラーの「XR750」を与えた。子供向け玩具が発売され、日本でも人気を博したほか、自ら主演した映画が公開されるなど、イーブル・クニーブル×ハーレーが世に与えた影響は大きかったといえるだろう。
H-D社のピンチを救った渾身のNEWモデル
AMFの潤沢な資金を得ることで日本車に対抗し、さまざまなモデルを投入したもののまるで敵わず、やがてAMFのハーレーに対する経営意欲も薄れ、深刻な品質低下を招く結果となった。そして1981年、13人の役員が株を買い戻し、AMFから独立。渾身のニューモデル「FXSTソフテイル」を発表するや空前の大ヒットとなった。
新しいビッグツイン「エボリューション」を搭載したソフテイルが大ヒット。これによりH-D社は現在の基盤を築いたのだ。
(出典/「Lightning 2025年9月号 Vol.377」)
Text/T.Amemiya 雨宮武 Photo/T.Masui 増井貴光 問い合わせ/ハーレーダビッドソン ジャパン https://www.harley-davidson.com
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