隅田川のほとりにある海外旅行先になるコンビニ。
江戸の頃は「大川」と呼ばれた隅田川下流を東に置き、かつて武家屋敷がひしめいた日本橋浜町。
今やビルが立ち並ぶこの地に『上総屋』はある。進藤康隆さんの祖父が大正時代に起ち上げた酒販店。今はヤマザキ製パンのコンビニ『Yショップ上総屋』だ。
ただ自動ドアを一歩でもくぐれば、この店が「ただのコンビニじゃない」と気づかされるだろう。
ランチパックやカップ麺にまぎれてヒップホップや昭和歌謡のレコードが棚に収まる。そういえば店内にはビースティ・ボーイズやサイプレス・ヒルが流れている。
あとは何といっても店の奥だ。『野菜一日これ一本』が並ぶ冷蔵庫の向こう側にクラブ仕様の“2ターンテーブル”があるからだ。
「だから、うちは『Yショップ上総屋』の名があるけれど」と店長の進藤さんは、言葉を続けた。
「もう一つの名『レコードコンビニ』のほうが知られていたりする。海外から『ココに来たかった』といらっしゃる方もいますからね」

銀座のバーで働きながら、クラブイベントに通う日々。
最初はロックが好きだった。1973年、浜町生まれの進藤さんは’90年代はガンズやメタリカにヤラれ、スラッシュメタルバンドでギターを弾くバンド少年だった。
「ただすぐヒップホップや渋谷系が現れ、クラブカルチャーが盛んに。だからフライングVをターンテーブルに替え、ロフトではなくイエローに通いはじめました」
この頃、音楽以外の興味も抱く。バーテンダーだ。クラブのカウンターでグラスを出す所作にシビれた。映画『カクテル』の影響もある。なので銀座のバーでバイトを始め、大学卒業後はそこに就職した。
「そもそも酒屋の息子で酒好きでしたし。将来は好きなレコードをかけるバーをやってたいなと」
しかしすぐ頓挫する。父が店をコンビニにすると決め「手伝ってくれ」と声がかかったからだ。
「元々兄が店を継ぐつもりで、酒の卸会社に就職していたんです。ただ『兄があと3年待って』というので、繋ぎ役として僕が」
1999年、こうして『上総屋』の名に「Yショップ」を冠された。
数あるコンビニチェーンの中でYショップを選んだ理由は「本部がうるさくなくて、自由度が高い」という兄の助言からだった。
もっとも最初の頃は「店頭でイライラしていた」と明かす。
「自由とはいえバーテンダー時代と比べたら不自由でしかなく、父とはケンカばかり。だから半年経ったくらいでハメを外し始めた」
まず有線放送を切った。代わりにスピーカーにターンテーブルを接続。モー娘。やあゆではなく、グールーやフロイドを流した。
好きな音楽で満たされると、くすぶっていた気分が晴れた。そのバイブスは来店客にも伝播する。
『このアルバム昔持ってたわ』と話し込む常連が現れた。『これかけてくれない?』とLPを持ち込む人が来た。バーテンダーと客のような洒脱な会話が、コンビニのレジカウンター越しに生まれたのだ。
「『コンビニの仕事も結構楽しいな』と感じ始めましたね。ただまだレコードを売ってはなくて」
転機となったのは震災だった。