【1920s】アスレチックウエア=運動着として誕生。
アスレチックウエア、すなわち運動着として誕生したスウェットシャツ。その始まりは1910年代後半から1920年代と言われており、それ以前はウール素材のセーターが一般的であったが、この年代からは、表地がコットンで裏地がウールのもの、そしてコットン100%のものが生まれた。そして、スクールカラーやチームカラーでオーダーをしたり、学校名やチーム名のフェルトレターなどを施すなどの様々なモデルが作られるように。
1926年のカタログにはすでに掲載されているのが確認されている「スポルディング」の両Vスウェットシャツ。コットンの表地にウールの裏地という仕様で、袖リブの切り替えが特徴的な1着で、このモデルは1937〜38年ごろまで存在したようだ。
「スポルディング」が手掛けていた、肩の切り替えが特徴的なフットボールセーター。こちらは1920年代後半に登場し、1934年のカタログでも確認できる。
【1930s】デザインが広がりを見せたスウェットシャツの黄金期。
カレッジアイテムとして定着し、デザインの幅が広がりを見せたのが1930年代。ボディやリブの配色、フェルトレターやステンシルプリントなどで学校名やチーム名を入れるなどのオーダーや別注が広がり、ツートーンのデザインや派手なカラーリングのものが出てくるようになる。1936年のベルリン五輪で金メダルを獲得したボート競技のアメリカ代表チームも「USA」のフェルトレターが入ったコットンスウェットシャツを着用した。
スクールカラーであるレッドをメインカラーとしたオハイオ州立大学のコットンスウェットシャツ。1938年のイヤーブックに学生が着用した姿が掲載されていることから、30年代半ばには存在したと推測される。フェルトレターも同年代を象徴する仕様だ。
リバースウィーブは30年代に誕生。
[リバースウィーブ]は、「チャンピオン」が洗濯と乾燥による着丈の縮みを防ぎ、快適な着心地を実現させるべく1934年に考案。当初は肩周りに縫い目のない通称ドルマンスリーブという仕様であった。
【1940s】大戦の影響を受けてデザインが落ち着く傾向に。

1939年から始まり、19411年の真珠湾攻撃を契機にアメリカも本格的に参戦した第二次世界大戦の影響もあってか、コットン製のスウェットシャツの価格は変わらないものの、オーダーできるデザインの幅が狭まったとされるのが1940年代。もちろん、カレッジカルチャーやフットボールなどのスポーツシーンでの着用は引き続きあったものの、当時のカタログや、ヴィンテージ市場においてもグレーなどの地味な配色が多いのだという。
【1950s】学生の間でファッションアイテムとして定着。
アスレチックウエアとしてだけでなく、学生の間でファッションアイテムとして着用されるようになったのがこの時代。フロッキーの上からエアブラシで着色したカラフロッキーがスクールものの間で流行するなど、豊富なデザインが再興する。また、1934年に「チャンピオン」が考案し、’38年に特許を取得した[リバースウィーブ]が、身頃の両サイドにリブパーツを付けたお馴染みの仕様の特許を取得したのが1952年である。
シアーズ・ローバック社の展開する「ピルグリム」のタグが付くスウェットパーカ。この特徴的なデザインと配色から、スポーツウエアに豊富なデザインやカラーリングを取り入れた名ブランド「アコム」が手掛けたものだと推測される
【1960s】様々なカルチャーと結びつき完全なるファッションアイテムへ。
学生の間だけにとどまらず、様々なカルチャーと結びつき、スウェットシャツが発展。アメリカの名女優ジェーン・フォンダがベートーベンプリントのスウェットシャツを着用して映画のPRイベントに出席するなど、完全にファッションアイテムとして定着した。1960年代後半には消防法によってコットン100%のスウェットシャツの製造が禁止された影響もあり、ポリエステルやアクリルなどの化学繊維を混紡したスウェットシャツが登場した。
「メイヨー スプルース」が1960年代に展開していた、有名なピーナッツシリーズのスウェットシャツ。中でもシュローダーがベートーベン柄のプリントスウェットシャツを着たデザインは希少性が高い。
(出典/「Lightning 2025年4月号 Vol.372」)
Text / K.Minami 南樹広 A.Fuji 藤井葵 Photo / R.Yukitake 行竹亮太
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- 2025.03.16
「スポルディング」のカタログを見ればスウェットシャツ発展の過程がわかる!