1.カート・コバーン(1967ー1994)
夭折のヒーロー、カート・コバーンが音楽だけでなく、ロックシーンのファッションの価値観まで変えてしまったことは説明すべくもない。とはいえ、ステージにパジャマであがるようなエキセントリックな側面もあったにせよ実際カートが好んだ服はリーバイスの501やコンバース・ジャックパーセル、モヘアのカーディガンなど王道で昔からあるベーシックなものばかりで、その着崩しこそカートの真骨頂と言えた。
ファッションや古着が大好きな青年ならではの服選びとも言えるが、同時に煌びやかなロックスターの衣装をまとった80年代ロックバンドに対するアンチテーゼでもあったはず。グランジとはカートが行き着いたパンク精神だったに違いない。
モヘアのカーディガン
昨今、再び人気が高くなっているモヘアのカーディガンだが、90年代の古着ブームにおけるカーディガンの先駆者といえばカート。彼が好んだカーディガンは60年代頃の古着が多く、リベアーやマクレガー、JCペニーも着用していた。同様に赤黒ボーダーのモヘアセーターも有名だが、これは日本公演の際ファンにもらったものだ。
ジャックパーセル
世界的に人気になる前はオールスターもよく履いていたカートだが、『スメルズ・ライク~』以降は黒のジャックパーセルを履くことが多かった印象。リーバイス501にジャックパーセルという超デイリーな着こなしでステージに上がることこそこの男の真骨頂。生前最後のポートレートでもジャックパーセルを履きこなしている。
ボンバーキャップ
グランジスタイルのアイコンのひとつでもあるボンバーキャップ。別名エルマー帽とも呼ばれている。元々は航空機を操縦するパイロットの防寒具として作られたものだが、ツバを跳ね上げ、イヤーガードを垂らした着こなしがカート流だ。クリスチャン・ロスのサングラスとキャップを合わせた着こなしはあまりにも有名になった。
2.ジョン・レノン(1940ー1980)
ジョンが愛用したファッションアイテムを挙げれば数限りない。音楽同様、ファッション面でも強く影響を与えた人物だと言える。きっちりの着こなしの人ではない。着崩しが絶妙で、文字通り、お洒落に洒落が利いている。眼鏡選びにもこだわりを見せたし、ジージャンはリーバイスではなくラングラーを愛用。そういえば、服を着ることすら拒否したこともある。思えば、「WAR IS OVER!」や「WORK- ING CLASS HERO」などTシャツにも強烈なメッセージを込めることが多く、音楽と同様に洋服のパワーも信じていたのだろう。有名な「NEW YORK CITY」のTシャツだって、晩年ニューヨークに移住し国籍を変え、心機一転しようとしていた彼なりの意思表明だったのではないか。
ラングラーのデニムジャケット
ジョンが愛用していたラングラーのジージャンは111MJ。60年代の111MJなので古着として購入したものだろうか。ステージでは111MJはほぼ登場せず、プライベートショットのみで見られることから本当に好きだったことが伝わってくる。唯一、ジョンがステージで着用したのは 1968年に収録された映画『ロックンロールサーカス』。
スプリングコート
オノ・ヨーコとの結婚式やビートルズのアルバム『アビイロード』の足元を飾ったのはフランスのスニーカーブランド、スプリングコートの真っ白なキャンバススニーカーG2。 当時はテニス用のスニーカーであり、あえてスポーツシューズを履くことで反体制を誇示したとも言われているが、単にカッコよかったから履いていたようにも思える。
白山眼鏡店のメイフェア
ジョンがオノ・ヨーコとの子を授かり、音楽 活動を休止していたハウスハズバンド時代の ʼ79年、家族で日本を訪れた際、原宿のブティックに置かれたメイフェアにひと目惚れし3本のメイフェアを購入したという。 ʼ81年にジョンが殺害されたのち、オノ・ヨーコのアルバム『シーズンオブグラス』のジャケットには割れたメイフェアの姿が。
3.アーネスト・ヘミングウェイ(1899ー1961)
20世紀を代表する希代の文豪・アーネスト・ ヘミングウェイの着こなしは現代でもファンが多い。ハンティングやフィッシングが好きだった彼は質実剛健なものを好み、当時無名だったコンバ ースのジャックパーセルやL.L.ビーンのビーンブーツに目をつけるなどその審美眼は確かなものだった。若い頃は世界中を旅したヘミングウェイが、安住の地として選んだのはキューバ。風土、 気候も含めて性に合ったのだろう。ヘミングウェイは首の締め付けが嫌いで、キューバに移住してからは常にオープンカラーのシャツを愛用した。徹底した機能美と究極の快適さにこだわった男だが、晩年になるに従い、快適さの重要性をより理解し、求めていったようにも思える。
オープンカラーシャツ
晩年の20年間を中南米のリゾート地、キューバで過ごしたパパ・ヘミングウェイ。 いつでも快適でいられる服を求めた結果、襟が締め付けられるシャツは嫌いだったという彼は、オープンカラーシャツにたどり着く。中でも、身頃に刺繍が縦に走るキューバシャツは愛用のひとつで、カーキパン ツと合わせて愛用していたようだ。
ビーンブーツ
ヘミングウェイはハンティング やフィッシングで使える質実剛健なアイテムの目利きでもあった。創業当時のL.L.ビーンがまだ無名だった頃から、ビーンブ ーツこそ本物のフィールドブーツだと絶賛。自分が愛用するだけでなく、自身が狩猟をしていたワイオミングにやって来る友人にまでビーンブーツをすすめ る手紙をよこしているほど。
サファリジャケット
若い頃から狩猟に興じていたヘミングウェイにとってサファリジャケットはユニフォームのようなものだったに違いない。アフリカのケニヤとコンゴの旅に際して、アバークロンビー&フィッチでサファリジャケットをオーダーしたのは有名な話。そのアバクロから依頼を受けて製作したのがウィリスアンドガイガーと言われている。
4.ウディ・アレン(1935ー )
生粋のニューヨーカーであったウディ・アレンほど、ナードな着こなしが似合う男はいない。監督兼主演のウディの着こな しの多くはプライベートに近い着こなしのように思えてならない。ウディの配役の多くは小柄で理屈っぽくちょっと情けない一見してナードな雰囲気だったが、着こなしに至ってはスーツ からカジュアルダウンまで洗練されたニューヨーカーそのもの。それがウディの魅力を引き立てていた。最もウディの着こなしが参考になる映画は『アニー・ホール』。ダイアン・キートンのファッションが当時話題となったが、ウディも負けてない。スタンダップコメディ、スカッシュ、そしてデート……、 TPO で着こなすウディの姿は、現代でも是非真似したい。
M-51フィールドジャケット
米陸軍フィールドジャケットといえばM-65が定番だが、それ以前に採用されていた M-51だって銘品。オーバーコートならモッズ映画の定番だが、フィールドジャケットとなれば、『アニー・ホール』で着こなしたウディ・アレンが思い起こされる。チェックシャツと合わせた着こなしはまさに洗練されたニューヨークスタイルだった。
2プリーツチノパン
M-51と同様に『アニー・ホール』で見られたのがチノスタイル。ツイードのジャケットにチェックシャツ、そしてボトムには2プリーツ入りカーキのチノパン。懐中時計を収納するウォッチポケットが特徴で、それをパンツインする着こなしが非常にクール。ウディは小柄だったためかシルエットも太く見え、そのラフさがカッコよかった。
タートオプティカルのブライアン
タートオプティカルを愛用した著名人は数多いが、60年代当時のアイコンといえばウディ・アレン。映画『アニー・ホール』をはじめ数々の映画では「ブライアン」を着用。ヒロイン役のダイアン・キートンもタートの「プリンス X」をかけており、それがボストン型の元祖と言われる。主役級ふたりがタートをかけ共演し、映画に華を添えた。
(出典:「2nd 2022年9月号 vol.186」)
Text/Keiichiro Yoneda Illustration/Kaoru Sato
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