【ヤングタイマーなクルマと俺②】いろいろ乗っても、結局戻ってしまう乗っていて楽しいクロカン車。

あの頃、クルマは相棒だった。それだけに注がれる愛情や思い出もヒトシオだ。いまやファッションシーンに欠かせない2人のキーマンも時代や趣向は違えど、クルマとともに過ごした青春時代の輝きに違いはないのだ。

後編となる今回は、「ニート」の西野大士さんに歴代の愛車を振り返りつつお話を伺った。

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「ニート」西野大士さん|1983年生まれ、兵庫県淡路島出身。小学校の教師をするかたわらバンタンデザイン研究所を卒業。老舗アメトラブランドの販売員を経てプレスに。 退職後、様々なブランドのPRを担当しながらトラウザーズ専業ブランド[NEAT]を設立。現在はプレスオフィス[NISHINOYA]も経営し、国内外20ブランド以上のPRを担当

単に移動の手段ではなく、乗っていて楽しい“道具”が絶対条件。

「ぼくの地元は1人1台が当たり前な郊外でしたので、18歳の誕生日と同時に免許を取り、子供の頃からの憧れだったミニクーパーを買ったのですが、これが想像以上にボロボロで(笑)。結局は3ヶ月で手放し、父親に日産キューブを新車で買ってもらいました。

ミニの象徴的なブリティッシュグリーンを探すも、人気薄だったライトブルーで妥協し30万という破格で手に入れた初代

ただ、ミニがマニュアルだったのに対し、オートマのキューブがつまらなく感じてしまい、母親が乗っていたパジェロミニと交換して。それから周りの先輩や友達の影響もありクルマで外遊びを始め、ランクル78プラドに乗り換えました。とはいえ、別にラリーに出たいとか何か目的があったワケでもなく、ただただ野山で無茶するのが楽しくて(笑)。

上京以降はしばらくクルマのない生活でしたが、妻が快適性から新しいクルマ希望だったのでBMWの1シリーズに。でも、これがボク的にはホントにつまらないクルマで、結局またクロカン車に乗り換え、現在に至っています。

あの頃とは違い、さすがに野山を攻めたりはしていませんが、子供が大きくなったらファミリーキャンプや外遊びにも使っていきたいと考えています」

2002~04年、三菱パジェロミニから始まったクロカン愛。

「ボロボロだったミニはすぐに限界がきて、次に乗ったキューブは面白みに欠け、それで母親と交換したのがこのパジェロミニ。ここからぼくのクロカン車歴が始まりました」

2004年から10年乗った、トヨタ[ランドクルーザー78プラド]

「関西に住んでいた頃の私的初代78プラド。あえて岩に乗り上げたり、特に用もないのにわざわざ川を渡ったり、香川県の山林を友人たちと毎週のように攻めていた時代。クルマの限界にトライするのが何より楽しかった」

愛車だけを撮影している写真をいまだに保有していることからも、西野さんの愛を感じる。

2019年から現在まで乗るのは、メルセデスベンツ[230GE]

「2014年から妻の希望でBMWの1シリーズを乗るも、2年で手放し、再びのトヨタ[ランドクルーザー78 プラド]に乗り継ぎました。そして、いまは230GE。これで子どもを連れてキャンプに行くのが楽しみです」

初代のミニの姿が本当にボロボロで、ちょっと笑ってしまった西野さんの愛車遍歴のスタート。その後、パジェロミニからはじまり、ランクル、ゲレンデとクロカン車とともに歩んだクルマライフ。今後、お子さんの成長とともにどう変化していくのか楽しみだ。

(出典/「2nd(セカンド) 2020年8月号 Vol.161」)