現在の歌唱スタイルの原点「サンバルカン」
今や世界に誇るカルチャーと認知されている、日本のアニメ。そして、アニメ人気と同時に、 世界から注目されているのがアニメソング。そのアニソンを語るうえで不可欠な人物であり現 在につながるアニソン文化の礎を築いた存在こそ、アニソンレジェンド・串田アキラだ。
1980年代前半、小学生だった昭和50年男世代を直撃した、「キン肉マン Go Fight!」といったアニソンや、「太陽戦隊サンバルカン」といったヒーローソング。「アニソンって、カッコいい!」と胸を熱くしたオレたちのアニソン原体験は、間違いなく串田楽曲によるものだった。オレたちが生まれる前からアニソンを歌っていると考えがちだが、串田がアニソンやヒーローソングを歌うようになったのは、「太陽戦隊サンバルカン」以降。それまでは本格ソウル、R&Bを歌うポップス歌手として活動していた。
「ソウル、R&Bが子供の頃から大好きでした。12歳でリトル・リチャードを聴いて、『これはすごい!』と思って、洋楽にハマりました。16歳の頃からは、ソウルばかり聴き、当時、外国人専門のクラブにライブを観に行った時、僕もフロアでソウルの曲を一緒に歌っていたんです。ちょうど僕らが歌うアニソンをファンの皆さんが一緒に歌ってくれるように…。そしたら、『明日来て、ステージで歌ってくれない?』と(バンドの人に)言われて、そこからステージに立つようになるんです」
16歳から外国人専門のクラブのステージに立っていたという仰天エピソード。
「ラジオやレコードを聴いて、どんどん曲を覚えて、真似して歌って。外国人のお客さんに(自分の歌を)聴いてもらったら『That’s Great!』と言ってもらって自信をつけて。その後、歌手としての基本を学ぶためバンドボーイをしました。僕のセオリーとして、『のどはケアするより鍛える』という姿勢ですが、それは当時、たばこの煙が充満した劣悪な環境でも歌っていた経験からきているのかもしれませんね(笑)」
そんな串田がヒーローソングやアニソンを歌うきっかけを作ったのは、師と仰ぐ作曲家の渡辺宙明(2022年没)。「太陽戦隊サンバルカン」主題歌を作曲した渡辺が、歌い手に串田を指名した。
「僕が歌った、映画『マッドマックス』の日本版テーマ曲『Rollin’ Into The Night』を聴いた宙明先生が推薦してくださいました。最初は『お子様向けの歌でしょ?』と高をくくっていたんです。それがレコーディングの時、ディレクターに『小さい子供たちが聴くから、カッコよく歌ってね』と言われて。問題ないだろうと思って歌ったら、「違う、もっとカッコよく!」と言われてしまい、何回歌ってもOKは出ないし、ディレクターは『カッコよく』しか言ってくれない。僕はすっかり音を上げてしまって、『もう一度歌ってダメだったらあきらめよう』と思った時、ようやくOKが出たんです」
それまでのテイクと何が違ったのか? 結果”カッコよく”の答えがわからないまま、串田はレコーディングを終えた。
「それから1年経って、今度は『宇宙刑事ギャバン』を歌うことになりました。その時、『カッコヨクって、これか?』とようやくつかんだ気がしたんです。ヒーローって強くてカッコいいけど、そこに”優しさ”があるんですよね。怒ったり戦ったりするなかにある、秘めたやさしさ。昔のオヤジみたいなもんで、どんなに怒っても自分の子供で すからそこにはやさしさがあって、それを秘めているのがヒーローなんだと思った時、ようやく〝カッコよく〞の意味がわかった気がしたんです」
<男なんだろ? ぐずぐずするなよ>と始まり、愛とは? 男とは? といった、哲学的な歌詞を含む『宇宙刑事ギャバン』。その熱い歌詞と串田の歌唱は、小学生だったオレたちの胸のエンジンにも火をつけた。
「レコーディングの時に応援に来てくれた大葉健二さん(一条寺 烈/ギャバン役)と話してギ ャバンの写真も見て、『ヒーローって強いだけじゃないんだよな』と思い、歌にもそれが出せれば、と。強さのなかに『愛ってなんだ?』といった一面や、やさしさを歌で出したいなと思って歌って。それで振り返った時、『サンバルカン』の時はソウルっぽく歌ったり、アクションもつけながら大げさに歌ったりしていたんですが、歌の抑揚とか技術じゃなくて、子供と同じ目線で伝える気持ちの部分を大切にしなきゃいけなかったんだなと思ったんです」
子供ながらに「この曲、なんかグッとくるんだよな」と思わされ、大人になってあらためて聴いた時に歌詞の深さや串田の歌唱にその秘密があることを知った『サンバルカン』や『ギャバン』。どちらも作詞は多くの名曲を生み出した、山川啓介の手によるものだ。
「山川先生作詞、宙明先生作曲の『宇宙刑事シャリバン』のEDテーマ『強さは愛だ』という曲があります。宙明先生が、『山川さんの詞がいいから、いい曲が書けるんだ』と仰っていて。<倒れたら立ち上がり前よりも強くなれ>という歌詞が特に好きです』と言っていたのを思い出しますね。ファンの子たちから、『受験勉強の時ギャバンを聴いて<男なんだろ?>と問いかけられて、一生懸命がんばった』などのエピソードを聞くと本当にうれしいです」
ところで、数多の主題歌を生み出した渡辺宙明は、どんな方だったのだろうか?
「まさにヒーローと同じで、内に秘めたやさしさをもった方でした。その後もたくさんの曲を 書いていただいたんですが、どれも宙明先生が僕を推薦してくださったことを後から知りました。僕はそんなことを知らないから、『ここはこう歌いたい』なんて大先生に意見を言ったりして。普通なら怒られてもおかしくないですけど、宙明先生は『いいですね、そうしましょう』と仰ってくださり、本当にやさしい方でした。
最後にご一緒したのが21年、『機界戦隊ゼンカイジャー』の挿入歌だったんですが、その時も『この曲を主題歌で串田さんを推薦しようと思って作ったんだ』という話を後から聞きました。宙明先生がいなかったら、今の僕は本当になかったでしょうね」
「売れない!」と大笑い『キン肉マン』の大ヒット
そして、串田アキラの代表曲と言える楽曲「キン肉マン Go Fight!」について。カッコいいけどドジで三枚目という、キン肉マンのキャラにぴったりのこの曲。串田が制作時のおもしろエピソードを話してくれた。
「主題歌を録る時『キン肉マンってこういう感じ』というのは、マンガで想像するしかなくて。譜面を見て『ヒーローの感じで間違いないな』とイメージして歌ったら、でき上がってみて『あれ?』って。というのも、僕が歌った時にはコーラスが入っていないので、<私は強いキン肉マン>とカッコよく歌ったところに、<私は(ドジで)強い(つもり)キン肉マン>と追っかけコーラスが入っているわけですよ(笑)。(森)雪之丞さんは、最初からそれが狙いだったらしいんですけど。僕は知らないから。あれはびっくりしたし、笑っちゃいましたね」
串田パートだけ聴くと、スーパーヒーローの曲だが、コーラスが入ることでずっこけぶりが加えられる演出を串田は知らされていなかったのだ。
「だからキン肉マンそのものなんですよ。普通は真剣な顔をしてやるレコーディングも、みんなで大笑いしながらやって。エンディングの『肉・2×9・Rock’n Roll』も僕の歌をディレクターが大笑いしながら聴いて、『こりゃ、売れないな!』って言って、みんなで大笑いしました(笑)。そしたら、あのキン肉マンブームですから、びっくりしましたね」
当時を懐かしそうに振り返った串田は、キン肉マンブーム時のエピソードを語ってくれた。
「ある時ゆでたまご先生と一緒に『キン肉マン』の番宣でテレビに出て僕が歌うことになり、てっきり『キン肉マン Go Fight!』だと思って現場に行ったら、『肉・2×9・Rock’n Roll』が用意されていて。僕はレコーディング以来歌ってないし、一、二回聴いても覚えられないので、カンペを見ながら口パクで歌いました(笑)。横にいたゆでたまご先生がクスクス笑って見ていたのを覚えています」
その後も「炎のキン肉マン」、「キン肉マン旋風」など、キン肉マンの主題歌を担当する串田。
「『キン肉マン Go Fight!』は”愛”を歌っていたんですが、次は”友情”というテーマもあったので、迫力を出しながら、そのなかに愛や友情をどう出していこう? と考えたり。主題歌を続けて歌わせていただけるのは本当にありがたいのと同時に、続けて歌うことの難しさもありましたが、『キン肉マン』に出会えたことは本当に幸せでした」
現在も串田は代表曲として 「キン肉マン GoFight!」 をライブで熱唱し、会場は大合唱と大きな盛り上がりに包まれる。
「名刺代わりじゃないですけど、何かあれば『キン肉マン』か『ギャバン』なので、そういう曲に出会えたのは最高ですね。アニソンって長く歌い続けられますし、当時の子供たちがそのままの気持ちで大きくなって今もついてきてくれているから、僕は生き残っていられると思っていますし、本当にありがたい話だと思います」
現在77歳、歌手生活61年。串田がステージに立つ理由
現在、77歳、レコードレビュー55年を迎える串田。いつまでも 現役バリバリで、変わらぬ歌声を聴かせるため、今も筋トレや体力作りを欠かさない。
「ステージでヘタった声を出したら、当時聴いてくれていた子供たちに対して失礼だと思うんで。当時の声を絶対出せるという体制をくじけず作っていきたいと思っていて、『ケアするより鍛える』でのども鍛え続けています」
そのモチベーションやエネルギーはどこから生まれるのか? 串田は今も自身を突き動かす、 ある思い出を語った。
「なんのためにやるか? って、やっぱり当時の子供たちが好きだからなんですよね。『サンバルカン』や『キン肉マン』が発表された時、野外ライブがありました。運動場のような広い会場だったんですが、みんな恥ずかしがって遠くのテントの下から観てるんです。司会のお姉さんが『よい子の皆さん、集まってくださ〜い』と言っても来ないから、僕がマイクを取って『何やってんだ!こっちへ来い』と言ったら、みんなが口をとがらせながら『なんだよう』とゾロゾロ集まってきた。『よし、一緒に歌おう!』って、みんなで歌って。あの風景は忘れないし、ステージから飛び降りて、子供たちと一緒に歌ったりするようになるのはあれからですね。子供たちと一緒の目線で、一緒の 瞬間を共有するというのが、すごく好きだったし、僕はそういうことがやりたかったんです」
アニソンを子供たちと一緒に歌って、同じ瞬間を共有する。あの時の体験と喜びが、今も串田を突き動かす。
「今もライブでみんなと一緒に歌ってというのが、最高の瞬間ですね。10代の頃、自分も外国人クラブでかぶりつきでライブを観て、一緒になって歌った経験があるから、楽しそうに歌っているファンの皆さんにあの頃の自分を重ねているところもあるかもしれないですね」
そしてステージに立ち続けるからには、カッコよくなければいけない。変わらぬ歌声、闘い続ける心、そして内に秘めたやさしさをもって、串田は今もステージに立ち続ける。
「ヒーローソングを歌う時はアクションしたり、重いブーツを履いたりするんですが『串田、年取ったな』ってことも忘れさせて、一緒に歌いたいんです」
また、アニメの主題歌が多様化してきた現在も、主題歌からアニメの物語が想起できるよう な”王道アニメソング”にこだわり続けてきた串田。最近の傾向として、王道的なアニメソングに再び注目が集まっているのも感じているそう。
「つい最近ですが、若い子たちが昭和、平成の歌に注目してくれている感があって。リアルタイムじゃないものに新しさを感じて、追っかけてくれているんですよね。そうなると、『これはまたがんばらなきゃ』という気持ちにもなりますし。声をキープして『当時の歌をそのまま歌えるようにしなければ』と思いますね。あとこの3年間、コロナ禍で一緒に歌えない期間が続きましたから。アニソンをみんなで大合唱する、僕の大好きな風景をまた早く見たいと思ってます。アニソンはみんなで一緒に楽しく歌うのが、いちばんですからね」
最後に、デビュー55周年を迎えた串田に目標を聞く。
「アニメの挿入歌でいいので、”大人から見たヒーロー”を歌ってみたいという夢があって。自分の好きなソウル、R&Bで、魂のこもったソウルフルな歌を歌ってみたいんです。だから、そのために自分で曲を作って歌って、提案してみようかなと思っています。あと実は宙明先生に頂いた、未発表の曲が3曲あって。それも手を加えて発表したいと思っていますし、まだまだやる気十分です!」
(出典/「昭和50年男 2023年7月号 Vol.023」)
取材・文:フジジュン 撮影:吉場正和
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