日本のチョッパーシーンが世界レベルに至るまでの流れ【前編】
現在、世界から注目を集めるまでになった我が国のチョッパーシーンだが、ここに至るまでの道程は一朝一夕では成し得なかったのはいうまでもないだろう。例えば作物を収穫するにしても、まず土を耕し、種を撒き、それが芽吹き、根を張り、華を咲かせなければ実りのときは訪れない。当然、積年累月の時間が必要だ。
我が国のチョッパーシーンを振り返ってみても、1970年代は大地を耕し、種を撒いた時代であり、1980年代はそれが芽吹き、1990年代に根が大地に張り、2000年代にようやく華を咲かせたといえるのだが、2010年代、2020年代に受け継がれ、享受された実りは、やはり先人たちの労苦と情熱の結実だろう。
その黎明に先立つ1953年に神奈川県横須賀市にて長島武仁氏が「長島輪業」を創業。後に「ナックモーター」となるこのショップは駐留米兵を相手にチョッパービルドを始め、アメリカの息吹を直接的に我が国へと伝えたのだが、71年に開催された「第一回モーターサイクルショー」へ出展。ときを同じくして「だいだらぼっち」という屋号で同ショーに出展した“タメさん”こと中島昌人氏が我が国のチョッパーシーンの荒れ地を耕した先駆者といえるだろう。
折しもその前年、70年に映画の『イージー☆ライダー』が日本で公開され、チョッパーという未知の乗り物が多くの若者に衝撃を与えたのだが、73年に東京の原宿で結成されたバイクチーム、「クールス」も然り。その当時、ハーレーといえば年配層が乗るFL系のイメージだったのだが、それを若者の文化に転じさせたのは原宿を根城にした黒い革ジャンの集団だ。余談だがそのクールスの佐藤秀光氏の姿に衝撃を受け、ハーレーに興味を抱き、82年に「サンダンス」を開業することになったのがZAK柴崎氏である。
日本のチョッパー黎明期を支えた先人たち


1953年に横須賀で「長島輪業」として創業し、のちに屋号を「ナックモーター」とした長島武仁氏と71年に「だいだらぼっち」を創業し、76年より「コスモポリタン」、85年から「サムライ」として活動する“タメさん”こと中島昌人氏は、共にチョッパーショーがない時代の71年の「第1回東京モーターサイクルショー」から出展。まさに文字どおりの先駆者たちである。


『黒のロックンロール』がハーレーの世界に与えた影響

1973年に東京、原宿で結成され、75年にバンドとしてデビューすることとなったバイクチーム、「COOLS」の佐藤秀光氏も当時の若者たちに憧れと共にハーレーを広めた人物。81年に創業された「ジャパンドラッグ・サービス」の広告を見ても、影響力の強さがうかがえるだろう。その佐藤秀光氏は闘病生活の末、2025年3月に残念ながら逝去。享年73歳。


本場、米国さながらのクオリティでチョッパー業界を牽引したカリスマ

1972年に当時、勤めていた催事場関係のデザイナーとして米国のサンフランシスコやオークランド周辺に1年間滞在し、洗礼を受けた佐藤由紀夫氏は75年に東京、港区のガレージでチョッパービルドをはじめ、78年に大田区で「モーターサイクルズDEN」を創業。

このロイヤルエンフィールドベースの一台を見てもわかるとおり、本場さながらのクオリティで仕上げられた作品たちは、まさに日本のチョッパーシーンの礎を築いたといえるだろう。ちなみに同店は「ロナーセイジ」の中村實氏や外注スタッフだった「ホットドック」の河北啓二氏など業界に多くの人材も輩出する。
1982年の創業当時から貫くエンジニアとしての真っ当なる姿勢

現在、世界的H-Dエンジニアとして知られるZAK柴崎氏は1982年港区高輪で「サンダンス」を創業。ショベルが現役だった時代からパンやナックルの修理やチューニングを得意としていたことから、当時は“旧車屋”のイメージで語られたそうだが、それはどんなH-Dだろうが、味わいと信頼性を求める信条ゆえ。その姿勢はいまも一貫して変わらない。

のちに映像監督となる田中昭二氏が1981年に編集を担当した『バイクス・ザ・マッコイ』や、同氏が84年に制作した『アウトライダー・チョッパーに狂う』もシーンに熱気を呼び込んだ一冊。アメリカのシーンをダイレクトに伝える誌面構成は、いまの時代に見てもかなり面白い。
マッシブなスタイルで見る者に衝撃を与えたホットドックのデビュー作


1984年に創業した「ホットドック」は同年の東京モーターサイクルショーにアルミ叩き出しボディのターボ付きショベル・カスタムでデビュー。当時の会場で大いに注目を集めたという。のちに多くのH-Dファンを魅了するロー&ロングのドラッグスタイル、この一台が、まさにその原点か。
現代に見ても斬新なビレット4バルブエンジンを設計

前方吸気のツインキャブ・ビレットヘッドと貫通スタッドを採用するエンジンは当時のZAK柴崎氏による独自設計なのだが、製作過程でトルクフルな走りを求めるべきハーレーに高回転型の4バルブは必要ナシと判断し、封印。こうした実践に基づくトライ&エラーの数々を蓄積した結果、のちに独自の工学理論である「T-SPEC」を確立する。

いま見ても唸らされる息を飲むクオリティと独創性

DENの店長を務めた中村實が退社後にプライベーターとして製作したマシンが、“孤高の賢者”の意味をもつ、こちらの「ロナーセイジ」。87年の東京モーターサイクルショーで鮮烈なデビューを果たす。いまの時代に見ても斬新だ。
日本のチョッパー、その源流は北カリフォルニア、か
1980年代に日本のシーンに強い影響を与えたビルダーといえば、即座に思い浮かぶのがアーレン・ネスとロン・シムズ。サンフランシスコの対岸にある街、オークランドで70~80年代にかけて火花を散らした2人のビルダーだろう。共に70年代からドラッグレーサーにインスパイアされたディガースタイルを競うように作り上げてきた両雄だが、低くコンパクトな車両にテクノロジーを注ぎ込む手法は、どうやら我々、日本人の心の琴線に深く触れる模様。
事実、80年代から我が国のシーンを牽引してきたサンダンスのZAK柴崎氏やホットドックの河北啓二氏、ロナーセイジの中村實氏は彼らの車両に少なからず影響を受けたとのこと。無論、単に模倣するわけではなく、それぞれが、それぞれのスタイルを確立していることは、ご存じのとおりだ。また同じエリアから生まれたといえるフリスコスタイルも日本のチョッパーシーンでは人気だ。




(出典/「CLUB HARLEY 2025年10月号」)
text&photo/M.Watanabe 渡辺まこと photo/T.Masui 増井貴光 S.Ise 伊勢 悟
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