
元田敬三|1995年、路上(street)にて話しかけて撮らせてもらうスタイルで撮影をスタート。いまだ変わらず、主にフィルムカメラで撮影中。近年、ハーレーに乗りながら路上(road)にて気になる人や風景を発見したら急停車! カメラは人と出会うためのパスポートなのだ。
ロックンロールカルチャーを新しい時代へ
飛ぶ鳥を落とす勢いとはこの男。今年4月には「VIVA LASVEGAS」のステージに立ち、目を離すことのできない横浜代表・サムライロックンローラー「ジョニーパンドラ」のボーカリスト、ダイゴ・ジョニー・ヤマシタだ。
出会ったのはもう10年以上も前になる。「ローラー族」という個性の塊の集団の中でもひと際スマートで物静かな男は、一旦ストリートで踊り始めたらこれまた激しく、真夏でも弱音をいっさい吐かずに炎天下のアスファルトでライダースを着て踊り続ける。
そんなジョニーさんは、HONDA党を公言していて、バイクもクルマもHONDA乗りなのだが、昨年アメリカツアーに行った際に旧ルート66をレンタルしたハーレーで走り、その経験があまりにも衝撃的だったため帰国後すぐにハーレーを購入したという。それ以来、地方のライブ会場へもベースを乗っけてハーレーで移動する。
そんな彼がハーレーダビッドソンの一大イベント「ブルースカイヘブン」のステージに立つという。これは目撃しない訳にはいかないので足を運んだ。
日曜日の山下埠頭、午前9時の出番。朝からロックンロールもなかなかのもの。天気は快晴で本当にブルースカイだった。ステージが始まった途端から軽快なロックンロールですっ飛ばして、音に引き寄せられたのか、開始10分後には広い会場は大賑わいとなった。
すごいなぁサムライロックンロール。その日の午後も恒例の山下公園でのストリートダンスを踊るというから、なんという勢い。「止まっていると腐っちゃうんで!」と彼は言う。
2人でいると実にシャイな好青年という印象。ある日の午後、横浜の「BAR STARDUST」前で待ち合わせをし、撮影につき合ってもらった。そこから「ムーンアイズ」まで一緒に走ってコーヒーを飲んだのだが、静かだが内側から闘志がメラメラ湧いているのがわかる、遠くの方を見て話すのも印象的だった。
昭和時代の諸先輩たちが築いたロックンロールのカルチャーを旧いしきたりにこだわらず、新しい形に変え、若い世代へ繋げていくのはこの男しかいない。横浜から日本のロックンローラー代表として、これからさらに世界へ羽ばたいていくに違いない。見届けようそのサムライロックンロールを。



(出典/「CLUB HARLEY 2025年6月号」)
text&photo/K.Motoda 元田敬三
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