ライバル不在だからこそ独創性はさらに高まった、ハーレーダビッドソンの1960年代から現在まで

  • 2025.07.25

1960年代から徐々に頭角を現してきたのが、安価で高性能な日本車だ。そんな中、ハーレーダビッドソンはどんな歩みを見せたのか。唯一のライバル「インディアン」との違いにもフィーチャーしよう。

巨大メーカーへと成長したハーレーダビッドソン

アメリカには、かつてさまざまなバイクメーカーが存在したが、ハーレーほど巨大になった企業はない。それは1903年に第1号車を世に送り出して以降、1905年に早くもレースに参戦して性能の高さをアピールしたほか、ディーラー網を積極的に構築。そして1909年にメーカーとして初めてスペアパーツを販売するなど、サービス面も強化。加えて、米軍とのパイプを構築し、第1次世界大戦時に2万6000台、第2次世界大戦時には約9万台を納入。そうして巨大企業へと発展してきた。

ライバルとしては1901年に創業した「インディアン」が挙げられるが、最盛時の1940年代こそ世界最大規模の3000人が働いていたが、ハーレーより高級車だったことが災いし、自動車に取って代わるように販売台数が減少、1959年に会社を解散した。これ以降、ハーレーは黄金期を迎えるが、高性能な海外製バイクの台頭で大ピンチに。しかし、アメリカで進化してきたからこその独創性、そして国の助けもあって危機を乗り越えている。

【1958年~】「キング・オブ・ハイウェイ」といわれた黄金期

それまでのリジッドフレームに代わってリアにもサスを備えた「FLハイドラグライド」が登場。操縦性が飛躍的に向上したほか、インディアンの消滅に伴って、ツートーンの豪華なカラーやホワイトウォールタイヤなどで高級感をアップさせたのだ。

【1966年~】新世代エンジンを搭載し巻き返しを図った

1960年代から徐々に頭角を現してきたのが、安価で高性能な日本車だ。そこですでに型遅れ感のあったエンジンを刷新。性能はもちろん耐久性や整備性にも優れた「ショベルヘッド」を投入するも爆発的ヒットには至らなかった。

他メーカーに対抗するため、なんと国がテコ入れ!!

ハーレーもヒット作を生み出すも、当時売れまくっていた日本車には敵わず、1983年にレーガン大統領は700㏄を超える輸入バイクに対して45%の関税を課した。ハーレー社は国から手厚く守られていたのだ。

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1977 FXSローライダー

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