妻と洋品を愛した男の遺伝子を受け継ぐ名店
玉美が創業したのは、戦後間もない1950年。大戦中に軍属としてシンガポールに赴任していた相羽信太郎さんが復員後、上野アメ横のマーケットにて商いを始めた。
「トリンプなどの輸入の婦人用下着を仕入れたところ、よく売れたそうです。その流れから、1955年には男性用の輸入下着としてジョッキーの販売を開始しています」
歴史から教えてくれたのは、創業者から数えて3代目として老舗インポートショップの魂を受け継いでいる相羽岳男さんだ。いまも玉美は50年代当時と変わらない場所にあり、店先にはジョッキーの棚が置かれている。時を超えて〝変わらないモノ〟を買い求めるお客が、この店には数多く集まる。
「高倉健さんが上野アメ横でバラクータのG-9をお買い求めになっていたのは有名な話ですね。その健さんが亡くなられた年に『昔のG-9が着たい!』というお客さんが当店にたくさんいらしたのです。だから、80年代中頃の(相羽さんの)私物を基にして、ゆったりとした袖ぐりのモデルのレプリカを当店のオリジナルで製作しました」
また、〝太平洋のブルックス ブラザーズ〟という洒落た異名で日本人の心をつかんできたレインスプーナーが日本で初めて扱われたのも上野アメ横だ。そうしたモノと土地との歴史的なつながりを大切に考えている相羽さんは、年間を通してレインスプーナーも柄の種類を豊富に取り揃えている。
「私がプリントシャツに惚れ込んでいるというのも理由のひとつなんですけどね。かつてポロカントリーやポロウエスタンといったレーベルが、ニューヨークに数軒あるホームウエア(=ランチョンマットなどの生活雑貨)用の生地屋さんの素材でシャツをつくっていました。いまも現存中のメーカーの生地を買い付けて、オリジナルのシャツをつくっています」
人には人柄があるように、店には店柄がある。「玉美」という店名は、創業者と共に店を切り盛りしていた玉という奥さんの名前に由来する。玉が美しい。すなわち、玉美。とても愛に溢れたネーミングだ。なにかと世知辛い世の中になったが、ここならいまも愛のある逸品と会える。
【DATA】
玉美
東京都台東区上野6-4-12
TEL03-3831-7502
営業/10:30~19:00
休み/火曜
※情報は取材当時のものです。現在取り扱っていない場合があります。
Photo/Nao Mizoguchi, Nanako Hidaka, Takuya Furusue Text/Kiyoto Kuniryo, Yu Namatame, Shuhei Takano