昭和40年男がいちばん聴いてたエアロスミス
『昭和40年男』の読者世代が洋楽を聴き始めたのは1970年代の終わりぐらい、自分の身の回りではそんな感じだった。そんな僕らの感覚からすると、エアロスミスというバンドは、ちょっと上のお兄さんが聴いていたという印象で、ただ、やはり目上の人が親しんでいたレッド・ツェッペリンやディープ・パープルなんかに比べると、うるさ方が少なかったような気がする。バンドのヒストリー的には、その地位を確固たるものにした『ロックス』(1976年)、『ドロー・ザ・ライン』(1977年)のあと、メンバー脱退など失速ムードが漂っていた、まあ、最悪の時期で、“セックス、ドラッグ、ロックンロール”を地でいくようなイメージがあったエアロスミスは、ニューウェイヴ到来の70年代末期において、僕ら世代にはちょっと崇めにくいところもあった。
そんなエアロスミスが、僕ら世代の視角に入り込んできたのが1980年代半ば。一度離れたメンバー、ジョー・ペリーとブラッド・ウィットフォードがバンドに戻り、ゲフィン・レコードに移籍……というお家事情はさておき、70年代に華開いたハードロックが再びトレンディ(なんていう言葉は当時あまり使われていなかったが)な音になっていたことも大きかった(もちろん、顔ぶれは様変わりしていたけど)。エアロスミスが85年に発表したアルバム『ダン・ウィズ・ミラーズ』のプロデューサーは、前年にヴァン・ヘイレン『1984』でバンドに大きな成功をもたらしたテッド・テンプルマン。当のエアロスミスのメンバーは現場でテッドと悶着あったみたいだけど、崩壊しかけていたバンドをうまくまとめてくれたのだろうし、何といっても“時代の音”に仕立ててくれた

息を吹き返したエアロスミスは、さらに暴れた。エアロスミスの「ウォーク・ディス・ウェイ」をモチーフしたラン・DMCの同名曲が、86年夏にヒットチャートを駆け上がり、ミュージックビデオにはエアロスミスのメンバーも登場。ユーモアを利かせた演出で、MTV世代、ひいてはヒップホップ世代にも彼らの名前とスティーヴン・タイラーのセクシーな唇が知れ渡り、そこで得た自信(そんなもの失ったことないぜ、と言いそうだが)は87年の次作『パーマネント・ヴァケイション』につながる。ここでのプロデューサーは、ブルース・フェアバーン。前年にボン・ジョヴィ『ワイルド・イン・ザ・ストリーツ』をプロデュースし、彼らを世界的スーパーバンドにのし上げた立役者だ。シングルカットされた「エンジェル」はビルボード Hot 100でトップ3をマーク。キャリアハイのセールスを記録する。

続く89年の『パンプ』は全米5位のヒット。日本のチャートでもトップ10入りし、シングルカットされた「ジェイニーズ・ガット・ア・ガン」はバンド史上初のグラミーを受賞する(最優秀ロック・パフォーマンス部門)。第二期黄金時代を迎えたエアロスミスは、93年の次作『ゲット・ア・グリップ』で初の全米No.1を獲得。ここで人気のピークを迎えた……かと思いきや、ハイライト・シーンはこのあとにもまだまだ用意されていたのでした。


【第2弾発売タイトル】
ダン・ウィズ・ミラーズ UICY-80546
パーマネント・ヴァケイション UICY-80547
パンプ UICY-8054
ゲット・ア・グリップ UICY-80549
各3,300円 (税込)
SHM-CD仕様 / 限定盤
解説・歌詞・対訳付
【発売中】
第1弾発売タイトル
野獣生誕(1973年)UICY-80539
飛べ!エアロスミス(1974年)UICY-80540
闇夜のヘヴィ・ロック(1975年)UICY-80541
ロックス(1976年)UICY-80542
ドロー・ザ・ライン(1977年)UICY-80543(※)
ナイト・イン・ザ・ラッツ(1979年)UICY-80544(※)
美獣乱舞(1982年)UICY-80545
各3,300円 (税込)※3,410円 (税込)
SHM-CD仕様 / 限定盤
解説・歌詞・対訳付
【今後の発売予定】
第3弾発売タイトル
ナイン・ライヴズ(1997年)
ジャスト・プッシュ・プレイ(2001年)
ホンキン・オン・ボーボゥ(2004年)
ミュージック・フロム・アナザー・ディメンション!(2012年)
第4弾発売タイトル
ライヴ・ブートレッグ(1978年)
ライヴ・クラシックス(1986年)
ライヴ・クラシックスII(1987年)
ア・リトル・サウス・オブ・サニティ(1998年)
ロッキン・ザ・ジョイント(2005年)
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