ブルックリンのタバコ店やコーヒースタンドのように。
「久しぶり、ですよね?」「カミさんが離してくれなくて」「いいですね、仲良くて」「嘘だよ。独身なの知ってるでしょ。ホット、今日は美味しいのを」「いつも美味しいですよ」
ブルックリンの街のタバコ屋さんとかコーヒースタンドみたいな店で、カウンター越しに店主と常連が他愛ない言葉を交わす。中村仁さんが東京・中野の小さな商店街でつくりたかった時間はそれだ。そして2022年に立ち上げたのが『チラクシン』という名を冠した、この店ってわけだ。
「チル&リラックス」の意味を持つ店名だけに、ふらっと訪れた客がコーヒーをオーダーしたあと、中村さんと笑顔でささいな会話が始まる。ただ思ったより、その話が長く、深くなるのは御愛嬌だ。なにせ店名のフルネームは『チラクシン“ブックショップ”』。
煎りたてのコーヒーもウリだけど、’90年代頃の古本が会話を加速させるから。加えて東京ではあまり見かけない箕面のクラフトビールも話の潤滑油になるからだ。
「アルコールが入って、懐かしい本や雑誌なんかめくっていると、自然と話しが盛り上がっちゃうんですよね。『この表紙、好きだったな』とか、『この本、友達に貸したまま返してもらってねえな』なんて感じで」と中村さんは笑う。
「まあ、こんなゆったりした時間と店を欲していたのは、お客さんより僕自身だったのですが」
アメフトの名門を離れた後、遊びまわっていた理由。
本好きへの入口はスタンダードだった。父親の本棚だ。1974年に大阪豊中で生まれた中村さんは、小学生の頃から背伸びしながら司馬遼太郎や手塚治虫を手にした。血湧き肉躍る新選組の剣さばきや哲学的な火の鳥のセリフをむさぼるように読んだ。途中、中島らもを知り、無頼な生き方と強い言葉に魅かれた。
「単純に手頃で楽しいエンタメだった。楽しかったんです」
ただ、高校くらいになると、もっとハマるものがあった。アメリカンフットボールだ。攻守入れ替わり戦略的に動くアメフトのスタイルに水が合った。大学でもアメフトを続けるため、関西の名門大学に二浪して入ったほどだ。しかし2回生の時、退部する。
「アメフト一色の生活も悪くなかったのですが、もっとそれ以外のいろんな世界が見てみたくなったんですよね」
だから遊んだ。ファッションはアメカジ。アメ村や神戸で古着を漁った。音楽はR&B。クラブに出入りし、音に身を任せた。スポーツはスノーボード。ルールに縛られないスタイルに自由を感じ、国内外の冬山を滑った。やたらアクティブだったのは理由がある。
「アメフト部を辞める時、『後悔するぞ』と結構言われたんです。『あいつは辞めて正解だったな』と言われるくらい、充実した日々を送りたかったんですよね」
今も似た気持ちかもしれない。
組織にいたからこそ「自分らしいことをやろう」。
大学卒業後、2社目に就いた仕事は大手人材サービス会社だった。大阪支社で主に転職者向けのコンテンツづくりを手がけた。マジメで組織的に動くのも得意だった中村さんは、するすると出世した。「本社に来い」と呼ばれたのは東京に来たのは2019年だ。妻と娘も後から上京したが、44歳にして初めての単身赴任だった。いい飲み屋さんが多く、前に住んでた大阪の福島区に雰囲気が近い中野を住処に選んだ。ゴールを見据えたキャリアの変わり目としていい転機になる、予定だった。
「ただ上京して1年ほど経ったある日、身体が動かなくなった」
慣れない東京、自分でも気づかないプレッシャーは大きかった。コロナ禍に入ったのも影響したかもしれない。結局、半年ほど休職。その後、体調は戻ったが、復帰は選ばなかった。また体調を崩すのが恐かった。転職の選択肢も消した。転職市場の間近にいて、40代後半の転職が簡単じゃないことを誰よりも知っていたからだ。そして古書店『チラクシンブックショップ』立ち上げを選ぶ。
「大きなビジネスではなく自分らしくやりたい、と思ったんです」
何が好きだったか? 振り返ると自宅に数千冊の本があった。
「あと休職中、動画やネットを見るのは億劫だったんですが、不思議と本だけは読めたんですよね」
『いまどき、古本屋さん?』『あそこまで出世したのにもったいない』。周囲の声が聞こえないわけではなかったが、「辞めて正解だった」と思わせたかった。
場所は馴染みの中野の街、薬師あいロード商店街に空き店舗を見つけて契約。自宅にあった古本をメインに3000冊を置いた。
「だから僕の好みの’90年代前後の本が分厚くある」
コーヒーとクラフトビールを置いたのは「自分が古本屋さんで飲みたい」とずっと思っていたからだ。2022年、こうして『チラクシンブックショップ』は生まれた。カフェだと思って入る人。旧いファッション誌を探してたどり着く人。いろんな入口からチル&リラックスに浸る常連が増えた。かけがえのない出会いもある。
「開店2日めから来て、毎日ビールを2本飲んで帰る60代のお客さんがいたんです。含蓄ある話がいつも楽しい。何げなく『なぜ毎日?』と聞くと『近所に住んでいるけど奥さんが最近亡くなったからだ』と言う。『二人でこの辺の店をよく回ったので、どこ行っても彼女を思い出してしまう。でもここはまだ新しく、何より居心地よくて、ビールも美味い』って」
映画みたいな店だ。やっぱりどう考えても、辞めて正解でしたよ。
【DATA】
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※情報は取材当時のものです。
(出典/「Lightning 2024年7月号 Vol.363」)
Text/K.Hakoda 箱田高樹(カデナクリエイト) Photo/Y.Amino 網野貴香