280坪の広い敷地に心地いい空気が流れる。
愛媛県、松山市。松山城から北西にクルマを10分ほど走らせると右手に見えるのが『HINOKI(ヒノキ)』だ。光宗尚輝さんがオーナーをつとめる園芸店。テニスコート3面分以上にあたる280坪もの広い敷地で、グレビレアやリューカデンドロンといった南半球原産のネイティブプランツ(在来植物)を中心に雑多なグリーンを扱う。
特徴の1つは、アメリカ西海岸あたりを匂わせる店構えだ。飾りすぎず無造作に置かれた植物たち。鮮やかな色で塗られた壁にウッドデッキのぬくもり。オープン前に視察もした、カリフォルニアやオレゴンの個性的な園芸店にインスパイアされた。
「考え方も影響されていますね。ネイティブプランツは豊かな花と実がつくから蜂や鳥を多く集める。ただ庭を飾るのではなく、そうした生態系を身近に感じて向き合える日常を提案したい。とはいえ…」
と光宗さんは言葉を続ける。
「説教臭く思われたくないんで、何となく感じてもらえれば(笑)」
去年からさらに大勢を集めているのは、花に負けず劣らず、甘さ漂わすモノを扱い始めたからだ。道を挟んですぐにあるドーナツ店『バロードーナツ』。ポップな見た目の面白さと、しっかりと美味い確かな味で、一躍人気店に。11時にオープンして、昼過ぎには売り切れる品も少なくない。何もなかった周辺の景色を変えている。
「でも地域を元気にしたいとか、イケてる場所にしたいとか、全然考えていません。ただ僕がやりたいこと、スタッフが楽しめて心地よく働けることを手掛けている」
金沢のスケートカルチャーがアメリカに向かわせた。
生まれは松山だが、父親が転勤族で日本中を引越してまわった。小中を過ごしたのは金沢市。日本有数の庭園・兼六園のすぐ近くのマンションで生活していた。
「でも、入り浸っていたのは兼六園より、中央公園でしたね」
当時、金沢の中央公園は金沢周辺のスケーターのたまり場だった。光宗少年もデッキを持って出入り技を磨いた。同時にアメリカンカルチャーに魅かれていた。スケート仲間に金沢大のアメリカ人留学生がいて、彼のファッション、持ち込む本、地元で撮った写真などを観て触れるたび、「かっこいいな」と思春期の心身に染み込ませた。中でも響いたのが、建築だ。
「彼が見せてくれる写真に四角い家やカラフルな壁が映り込んでいて、いちいちカッコいいんです。『こういういいなぁ』といつも感じていました」
松山に戻り、高憬に音が加わる。ディラン、イーグルス、ママス&パパス。アーシーなアメリカンロックやフォークを好んだ。にしても、好みが渋いな。
「あるレコード店の常連だったんです。当時、松山の大学生で今はプロミュージシャンもよく出入りしていた。ああいったカッコいい年上の友人の影響ですね」
高校卒業後は、一旦千葉の大学へ進学。2年で中退して、一度は自動車整備会社で働くも、やはり「建築」の道を志す。
「やっぱりアメリカのような雰囲気ある建築を手掛けたくて。千葉で学費をためて松山に戻り、建築の専門学校に入り直しました」
請け負い仕事は「向いてない」と気付いた。
専門学校に通いながら、インターンのように設計事務所で働き始めた。まずはアトリエ系の設計事務所。その後は店舗などを手掛ける設計事務所にも。
「ただある意味一番勉強になったのは、住宅販売の営業の仕事で」
『お前はおカネに対するリアリティを持つべきだ』とアトリエ系の事務所の社長に言われ、小さな住宅販売会社に入ってみた。ギリギリの予算でなんとか一軒家を建てようとする夫婦や家族がドアを叩いた。「一軒家が欲しくて」と夢を語りつつも、ローンが組めず涙を飲むお客さんがたくさんいた。
「昔いた設計事務所では数千万円とか億の予算で動く建築ばかり見ていたのでね。意識がガラッと変わった。ただ結果として、建築設計の道を離れることにしました」
施主の「こうしてほしい」を形にするのが設計の仕事。請負業務である以上「本当はこっちの方がいいのに……」と提案しても、最終的に決めるのは当然、施主だ。
「気弱なんで。本当は違うのに……と思いつつ線を引くのはイヤで」
そして園芸の世界へ入った。地元の造園会社が運営していた園芸店に入社。請け負いの設計で感じたジレンマがなかったからだ。
「まあ、実際は造園や外構の設計・施工を請け負いもしたんですけどね。ただ庭は比較的、こちらの要望を聞いてもらいやすい」
水も合った。設計・施工で売上と利益を伸ばし、ユニークな品揃えができる仕入れにまわせた。そんな中で、冒頭で触れた「ネイティブプランツ」と出会う。
「それまで店では日本の広葉樹がほとんどでした。他と違って『カッコいいな』と1本を展示会で購入して育てると、全く違った」
咲いた花めがけミツバチやムクドリがやってきた。庭が賑やかになり、自然とのつながりを気負わず感じた。ただの商材ではなく、真剣に向き合う対象になった。
「1本、木を植えることで生態系が変わり、その場所が前より豊かになる。それってめちゃくちゃおもしろいし、価値があるし……」
夢があった。2015年、その夢を大きく育てようと独立を果たす。当初は、松山市祝谷のパン店に併設する形で、小さな園芸店を出した。名前は今と同じ『ヒノキ』。
「ヒノキ材って硬いともいえるし、柔らかいともいえる。外構やエクステリアの業界ではコンクリートなどを扱う仕事を“硬い仕事”、植物を“柔らかい仕事”と呼ぶんです。型にハマるのもイヤだったんで、真ん中の『ヒノキ』で」
アメリカ好きのセンスあふれる園芸店『ヒノキ』はすぐに人気となり、多くの顧客がついた。多肉植物のブームなどもあり、客層に若者や男性も加わった。ただ競合も増えた結果、同じ土俵に立つのが「少し嫌に」なったという。
「3年ほど経った頃、違うスタイルで店をしたいと思ったんです。繁華街で数十坪の園芸店で勝負するから、小競り合いになる。『郊外で大きい店をやれないかな』と」
そして、280坪に辿り着く。
ドーナツ店につながった揚げたて唐揚げへの思い。
「ココでやれたらいいなぁ」
休日、友人と温泉に行く途中通った道で見かけた今の場所に魅かれた。元解体工場。ヤシの木が1本だけある小高いこの場所で、「広い園芸店」をやりたくなった。幸運が後押しした。
「前の店の常連さんの家が、この場所の大家さんだとわかったんです。『ヒノキなら……』と本当に破格で貸してくれることに」
280坪をこうして確保。店づくりをするうえで、改めて西海岸を旅して、気に入った店のつくりをサンプリングした。
「特に『フローラグラブガーデン』というサンフランシスコの園芸店を参考に。植物もネイティブをメインにして広い敷地内でゆったり見られるようになっていた」
広大な敷地を手に入れた結果、より多彩な植物も扱えるようになった。他より多く仕入れられるため、質の高い植物を、リーズナブルに提供できるようにもなった。
「何より市街地から離れて、小高い風通しもいい。虫や鳥が本当に自然に集まるさまも体感してもらえるのがいいんですよね」
こうして2019年から『ヒノキ』は今の場所でより大勢の人々を集めるようになった。加えて、先にあげた道向かいの
店『バロードーナツ』だ。『ヒノキ』ではランチをスタッフ皆で囲んでとるスタイルをとる。ある日「揚げたての唐揚げ食べたいね」と口走ったアイデアから、フライヤーを購入しようと盛り上がった。
「フライヤーがあるならドーナツも作れるね」と雑談が広がった。あれよあれよと、空いていた向かいの場所に、ドーナツ店を立ち上げることに。成り行き。唐揚げは一度も揚げないままらしい。
「ちなみにレシピ担当の元パティシエも店頭に立つのも女性で。女性がかっこよく活躍する場にしたかったんです。だからオレゴンにある『ピスティリズ・ナーセリー』という園芸店をデザインモチーフ。そこもカッコいい女性ばかり働いているんで。社会貢献? そんな説教臭い理由ないです(笑)」
虫も鳥も人もきっと同じだ。自然体で、やさしくて、甘い魅力が溢れたところに多く集まる。
【DATA】
HINOKI and the green(ヒノキ)
愛媛県松山市船ヶ谷町193-1
TEL070-5358-7927
営業/11:00〜19:00
休み/不定期
http://hinokiandthegreen.com
※情報は取材当時のものです。
(出典/「Lightning2023年5月号 Vol.349」)
Text/K.Hakoda 箱田高樹(カデナクリエイト) Photo/S.Kai 甲斐俊一郎
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