

旧知の盟友とともに「ラップス」を設立
日本におけるアメカジムーブメントの礎を築き上げたリビングレジェンドたちの貴重な証言を、Pt.Alfred代表・本江さんのナビゲーションでお届けする本連載。今回ご登場いただくのは、「アーツアンドクラフツ」や「スタンダードサプライ」といったバッグブランドを展開するエバーグリーンワークス代表・藤本孝夫さん。
「高校時代に絵を描いて稼げる仕事に就きたいと考え、デザイン専門学校へ進学し、アパレルデザイナーを目指しました」と語るように、当初はアパレルデザイナー志望として桑沢デザイン研究所に入学。在学中からアルバイトデザイナーとしてソックスなど小物のデザインを手掛けていたという。
「学校の近くに当時サザビーが運営していたインテリアのお店があり、そこのスタッフさんたちから、デザイナーが募集されるという話を聞きつけ、応募したところ見事に在籍が決まり、配属されたのがたまたまバッグ部門だったワケです。半年ほど倉庫番をやった後に本社に呼び戻され、ようやくデザイナーとしてのキャリアをスタートしたのですが、徐々に会社の規模が大きくなるなか、同僚に誘われるかたちで独立。
当初は彼の父親がやっていた履物会社の東京支社として別注系のOEM事業などを中心に展開していました。そんな折、知人からビームスの舘野さん(ビームス プラスのオープニングスタッフでもあった伝説的バイヤー)をご紹介いただき、彼らのリクエストに応えるかたちで本格的にバッグ生産が始まりました」。
藤本さんに独立を勧め、ともに会社を立ち上げた同僚とは、後に「ブリーフィング」などを手掛ける現ユニオンゲート代表取締役社長・中川有司氏であった。ともに“鞄族”としてキャリアを積んだおふたりは、当時はまだ手頃な価格帯で実現可能だったアメリカの生産背景をベースに、自身らのオリジナルブランドとして1997年に「ラップス」を設立する。
「出張を重ねて、アメリカでのものづくりがスタート。中川氏がセールス全般、ぼくが企画全般を担当していましたが、本江さんのお力を借りるかたちで恵比寿に旗艦店をオープンし、徐々に知名度を上げていきました。とはいえ、やはりMADE IN U.S.A.をぼくらの納得のいく価格帯で続けていくのは難しく、さらにぼく自身が自分のやりたいことをもっと違うかたちで表現したいと考え、2004年に会社から籍を抜き、フリーランスデザイナーとして独立していったワケです」。
好奇心を具現化した「アーツアンドクラフツ」
2004年の独立と同時に、藤本さんは自身のルーツでもあるアメリカンヘリテージへと立ち返り、“FUNCTIONAL BEAUTY(用の美)”をコンセプトとした国産バッグブランド「アーツアンドクラフツ」を立ち上げた。
「OEMのお手伝いなどもしていたビームス プラスの世界観が当初のイメージソースでもありました。個人的なルーツでもあり、常に興味の対象でもあったアメリカンヘリテージに現代的な機能性を加えながら、往年の武骨なプロダクトを日本の職人業で蘇らせる。『アーツアンドクラフツ』をそんな思いのもとにスタートし、2006年に自身の屋号としてエバーグリーンワークスを設立しています」。
今回うかがった都下の某所にあるアトリエには、そんなお話を体現するように、数多のコレクションが保存されており、そのどれもが藤本さんのデザイン哲学へと直結する質実剛健かつ合理的なアメリカならではのヘリテージばかりだった。事業が軌道に乗ってもなお、自身がデザイナーとして第一線で活躍し続けるスタイルもまた、多くの試行錯誤の末に結実した往年のヘリテージやその背景を想起させる。
「もちろん細かな図面などは任せているものの、アイデアやデザイン自体はぼく自身が最も表現したい部分でもあります。そのため妥協も当然許されない。スタート当初から展開しているベーシックトートには、ホーウィン社製のクロムエクセルレザーを採用していますが、当時の仕入れ値と比較するといまや2.5倍ほどの価格となっています。一時は国産レザーで再現を試みましたが、やっぱり納得のいくものにはならなかった。ですから、販売価格に転嫁するほかないワケですが、個人的には仕方ないことだと考えています。やるからには質を落とさず、良いものを届けたいですから」。
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