ラジコンだって、大人のクールな遊びになる。
千葉県習志野にあるショップはフェンスを配したイカした内装。そこに「マイティフロッグ」など’80年代のタミヤ製品が並ぶ。しかもクールなグラフィックとステッカーチューンが目を引くやつだ。洗練された大人のストリートカルチャー。ラジコンでそれを具現化できた理由はジュンさんが第一線のグラフィックデザイナーだからだろう。しかも前職がすごい。
「ファッション通販の『ゾゾタウン』で知られるスタートトゥデイ社にいました。起ち上げから2016年に辞めるまで、クリエイティブ全般を担当していたんです」


『ドラゴンボール』を毎週模写する猛者だった。
新潟県新発田市で生まれたジュンさんは小学生で1980年代のラジコンブームを迎えた。最初の一台はタミヤのホットショットⅡ。手先が器用だったため、その4WDバギーの名作を誰より細かに塗装して仕上げ、「農道コースでひときわ目立った」らしい。
ただ当時、最も才能を輝かせたのは別ジャンル。“絵”だった。
ジャンプが発売されると、毎週その号の『ドラゴンボール』の絵を描いた。しかも一話の全ページを正確に模写した。
「勉強になるんです。鳥山明先生は木や雲がめちゃくちゃ細かい。背景で迫力を出している」
中高に入ると、クリエイティブの欲求はハードコアパンクへ。新潟市内のライブハウスで演奏するバンドキッズになっていた。一方で、ラジコンとは距離を置く。ブリーチした髪のストリートファッションと合わない気がしたからだ。ようはまだそっち側だった。急展開するのは上京後だ。
「デザイナーになろう!」
一旦地元で印刷会社に就職するも、そう決めて東京へ。水道橋のデザイン専門学校に入り直した。
「’90年代にストリートブランドやバンドのデザインを手掛けるチームが現れていた。7スターズデザインとか、ああなりたくって」
思いは在学中に叶う。きっかけは地元のバンド仲間がインディーレーベルの目にとまり、CDを出したこと。ジャケットデザインを依頼され、打ち合わせの席でレーベルの社長から名刺をもらった。
「前澤友作」と書いてあった。
「まだ洋服をやる前。バンドのCDを通販で売る事業をしていた頃です。前澤さんは振る舞いが大人でめちゃくちゃカッコよかった」
だからその場で「手伝わせてほしい」と売り込んだ。そして通販チラシや名刺から同社のデザインを手掛けるように。その後、前澤氏がゾゾタウンを起ち上げ、ファッション通販の巨人になるのは既知の通りだ。ロックな起業家と併走するデザイナーとして成功を収めたジュンさん。ただ、この間に例の不満が芽生えていた。ラジコンへのそれだ。
「実は上京後、吉祥寺にサーキットがあって『やっぱカッコいいな』と趣味として復活させていた」
一時はレースにもハマったが、違う遊び方が好きだと気付いた。リアルな車体にイカしたグラフィックを施す、今のスタイルだ。
「意外とそういうのなかったんです。インドアなマニアの世界でね。なら自分で創ってやろうと」
スタートトゥデイにいながら動き始めた。タミヤに「コラボしたい」と手紙で直訴。コラボのロゴTシャツを発表するとゾゾで即完売した。次のホーネットをドット柄に塗ったコラボ車は、世界中のタミヤファンの話題になった。
「同時に自分でもカスタマイズしたラジコンをインスタで発表するようになったんです。その屋号に『ブロックヘッドモータース』を使い始めました」
ブロックヘッドは「ボンクラ」「ノロマ」の意。ゆっくりとラジコンを味わってほしかったからだ。
「定量的なエビデンスもスピードも大事だけど、そこだけだとつまらない。僕はそっちだったので」
2016年に巨大化したスタートトゥデイを辞め、独立したのも根は同じだろう。そして「ブロックヘッドモータース」を形にする。
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