「この声でいきましょう」ーー音楽人生の支えとなっている三善 晃の言葉

『赤毛のアン』は「世界名作劇場」シリーズの第5作目として1979年から全50話を1年かけて放送された。登場人物やその生活環境をしっかり描くことで物語にリアリティを付与するという「世界名作劇場」の作風は、高畑 勲が『アルプスの少女ハイジ』から築き上げたものだ。高畑のもとには、宮崎 駿(場面設定、場面構成)、近藤喜文(作画監督・キャラクターデザイン)、櫻井美知代(場面構成)、井岡雅宏(美術監督)ら錚々たるスタッフが集った。
そして、作品の格を文学の高みまで押し上げている重要な要素が音楽である。音楽を担当したのは、日本のクラシック音楽の中心的存在だった三善 晃。プロデューサーに薦められた高畑は自身も三善のファンだったこともあり、ダメ元で主題歌を頼み込んだら承諾を得られた。ただし、三善は多忙のうえ健康上の理由から主題歌と挿入歌の4曲を書き、劇伴音楽は毛利蔵人が担当することになった。
『赤毛のアン』の主題歌は大和田りつこが歌唱した。大和田にとって最も大切な楽曲の一つ「きこえるかしら」を歌うことに決まった時の気持ちは今も忘れることはない。
「私は物心ついた頃から、ひたすら“歌のおねえさん”を夢見ていました。音楽大学は“歌のおねえさん”のオーディションを受ける“登竜門”でしたので、進学しました。そして“歌のおねえさん”になって、日本コロンビアさんには大変お世話になりました。(当時)日本コロムビアさんには学芸部門(※)と、もう一つ華やかなアニメの歌を扱う部門がありました。あとから聞いたお話ですと、『赤毛のアン』は部門の壁を取り除いて歌手全員にオーディションをすると。そのなかに、たまたま私が入っていました。私も「世界名作劇場」をいつも見ていましたし、その頃は『このシリーズの一本でも主題歌が歌いたい』なんて思うのもおこがましいぐらいの若輩者でした。それなのに、世界的な、本当にすばらしい音楽家でいらっしゃる三善 晃先生が私のオーディションテープを聴いて、「この声でいきましょう」とおっしゃったそうです。こんな光栄で幸せなことはありません。三善先生に選んでいただいたことがいまだに音楽人生の支えになっています」
※…幼稚園や小学校など学校教材レコードや保育レコードを扱う。

がんばりすぎ!? と思えるくらいに声を張った高音
大和田の元に「きこえるかしら」の歌唱に採用されたという報せとともに、作詞が岸田衿子、作曲が三善 晃であることも伝えられた。詩人・岸田は『アルプスの少女ハイジ』(74年)、『フランダースの犬』(75年)、『あらいぐまラスカル』(77年)の主題歌も手がけている。
「きこえるかしら」の譜面はそれまでにない形で大和田に送られてきた。
「譜面はFAXで送られてきました。40年以上前なので今のようなきれいなコピー用紙に印刷されるのではなくて、すぐ消えてしまうような感熱紙にです。もしかしたら三善先生から直に送られてきたのかもしれませんが、メロ譜(歌のメロディだけが書かれている)だったんです。歌詞も「みず」なのか「みす」なのか読み取りにくく、未定みたいなところもありました」
その譜面の書き方にも三善らしさが表れていた。
「三善先生は日本語をとても大事になさるので、一番と二番の譜面は同じには書いてなかったと思うんです。歌詞に則ったメロディなので、一番のメロディで二番は歌えないんです。なので、譜面を最後までたどっていくのがとても大変な作業だったと記憶しています。ましてや、その後ろにオーケストラの演奏がつくなんて、想像もつきませんでした」
主に子供がメイン視聴者である「世界名作劇場」の主題歌は、一聴して口ずさめるようなポップスが多かった。「きこえるかしら」はオーケストラの演奏もさることながら、それまでの主題歌に比べると歌のパートが少ない印象を受ける。
「少ないですね。歌い出すと間奏になって、また歌い出すと間奏になっちゃいますね。日本武道館で行われたアニメフェスティバルで歌わせていただいたことがあるんですけれど、『えっ、ここまで休んじゃっていいのかしら』っていうぐらい休んでましたね(笑)。第一印象はとにかく難しい…でした。メロ譜しかいただいていないので和音展開がわからないから、ここからどうして次の音に行くんだろうって悩みながら音を取った記憶があります」
尊敬してやまない音楽家・三善が見守るなか、難曲を歌うレコーディングでかかるプレッシャーの大きさは想像に難くない。
「オーケストラですから一回録りです。そのオケ録りの日に『きこえるかしら』と『さめない夢』の歌録りって決まっていたんで。もう、そのオケを聴いた時に焦りましたね。これはちょっとどころか、すごく大変なことだなって。それに、非常に観客が多いレコーディングだったので、副調整室の隅で『自分の出番がくるのが百年後になってもらいたい!』と思うぐらい緊張していました。歌入れの間、三善先生が副調整室で新聞紙のようなスコアを、1ページで8小節くらいでしょうか、体全体でバサーッ、バサーッとめくっていらしたのがすごく印象的です」
三善から具体的な歌唱指導はあったのだろうか。
「好きに歌ってください、聴いた人に言葉がわかるように、というくらいでしょうか。ただ、本当に一箇所これだけは譲れないと先生がおっしゃったのが、『きこえるかしら』の〈♪わたしをつれてゆくのね〜〉と〈♪風のふるさとへ〜〉の二ヶ所。ここは、女声で言うとチェンジポイントというD(レ)の音なのですが。『そこだけは地声で張ってください』と。私はクラシックで音楽大学を卒業しているので、ファルセットで、オペラチェックに歌えば楽なのですが、すごく張って歌ったのを覚えています。聴き方によってはがんばりすぎてるかなっていうくらい(笑)」
全力で歌い上げた主題歌「きこえるかしら」にどんな映像がつくのかを大和田は知る由もなかった。果たして初回の放送のオープニングを観た大和田は心を奪われた。
「ああ、もうオーケストラにぴったりのすばらしい絵だと感動を覚えました。アンが空想しているとおりの絵でした。馬が赤い道を駈けているところは、パッカパッカとパーカッションで蹄の音が鳴っているんですが、中盤になって、馬車がペガサスのように空に飛んでいく時に、その蹄がスーッと消えるんです。三善先生の音楽に絵を合わせたのか、それとも絵に音楽を合わせたのか…? もう神業です! 毎回オープニングを見てその絶妙なチェンジに興奮していました。音楽とアニメが一体となって『赤毛のアン』ができ上がっているんだという気がしますね」

挿入歌の5曲は一日でレコーディング
大和田がオープニングで感じたように、『赤毛のアン』における音楽と映像のハーモニーは絶妙だ。高畑 勲は本作における音楽のつけ方についてこう語っている。
「TVアニメーションで今どれ位歌が使われているのかわからないけれど、僕は常に、まあ沢山使って来た方だけど、どっちかっていうと。特に「アン」の場合はそれは意識してたわけで。その、歌を使うつもりは最初からあったわけですね。(中略)設計するわけですよ。だから、何て言うんでしょ、選んだとか何とか言うよりは、その意図の方がまず先にあると思うんです」(『映画を作りながら考えたこと』/徳間書店)
ところが、エンディング曲「さめない夢」にはアニメーションがついていない。その理由についても高畑は「見事な管弦楽伴奏付き歌曲に、もはやエンディングの絵は不要でした」(『文芸別冊 高畑勲 〈世界〉を映すアニメーション』/河出書房新社編集部)と明かしている。
「オープニングがあんなにすばらしい映像と音楽でしたから、エンディングには文字だけなのかな? くらいしか思ってなかったんです。高畑さんがこのようにおっしゃっていたことは存じませんでした。『きこえるかしら』でメロディが全部違うと申し上げましたけれども『さめない夢』の方がわかりやすいです。一番の出だしは〈♪はしっても はしっても〜〉で、二番は〈♪ねむっても ねむっても〜〉。つまり歌詞のイントネーションによってメロディが違うわけです。むしろ歌曲に近いのかなと思いました。三善先生が書かれたオーケストラは、いろいろな楽器の音がパズルのように組み合わさっています。『さめない夢』にしても『きこえるかしら』にしても歌が入る余地がない。そして、メロディがどこにも隠れていないんです。ですから音を取るとか取らないとかではなくて、とにかく自分自分を信じて精一杯がんばらないと歌えないんです。40年経ってコンサートをしてオーケストラで歌わせていただいた時も、下手するとメロディを見失うぐらい音が鳴り渡っていました」
大和田は挿入曲の「あしたはどんな日」「涙がこぼれても」「花と花とは」「森のとびらをあけて」「忘れないで」を歌っている。このうち「涙がこぼれても」と「忘れないで」の作曲は毛利蔵人の筆によるものだ。
「挿入歌はオープニングとエンディングとは別日に、一日で録ったと思います。各曲2〜3コーラスありますので、10〜12曲分くらいのメロディを取らなくてはいけないので、これまた大変でした。ただ、毛利先生のオケはメロディの流れが後ろ(バック)にあったので、肩の力を抜いて歌わせていただきました。岸田先生の詩の世界とアンの空想の世界を心のなかに描いて。どんな場面に流れるかということよりも、歌と音楽だけに専念していた気がします」
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